10年前に出版されていたのに、この本のことを知らなかった。
病気ものの自伝やエッセイを読むのは、あまり好きではない。
同情するのも嫌だし、誰かの苦しみを知って、私にどうすることもできないから。
けれど、この本のタイトルと、表紙のマイケルの写真を見て、手に取らずにいられなかった。
彼の病気のことは知っていた。
彼を知る、ほとんどの日本人がそうであるように、「バック トゥー ザ ヒューチャー」の
マーティのイメージが、私が知る彼についてのすべてだった。
30歳のある朝、左手の小指が勝手に震えるところから物語は始まる。
彼の生い立ち、家庭、コンプレックス、
自分が追いつかないほど遠く離れたところに、もう一人の自分が存在しているという、
ハリウッドスターについてまわる、ある種の恐れ。
貧しさ、富、家庭をもつ幸せ、そして不治の病。
セレブの場合、ゴーストライターによって書かれる本が多い中で、
これは正真正銘、マイケルが14ヶ月かかって書いたのだという。
(病気のため、正確には口述筆記で)
病気が発覚し、それを公にするまでの7年間の彼の生活は壮絶なものだ。
しかし、どんなに彼の葛藤や怒りや恐怖が赤裸々に描かれていても、
不思議とそれに同情したり哀れむのではなく、共感することが多い。
それは、彼が病気を受け入れたあとで書かれたものだとわかっているからかもしれないし、
這いつくばっていても、いつもどこかに希望を見出そうとする、彼の人格からくるのかもしれない。
人気絶頂であった彼が若年性のパーキンソン病になるというシナリオの意味のひとつは、
この病に苦しむ人たちのため、研究費用を増やすことや、理解を得るために、
一般人よりもずっと影響力がある彼が必要だったのだろう、
と、わかったように言う人たちもいる。
私もこの本を読むまでは、そう思っていた一人だった。
どう見ても不幸にしか見えないことも、実はそこから学ぶことがあるからで
だからそれはラッキーなことなのだ、とスピリチュアル本に書かれているようなことを言うのは簡単だ。
しかし、不幸からラッキーに至るまでの道のりの険しさは、
その人でなければわからない。
それでもラッキーまで至ればいいほうで、中には至る前に挫折する人もいるだろう。
たとえ挫折したとて、その挫折に意味がないわけじゃない。
本を読んだあと、自分のおこがましさが恥ずかしくなった。
他人に起きたことをどうこう言うほど、
おせっかいで思い上がったことはないと思う。
病気を宣告され、お酒に溺れて、大切なものを失いかけたときから、
かれが毎日続けている祈りがある。
神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと
自分に変えられることは変える勇気と、
そしてその違いがわかるだけの知恵をお与えください
「あのマーティが」、人生そのものを受容してゆく正直な姿は、
私に勇気をくれる。
「ラッキーマン」 ソフトバンク パブリッシング
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