太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ミナイ イワナイ カンガエナイ

2019-08-26 16:44:17 | 日記
韓国人のCは、私が働く職場で店を開いている、いわゆるベンダーの一人で、
毎日顔をあわせるので、同僚みたいなもの。
彼女は悪い人ではないのだが、じっくり話をするのが辛くなってきた。
Cは、この職場のオーナーとそのファミリーが大嫌い。
なにかにつけ、かなり辛辣にこきおろす。

Cの言い分は、たぶん真実で、的外れではないだろう。
ひとつのことも、一人の人も、それを見る立つ位置によってはまったく違う印象になる。
ならば私は、Cとは違う位置に立っていたいと思う。



ここ数年、なるべく良い気分で過ごすように努めてきた。
自分に都合のいいことが起きれば気分がいいし、
そうでなければ不機嫌になる。
目の前のことを、自分の都合のいいように見ればよくない?
もっと言うなら、自分の都合のいいことだけ見れば、よくない?

Cに言わせれば、「ひとでなし」で「頭のおかしい」経営者たち。
誰かがかれらに受けた、「ひどい仕打ち」。
「不公平な」やりかた。
それらは、Cの真実であっても、私の真実ではない。
私はここで働くのが気にいっているし、
彼らが好きな自分が好きだ。
自分に起きたことでもないことで、誰かを裁き、
そのうえ自分まで嫌な気分になるのはばからしくないか。

昔の私は、Cと同じだった。
私にとって正しくないことに怒り、裁き、なんとかしようとした。
誰かに起きた正しくないことも、どうにかできるのではないかと思った。
私はいつも、正しくないことに囲まれていた。

それを、やめた。

私が気分よくいることに、私は100%責任がある。
自分の機嫌の良し悪しの鍵を他人に明け渡していると
機嫌がよくなるためには、他人をコントロールしなくてはならなくなる。
そんな不可能な挑戦に明け暮れて
ふりまわされるだけふりまわされて、不満だけが底に沈殿してゆく。


「ねえ、頭おかしいと思わない?」
悪態をついたあとでCが、私に聞く。
「思わない」
以前は適当にあいそ笑いをしてごまかしていたのも、やめた。
16年もの間、週に6日、どうしてそんなに嫌いなところにいるのか。
そんなに嫌いなら、さっさと他へ行けばいいのに。
結局、Cはそうやって、誰かを裁くのが好きなのだ。
好きだから、16年もいられるのだ。
誰かを嫌いな自分が、Cは好きなのだ。


苦手な人はいても、嫌いな人がいなくなった。
私の気分が悪くなる部分は、見ないことにする。
誰かを嫌いでい続けることは、かなりのエネルギーを消耗する。
あんなことを言ったくせに、あんなことをしたくせに、
そういう思いにとらわれている間は、ものすごく気分が悪い。
どうせ表面だけの関係なら、ほとんどがどうでもいいことだ。

斉藤一人さんの言葉に、

旅先で見た犬の糞は忘れろ

というのがある。
せっかく旅行に行ったなら、きれいな景色やおいしいものを楽しめばいい。
たまたま見た道端の犬の糞のことをいつまでも覚えていて、嫌な気分になることはない、というのだ。

だから、
都合の悪いことは ミナイ
人やものごとの悪いことは、イワナイ
気分が悪くなるようなことは、カンガエナイ

それでも人の悪口を言うときもある。
思考が底なしのネガティブなスパイラルにハマることもある。
嫌だったことを繰り返し思い出していることもある。
けれども、そのことすら努めてカンガエナイようにする。
自己嫌悪は1番自分を傷つける。
残りの人生は、これでいく。