太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

自分が死ぬこと

2022-02-25 16:20:26 | 日記
両親を続けて送ったからだろうか。
年齢のせいだろうか。
自分の死について思うことが多くなった。
祖父母を送った時は私はまだ20代で、「人はいつか死ぬのだな」と思っただけだったが、
今はそれが「私はいつか死ぬのだな」に変わったから、やはり年齢なのだろうか。



私は、死んでも私という意識は残ると信じているので、死ぬことは怖くはないが、どうやって死ぬのかを思うと不安になる。
映画「グリーンマイル」のトム・ハンクスのように、大事な人を見送りつづけて一人になるのも怖い。

「死ぬことって怖いと思う?」

夫に聞いてみた。

「怖くはないけど、死ぬ過程が怖い」

夫は私と同じことを言った。

「眠っている間にスーっと死んだら、それが1番だよね」

夫が言う。
そりゃあ、ほとんどがそう思うでしょうよ。
私の母の祖母は、縁側で膝に猫を乗せたまま、
「あれれ、こんなんなっちゃうよ」
と言いつつ上半身が横に傾いていって、そのまま息を引き取ったという。


両親は、80の声をきくまではそこそこ元気にしていたのに、80を超えた途端に、いろんなことが少しずつできなくなっていった。
頭ではこうしたいと思っていることが、できなくなるストレスにさらされるのも、
人のお世話にならねばならないのも、辛い。

何年か前に、ハワイ州で「尊厳死」を認める法律ができた。
ようするに安楽死なのだが、その方法を聞いて私は大変驚いた。
私のイメージでは、病院で医師の元で点滴かなにかでというものなのだけれど、処方箋をもって薬局で貰ってきた錠剤を飲むだけらしい。
もちろん、尊厳死を認められる条件というのはあるのだが、なんだかこれはこれで勇気がいるような気がする。

子供がいない私たちは、何かがあったときに駆け付ける人がいない。
親を見送ったとき、私には夫がいたけれど、もし夫がいなくなったら私は独り残される。
大事な人を残していくのと、残されるのとどっちがいいかといえば、絶対に自分が先のほうがいい。
幸い、夫は私よりも8歳ばかり若いときている。

「体に気をつけて、1日、いや半日でいいから私より長生きしてね」

と私が言った(まるで『関白宣言』の歌詞)

「シロは優しいこというね」

思いがけずしんみり言う夫に、少しばかり罪悪感を感じたが黙っていた。