太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

コロナからの復活の兆し

2022-05-17 10:41:46 | 日記
仕事を休んでから6日目。
ほぼ復活したと思う。
昨日、夫を送り出したあとで3時間も二度寝したけれど、今日は1時間も寝たらそれ以上眠れなくなって起きた。
まだコーヒーは飲みたい気分にならないので、熱いお茶を淹れて飲む。
昨日の午後、思い立ってグラウンディング瞑想をしたら、思いのほかすっきりしたので、今日は朝からやってみる。

外は快晴なので、裸足で庭に出た。
瞑想もいいけど、裸足で地球に立つのは強力な浄化。
芝生の感触が気持ちがいい

足の裏で呼吸するイメージ。地球さん、ありがとう。

しばらく見ないうちに、バナナが育っていた

お、ここにも。

ローズマリーを摘んで、今夜はローズマリーチキンを作ろう。

プチトマトの収穫も少しあった。

昨日まで、庭に出ようという気にもならなかったことを思うと、気力体力が戻ってきているということなんだと思う。

今、イタリアにいるシュートメから病中見舞いの電話がきた。
義父はチェコスロバキアで風邪にかかり、病院に行って抗生物質をもらったそうだが、今は元気になっているという。
シュートメの声を聞いて、ちょっと安心。
今からベッドシーツもタオルも全部洗濯してしまおう。




元祖・新人類

2022-05-17 09:57:59 | 日記
「新人類」とは、1960年以降に生まれ、高度経済成長の恩恵を受け、マスメディア文化体験を共有してきた若者を総称した言葉であった。
その言葉が生まれたのは80年代であり、時代はバブルで世の中が少しおかしくなっており、それはまさに私が社会人になった時である。

旧世代の人達にとって、好きなものには熱中し、嫌いなものには見向きもしない、個性的で感性に優れ、好き嫌いがはっきりしている若者たちは、理解に苦しむ存在だったという。
若者にはそういう自覚はなく、私も自分は普通だと思っていた。
普通の家庭で育ち、普通にそこそこ大人になったと思っていたが、社会に出たばかりの頃の私は、今思い返しても恥ずかしくなるほどの世間知らずであり、
怖いもの知らずであり、ずいぶん人に迷惑をかけもした。

しかしたった何年かすると、新人類は新たな新人類を迎えることになる。
忘れもしない、あれは私が24で、社会人4年目だった。
当時働いていた地方テレビ局の、報道部の新人のA君が、今夜の緊急会議に出席できない、という。
その理由が、『カノジョとデートがあるから』。
局長の血管が浮き上がり、チーフの口が「あ」の形のまま戻らない。
A君はけろりとしてさらに言った。
「公私混同、いやなんですよね」
局長は「こっ、こっ」と言ったまま、言葉が出てこない。ニワトリか。

そんなA君だって、その数年後には別の新人類を見たであろうし、
ニワトリ化していた局長だって、その昔は誰かにとっての新人類だったであろうと思う。
江戸時代の書き物にも、「いまどきの若い者は」というくだりがあるそうだから。


時は流れる。
若くなくなり、若気の至りも通用しなくなり、求められる自分になれるように努力し、
責任ばかりが重くなり、失敗を恐れ、成功への道は1本しかないと思い込む。
かつて、自由気ままに生きられていた新人類と呼ばれた人たちも、立派な旧世代である。
ここに来るまでには、いろんな新人類たちが出てきた。
「指示待ち君」なんてのもあったし、「宇宙人」と言われる人たちもいた。
彼らもみんな、階段を上るように順繰りに新たな新人類たちに目を見張り、嘆くようになる。


立派な旧世代になった、元祖・新人類の私だが、一緒に働く若い人たちを見て、「まったく、もう!」と思うこともある。
しかし、私が彼らの年齢だった時に比べたら、彼らの方が数段も大人でしっかりしていることに思い至り、口に出しては言わないことにしている。


若いから許された、昔の私のさまざまな失敗や傍若無人さ加減の一つにこんな話がある。
街中で社長を見かけた私は嬉しくなって、手をぶんぶん振りながら「社長―――!!」と叫んだ。
地方局とはいえ、テレビ局の社長といえば地元の名士。
入社式で見て私は顔を知っているが、向こうは私を知るはずもないのに、そんなことは思いもしない。
社長の元に辿り着くと、
「今年美術に入った〇〇ですー。今日はどちらにお出かけですかー」
困ったような顔をしている社長に、一応自己紹介はした。
誰かの結婚式に行くのだか、行ったのだか、ということだったと思う。なんとなく気まずそうな社長を残して、
「じゃ、さよならー」
と元気に手を振って別れた。
後日、その話を局ですると、みんなドン引きしていた。

恥ずかしいことには違いないが、そういうことがらを思い出すとき、
私は自分の厚かましさや、後先考えずに行動する短慮さが、ふとまぶしいような、懐かしいような気持ちになる。
そして、宇宙人と言われようが何だろうが、やけに分別くさく若い時代を過ごすよりも、
わけわかんないぐらいの生き方をするほうが、あとになって楽しく思い出せるんじゃなかろうかと、元祖・新人類は思うのである。