太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

やめる決断

2014-06-24 08:04:36 | 日記
日本語クラスを辞めるかどうか、悩んでいた(その記事はコチラ)

あの記事を書いたすぐあと、

画材店に行った折に、白木のままの小物入れを見つけて

これをペイントして生徒にあげよう、と思いたって買ってきた。

2年間ありがとう、の気持ち。


てことは、もう私の気持ちは決まってたんじゃないか。って話なんだけど。



厳密にいえば、

辞めることを決めたあとは、いつ辞めるか、ということで悩むようになり、

同時に、それをいつ伝えるかと悩むようになった。


今日のクラスの時に言おうと決めるが、

なぜだかその日、生徒が抜群に覚えがよくて、宿題もきっちりやってきたりして、

なんとなく言いそびれる。

やっぱり続けたほうがいいのかな、という思いがよぎる。


次のクラスの時、今日こそ言おう、と思う。

生徒に書き取りをやらせている間にも、まだ考えている。

でも結局言えない。


そんなことが続いた先週、授業のあと、生徒を車まで送っていき、

母親に言った。

「夏休みが終わったら、日本語クラスを辞めたいと思っているんだけど」


母親のステファニーは、しばらく寂しそうな顔をしてから、笑顔で言った。


「わかったよ。とても寂しいけど、あなたの気持ちもよくわかるもの。2年間ありがとう」



ステファニーは准看護師で、8歳と2歳の子供を育てつつ、夜間のシフトで働いている。

学校や習い事の送り迎え、家事、子供の世話にどれだけ時間とエネルギーをとられることか。

私が日本語クラスをやめたいのは、自分の時間がほしいからなのだけれど

私はフルタイムで働いてはいても、仕事以外の時間は全部自分の時間に使える。

夕食も面倒なら外に食べに行けばいいし、

ステファニーに比べたら、やらなければならないことなど、私には何ひとつないといっていい。

だから、自分の時間がほしい、とは言いづらい。それも、言えないでいた理由のひとつだ。




それでも結局、私は伝えた。


そして伝えたあと、ものすごく寂しくなった。

ステファニーと生徒は、ハワイに来て1番最初にできた、私だけの知り合いだった。

一緒に遊びに行ったことや、誕生日には必ずプレゼントを用意してくれたことや

いろんなことが思い出されて、ほんとうにこれでよかったんだろうかとさえ思った。

心のつかえは取れたけれど、別の部分がヒリヒリする。



けれど、今はきっとこれでいいのだ。









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記憶至上、もっとものどかなカフェ

2014-06-23 07:14:17 | ハワイの自然
ノースショアでシュノーケルをした。






足がつかない水の中が怖い私にとって、シュノーケルは一種のチャレンジだ。

海の中はのぞいてみたい、でも深いところが怖い、でも入りたい。

そんな私のいでたちは、他の人とちょいと違う。

ライフジャケットを着込み、ヌードルという発泡スチロールでできた巨大ウドンのようなものを持ち、

足ひれをつける。

これだけでも、ビーチに立つと異様だが、以前はもっとひどかった。

マウイにシュノーケルに行った6年前、私はウェットスーツを着て、両腕に浮きをつけ、

ボディボード(ビート板)を持って、ヌードルを抱え、さらに足ひれを着けていた。

当時10歳だった夫の甥が私をまじまじと見て

「だいじょうぶ、何があったって沈みっこないよ・・・」と言った。



今はヌードルとライフジャケットだけで行けるのだから、成長したものだ(自分に甘い)。



海に入ったあと、ノースショアをドライブする。




いいなぁ、こういう景色。ほっとする。


新しくカフェができたと聞いたので行ってみた。


Green World COFFEE FARM


近年、ノースショアではコーヒー栽培に力を入れていて、地名をとって「ワイアルア コーヒー」という名前で

店にも並び始めている。

一面なにもない草ッ原に、ぽつんとできたカフェというふうで、とても目立つ。




敷地のバックヤードには、ジャカランダの木とコーヒーの木がこんもりとしていて

その下にベンチが置かれていた。


ワイアルアコーヒーの実




カフェ

マフィンを選んでいるのが夫。




メニューは普通のカフェと変わらない




敷地が広いから、中も広い広い。

いろんな国の、コーヒーのポスターが壁に飾ってある。

日本のポスターは、なぜかタイガー・ウッズがコーヒーを持って笑っていた。




カフェの外もこんな感じ。

みんな木陰のベンチやテーブルに座ってのんびりしている。

私の記憶至上、最高にのどかなカフェだ。





そして一面のパイナップル。



狭い島に住んでいると、行く場所が限られてきて

同じところに何度も行くことになる。

でも、何度行っても飽きない。

ホノルルにはホノルルの良さが、田舎には田舎の良さがある。

まあ、ホノルルだって日本に比べたら相当田舎なんだけれど。






砂浜に誰かが残したアロハ。






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しつこく、スキンタグ

2014-06-19 09:28:17 | スキンタグの話
しつこく、スキンタグのお話である。




スキンタグは、首のまわりなんかにできるイボみたいなもの。

若い頃にはなかったから、お年頃の証拠なんだろう。

そのスキンタグが、ポロリととれる!というTVショッピングをみて

それを試してみたわけだけれど(その辺の記事はコチラ と コチラ

残念な結果になったままだ。



ところがある日、夫が、エッセンシャルオイルに詳しい同僚から

オレガノのエッセンシャルオイルでスキンタグが取れる 、と聞いてきた。

夫は翌日の土曜日に、さっそくそのエッセンシャルオイルを買ってきて

自分の頬に 直接 つけた。


夫の顔にあるのはスキンタグではない。

本人いわく、10年来そこにある シミ  である。

小指の爪の半分ぐらいの大きさの シミ が、頬骨の下あたりにあって、彼はそれを気にしていたのだ。

(気にしている割には日焼け止めを塗らない)

スキンタグが取れるというのを聞いて、なにゆえシミに塗ったのかは不明。





その日、私の仕事のあとで食事をしようということになっていて、夫が職場まで迎えに来た。

「ハーイ!」という夫の顔を見て驚いた。

シミのあった部分とそのまわりが、赤く変色しているではないか・・

「ど、どうした?」

「オレガノオイルを塗ったら、皮膚が焼けちゃった」

「皮膚に直接つけていいのはラベンダーだけだって、あんなに言ったのにぃー」

「ちゃんと顔を洗っておいたし、すぐ元にもどるさ」

本人は至って楽観的だけど、どう見てもヤケドみたいな感じ。

赤くなった皮膚の真ん中に、シミの部分が黒々としている。


誰に会っても、仕事に行っても、

「ど、どうした?」

と聞かれて、そのたびに、オレガノオイルで焼けた、と説明していたのだったが

2日もすると、シミのまわりの焼けた皮膚が、垢のようにぽろぽろとはがれてきた。

そして3日目、 とうとうシミもはがれて、下から新鮮なピンクの肌が出てきたではないか。


「やったー!ティーンエイジャーになった!」

踊るように喜ぶ夫。


シミってはがれるもの?


2日目から、焼けた皮膚が乾燥するといって、ココナツオイルをベタベタと塗っていたのもよかったのか・・・

よく見ると、うっっすらとシミのあった部分がピンクになっているけれど、

前に比べたら全然目立たない。


それを見て、私も自分のスキンタグにオレガノオイルをつけ始めてわかったのだが

オレガノオイルは、非常に強い。

ホホバオイルに混ぜて薄めて、ガラス容器がなかったのでプラスティック容器に入れておいたら

10分もしないうちに容器が溶けた。


「薄めないで原液をつけたほうがいいよ」

という夫の言葉に、おそるおそる綿棒の先にオイルをつけて、スキンタグに塗ってみた。

しばらくすると、つけた部分がヒリヒリしてくる。


「ヒリヒリしてきたよぅ」

「だから効いてるってことだよ。よかったね」


ほんとうなのか?


顔のシミにも塗りたい気もするけれど、夫のあの赤い焼けた皮膚を思うと

たとえ3日であっても、あの状態は耐えられん。



私のスキンタグは、自力で引っ張って取る時期を過ぎていて、完全に皮膚のような顔をして居座っている。

それに塗り始めて3日。

どうなることか、様子をみている。









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プロレス

2014-06-18 07:50:36 | 日記
私の母は8人きょうだいの下から2番目なので、叔父叔母はたくさんいるのだが、

中でも1番濃くかわいがってもらった叔母がいる。

その叔母は、母のすぐ上の姉で、Fおばちゃんとしよう。


子供の頃から、夏休みなどの長い休みには、Fおばちゃんの家に泊まりに行った。

Fおばちゃんの家には、うちにはいない鶏がいて、毎朝新鮮な卵を産む。

まだほの温かい卵を初めて触ったときの、ぞくぞくするような気持ち。

Fおばちゃんは、その卵で、甘いオムレツを焼いてくれた。



Fおばちゃんは小学校の教師をしており、

夫である叔父は、当時、別の学校の教頭先生だった。

叔父も叔母も温厚な人柄で、とくに叔父などは、善人を固めて作ったような人物。

私はついぞ叔父の不機嫌な顔をみたことがない。



Fおばちゃんの家で、私はとても楽しく過ごしていたのであるが、

ただ一つ、どうしても不思議なことがあった。


普段は使うことのない応接間にテレビがあって、

プロレスが始まるとFおばちゃん家の人々が人が変わるのだ。

テレビの前に座り、プロレスラーが闘うのを、大声をあげながら観戦する。

「今!今だ、そこ!あー、そこじゃないッ!」

「よしッ、よしッ、いけいけいけいけ!!」

「あーーーーーーッ!」


我が家でプロレスを見る人はいなかったし、

善人を固めてできたような叔父叔母が、頭から湯気をたてて叫ぶのを

私は唖然として眺めているのであった。


プロレスが終われば、彼らは再びやさしい叔父叔母に戻るのだけれど、

その変わりようが見事で、私は今でもプロレスと聞くと、Fおばちゃんの応接間を思い出すのである。








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建て増しプロジェクト

2014-06-17 07:49:49 | 日記
母屋にくっつけて、私たちの住居スペースを作る計画が浮上したのは昨年末。(その辺の話経緯はコチラ

当初は、別棟で家を建てるつもりが、

法律上ではそれができないことがわかり、建て増しとなった。




すったもんだの挙句、我が家の建て増し計画は進み、いよいよ工事が始まった。




工事開始前。庭の一部であるこの部分に部屋を作る。

このあと、左側の大木の枝を少し払って、基礎を掘る。





写真が暗いけど・・・

上の写真とは反対側からみたところ。

基礎を掘り始める。






前の結婚時代に、家を建てたことがある。

基礎を掘る前の、ロープで建物の輪郭をとったところを見に行ったとき、

あんまり狭く見えて、ものすごく驚いた。

確かに大きな家じゃないけど、図面では1階がリビングとダイニングに続いてキッチンがあるはずが

ロープで囲まれているのは、車1台おけるかどうかの広さしかないように見えた。

なにか大きな間違いがあるのでは、と本気で思った。




今回も同じだ。

建て増す部分は、正方形に近いワンルームの二階建て。

1階部分には、リビングとダイニングスペースと、キッチンがはいるのだけれど

これを見た限りでは、やはり 車1台おけるかどうか の広さにしかみえない。

できあがるにつれて、広くなることを願う。



予定では、工期は3ヶ月。

友人が、「3年かかってるけど、まだできないっていう話もあるよ」というのでギクリとする。

たぶんその家は豪邸なんだろう。きっとそうだ。



工事の人が来るのは、朝7時。

ハワイアンを聴きながら、のんびり工事を始める。

ちょっとだけ、ちょっとだけだけど不安になる。







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