太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

うっかり

2016-05-19 20:06:38 | 日記
私の性格を一言でいうとすれば、「おおざっぱ」か「うっかり」だろう。

詰めが甘い、とも言えるし、見通しが甘いともいえる。

本当は、もっといいところもあるはずなんだけれど、残念である。


炊き込みご飯を作った。

鶏肉と椎茸とにんじんが入った、釜飯風のもので、

むしょうに食べたくなるもののひとつ。

母親が日本人、父親がアメリカインディアンの血を持つという同僚が、

お好み焼きを作ってランチに持ってきてくれた。

そのお礼に、炊き込みご飯を食べたことがないという彼女に持っていこうと思った。


お米を研いで、お醤油を1合につき大匙1杯入れた。

これは私が炊き込みご飯を作るときの分量で、これだとお醤油の加減がちょうどいい。

だしが出るように鶏肉を少しいれ、塩を少し振って、炊飯器にセットした。

その間に、椎茸とにんじんと鶏肉を甘辛く煮ておく。

何度も作っていて、失敗のしようがない数少ないレパートリーのひとつだ。


ご飯が炊き上がり、蓋をあけた。

「?」

何かがおかしい。

やけにご飯が乾いている。

ゆっくりと記憶をたどってみる。

お米を研いだ。お醤油を入れた。鶏肉と塩を入れて・・・・・・



いつも、少な目の水のままでお醤油を入れ、そのあとで水を足すのだが、

今回は水を足さずにそのまま炊いた。ような気がする。

3合のお米に、たぶん、水は2合分ぐらいしか入っていなかった。

人に持っていこうというのに。



食べてみると、芯があるほどではないにしても、パラパラしている。

途方にくれたが、3合ものお米を無駄にするわけにもいかない。

横から夫が、

「鍋に移して水を入れて火にかけてみれば?」と言う。

そんな乱暴なやりかたでうまくいくはずが・・・と思ったが、素直な私はとりあえずやってみる。

お米は、水をぐんぐん吸い込むのに、パラパラのままだ。

水をどんなに足しても、全部吸う。

それでもまだ乾いている。

あの水はどこへ消えたのか。水を足し続けるのが怖くなった。



「水かけてレンジにいれてみたら?」

さらなる提案が出る。

失うものはないような気になってきて、やってみる。

器に入れ、水をかけ、ラップをしてレンジに3分かけた。

言われてみれば、ちょっとふっくらしていないこともないようだ、ぐらいになった。

もう一度水を足して、1分レンジにかけた。

出してみると、もうこれ以上水は吸えませんけんね、とお米が言っていた。

ここに椎茸などを煮たものを加えて水分が補給されることを思えば、そう悪くないかもしれない。


結果は、上出来ではないにしても、なんとか食べられるものにはなったと思う。



いまさら驚かない。

驚かないが、一応へこむ。

日本にいたとき、持ち寄りパーティがあって、私は自分の力量を知っているので、

失敗のしようがないカップケーキを持ってゆくことにした。

アメリカ製の、すべてが混ざった粉に、分量の水を入れて型に流して焼くだけだ。

アメリカ製のこういうものは、日本で買うと700円以上するが、楽には勝てない。

水と、オーブンの温度だけ守れば、子供にもできる。

私は箱の裏の作り方を追いながらボウルに材料を混ぜていったが、やたらと水気が多い。

これでは型に流し込むどころか、さらさらと流れ出てしまう。

そのまま読み進めると、そこに出てきたのが



『以上が、タルトを作るときの分量と作り方でした』



とある。

そのあとに、カップケーキの分量があった。

ああ私よ、なぜ最初にそれをちゃんと読まなかったか。

私はシャバシャバしたそれに、型に流せそうな固さになるまで小麦粉を加えた。

そしてそのまま焼いた。

できたものは、カップケーキというよりは、ふくらみそこねたスポンジ生地。

時間もないので、ずうずうしくも私はそれを持っていった。

「これ、なあに?」

カナダから来ていた人が、ひとくち食べて聞いた。

「ソフトクッキー」

「すごくやわらかいクッキーね」

「そう?ベティ・クロッカーのだよ」

(ベティクロッカーはアメリカで有名な、簡単お菓子をたくさんプロデュースしているおばさんである)

「へえ、ベティ・クロッカーにソフトクッキーあったんだねえー」


うっかりの性格で何十年も生きていると、面の皮がどんどん厚くなり、

ベティ・クロッカーの名誉を傷つけることも、なんとも思わなくなるのである。


あな恐ろしや。







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日本食スーパー

2016-05-17 13:31:20 | 日記
毎日夕食を作ることになってしまったからには、買い物にも行かねばならぬ。

そして、どうせ作るなら和食がいい。

日本食スーパーは大小合わせてホノルルに4,5箇所ある。

ホノルルで仕事をしていた頃なら、いくらでも帰りに寄ることもできたのに、

今は最低でも45分は車で走らなければならない。

老舗の日本食スーパーが、カリヒという街にある。

その店のことは知ってはいたが、会員にならないと買い物ができないシステムのため、行ったことがなかった。

そこじゃなくても日本食スーパーはあるし、会員になるほど利用するとは思えなかったからだ。

しかし、もうそんなことは言っていられなくなった。

カリヒは、我が家からだとホノルルの手前にあり、25~30分もあれば行けるのだ。


さっそく、どんなものがあるのか行ってみた。

ぐるりと店内を見て、年会費を払う価値があれば会員になろうという、どこまでもケチな魂胆。

建物は、創業51周年という風格がある。

店に入ると、まず小物が売っている。

日本のシャンプーとか温泉の素とか、マッサージチェアとか、和食器などが脈略もなく並ぶ。

そこを過ぎると、なんと出来合いおかずのコーナーがあった。

むろん日本の比ではないが、パック詰めされたチャーシューや、おにぎり弁当、から揚げ、

肉まん的なもの、小さいパックの漬物盛り合わせや煮豆やひじきなんかもある。

既にこの時点で、会員になる決意は固まっていた。


目移りしながら進むと、豆腐コーナーがあり、私が大好きなアロハ豆腐が2ドルだ。

我が家の近くの地元スーパーでは4ドル40セントする。

ここで、会員にならないなんて考えられないぐらいの気持ちになっていた。


黙ってついてきた夫は、魚コーナーの ししゃも に目が釘付け。

ししゃも と ホッケ は夫の好物である。(ホッケは北海道に行ってハマった)

「会員になってもいいよね」

と夫が言う。


日本式にカットされたお肉も魅力。

細切れとか薄切りの肉を探しても、なかなかない。

肉で野菜を巻いて焼くなんていうときには、薄切りがいいにきまっている。

すきやき風にしたいときも、やっぱり脂ののった薄切りがいい。



カステラがある。もみじまんじゅうもある。うどんや蕎麦は何種類も並び、そうめんの揖保の糸もあった。

日本のパン。

日本のお菓子。

職場で、日本のお菓子が大人気である。

同僚達は、だいたいセブンイレブンで買うのだが、小枝チョコレートやハーベストクッキー、

いろんな味のキットカットなど、どうして日本のお菓子はこんなに繊細で美味しいんだろう。


乾物のコーナーに、ホノルルの日本食スーパーで探してもなかった 切り昆布 があった。

中華関係のところに、これもやはり、中華街まで行って探してもなかった テンメンジャン があった。


ここで、なぜ今まで会員にならずにいたのかと過去の自分を責めた。


カスタマーサービスで、年会費15ドルを払う。

1年ごとに更新で、次回からは10ドル。


ここに来たら、つい買いすぎてしまいそうで怖い。





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思わぬ展開

2016-05-13 21:25:39 | 日記
転職して、通勤時間が10分余になり、以前より1時間も早く帰宅する。

通勤は確かに楽になったが、思わぬ事態が発覚した。

それは、


夕食の支度をしなければならない。ということだ。


そんなの当たり前だろう、というのは置いといて。

働き始めてからずっと、夫の方が早く帰宅するので、

私が帰ると、既に夫が何か作り始めており、私はお皿を出したりするだけだ。

食材の買い物をするのも夫で、だから私は物の値段をあまり知らないし、

家に何があるのかも、よくわかっていない。



昨日は、夫が買ってきたエビがあったのでエビチリを作った。

ネットでレシピを検索して、だけど。

知人が、畑でできた茄子をくれたので、麻婆茄子まで作った。

これは豪華だ(自分で言う)。

日本と違って、主菜、副菜といったカテゴリー(?)はないから、

メインだけ作ればいいので楽だ。メインとサラダで充分。

それでも、毎日作るとなると負担である。

別に料理は嫌いではないが、得意ではない。

今までは、仕事が休みの日だけ思いついたように料理をしていたから

自分が食べたいもので、夫に作れないものを楽しむ余裕があった。

まったく、主婦であるのにこの体たらく。

最初の結婚時代に、毎日5品並べて(そうしないと機嫌が悪い)

パンまで焼いていたのが、遠い夢のようだ。



さて、みなさんは夕食にどんなものを食べてるのかというと、

これがほんとに大したものを食べてない。

私が言うのもアレだけど、職場で話を聞くと驚く。

私のいい加減なお弁当が注目されるんだから、推して知るべし。

ハム焼いて、冷凍マッシュポテトとかね。

パスタ茹でて、瓶のトマトソースかけただけとかね。

肉焼いて、ご飯に乗せたとかね。

ピザにハンバーガーとかね。

日本のように、スーパーやコンビニに手頃なお惣菜がないから

外食か、何か作るしかない。

私はこれでもまだ、日本人の食に関するDNAがかすかにあるのか、

見た目とかバランスとか一応考えたりする。



ここがアメリカでよかった。

アメリカ人と結婚してよかった。

食のハードルが高い日本で、日本人に囲まれていたら、

私はサイテーの主婦である。





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敗因

2016-05-11 21:12:52 | 食べ物とか
ひょんな話の流れから、カスタードクリームを作った。

たこ焼き器を持っている友人の家で、友人3人でたこ焼きパーティをすることになった。

たこ焼き以外にも、デザート風も欲しいね、ということになり、

一人が「じゃあ私はパンケーキミックスを持ってくる」と言ったのにつられ、

私もつい「じゃあ私はカスタードクリームを持ってくる」と言ってしまった。



遥か昔、シュークリームを作った時にカスタードクリームを作った覚えがある。

シュークリーム自体が失敗だったので、カスタードがどうだったか記憶にない。

あれはひどかった。全然膨らまないから、クリームを入れるスペースがない。

ヘナヘナふにゃふにゃした生地に、クリームをなすりつけて食べた。



友人に会う日の朝、カスタードクリームを作るべく、キッチンに立つ。

ネットでレシピを探すと、意外と簡単そうだ。

中でも、電子レンジであっというまにできる、というレシピに釘付け。

材料を混ぜて、レンジで2分半、いったん出してかき混ぜて

さらに2分半加熱したら出来上がり。

これなら失敗しようがない。

もうできたも同然。

卵と牛乳と砂糖と小麦粉を混ぜて、ふわりとラップしてから電子レンジに入れた。

2分半とあったが、念のため2分にしてみる。

取り出してみると、そこには おぼろ豆腐 的なものがあった。

かき混ぜてみるが、今度はオートミールのようになってゆくだけで、

とてもクリームにはなりそうにない。


失敗。クヨクヨしないで次行こう、次。


今度は、鍋を使って地道にやる。

鍋に材料を入れて、焦げないようにかき混ぜてゆく。

液状のものが、だんだん滑らかなクリーム状になって……



いかない。

おかしいな。再びおぼろ豆腐になりかかりつつある。

これ以上、ボロボロになる前に終了。

写真と比べてみる。

同じ材料で、同じやり方で作ったとは思えない。

おぼろ豆腐の色が悪いのは、きっとアメリカの卵のせいだ。

それと、白い砂糖がなかったので、ブラウンシュガーにしたからだと思う。

しかし、このツヤのなさはどうだ。

味がよければいいにしようと思い、味見してみた。

ボーーンヤリと甘い。塩を入れ忘れた卵焼きに近い。

時間がせまってきて、3回目をやる余裕がなくなり、

見た目も味もあんまりなソレを、カスタードクリームと言い張って持ってゆくことにした。



タッパーに入れてみたら、おぼろ豆腐というよりも、卵豆腐だ。

それもボソボソのやつ。

改めて、写真を見てみる。

黄色くてツヤがあって、誰がみてもクリームだ。



得体の知れないソレ(さすがにクリームとは呼ぶには罪悪感がある)を、

美味しいと言って食べた友人らに頭が下がる。

「せっかく作ってくれたんだからー」

しかし、お皿にとったソレに、蜂蜜をかけているのを見逃さなかった。

そりゃそうだわ、甘さが薄ぼんやりだもの。蜂蜜かけてちょうどいい。



不思議なものを作り出すことには、もう慣れたから凹まない。(少し凹んだ方がいいって声もある)

でも、材料も工程もものすごくシンプルなだけに、

敗因がわからない。

だから反省のしようもない。

カスタードクリームも、封印か。




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母の日

2016-05-08 18:18:04 | 日記
ハワイは今日は母の日である。

夫の両親が会員になっているヨットクラブで、友人らと母の日のブランチのテーブルを囲むのが

ここ数年の恒例となっている。

アメリカの母の日は、母であるすべての人に感謝を送る。

つまり子供が母親だけにではなく、夫が妻に、親が子供に(その子供が親である場合)

誰かの母親である友達に、という具合に。

グリーティングカードが発達しているこの国では、ほぼすべての場合を想定したカードが売っている。


職場の同僚が、息子や娘の写真を見せてくれる。

お世辞抜きに、ものすごいハンサムだったりする。

「かっこいいねえー」

褒めると、必ず彼らは言う。

「そうなの。すごくすてきなのよ」

イケメン(死語?)息子に囲まれた同僚の写真は誇らしげで、ほほえましい。



彼らは、日本人のように身内を謙遜しない。

夫と結婚して間もないころ、日本に遊びに来たシュートメに夫の話をしたとき、

「わかるわ、彼はそういう心が温かいすばらしい人間なの」

と言ったので驚いたことがあった。

そんなふうに手放しで身内を褒める人を見たことがなかったから、とても新鮮だった。

日本社会は、内輪のことは落としておくほうが無難、という暗黙のルールで成り立っていることを

改めて認識させられたできごとでもあった。

夜間のインテリア学校に通っていた時の仲間で、よく旦那さんのことを褒める人がいた。

やさしくて、家のことも手伝ってくれて、いつでも自分をサポートしてくれるすばらしい夫。

まだ独身だった私は、しあわせな結婚をしたんだなあと思って聞いていたが、

それから数ヶ月もしないうちに、彼らは離婚した。

「あんな完璧なダンナなんか、なんかおかしいと思ったのよねぇ」

という人もいた。

落としておけば幸せで、褒めはじめたら危ないということか。

自慢話には共感しにくいのはわかるけれど、これも文化の違いなんだろうか。




子供がいなくて寂しいでしょう、と何度か言われたことがある。

いたものが、いなくなったら寂しいだろうが、最初からいなければ寂しいとは思わない。

若い頃はバカ正直に言ったこともあったけれど、それからは曖昧に笑ってお茶を濁してきた。

子供がいる人が、子供なしの人生が考えられないように、そのまた逆もそうなのだ。

でも、10歳ぐらいの子供を見て、もしあの時子供が生まれていたらこのぐらいだな、

と想像することはある。

それは実感も感傷も伴わない、たとえば知らない国に思いを馳せるような単なる想像でしかないが、

そこに無理やり実体をかぶせてみるとすれば、自分と母を重ねるしかない。


映画の中でここぞというとき、あるいはお味噌のコマーシャルで、「おかあさーーん」と叫ぶ。

私も、誰かに「おかあさん」と呼ばれてみたい、と漠然と思ったのは、ずっと若い頃だった。

しかし、年齢を重ねて、私が母から無意識に受け継いださまざまなものに気づき、乗り越え、手放し、

闘い、そしてようやく自分の人生を手に入れた過程を思う時、

母親にならなくてよかったと胸をなでおろすのも、また正直な気持ちである。

母は今回の人生で、たまたま私の母親役をやっているだけで、母の中に小さな女の子を見つけてしまったとき、

私はこんな大役はできないと思った。



ヨットクラブでは、どのテーブルにも笑顔があふれて、

母親たちが、贈られたプレゼントや花を携えて、子供や孫に囲まれていた。

ここにいるすべての母親が、大役を引き受けているのだな。

そう思うと、拍手をおくりたい気持ちになる。


日本の母の日であった昨日、実家の母に電話をした。

家の電話も、携帯電話も、何度コールしても出なかった。

姉にメールをすると、たぶん家にいるんだけれど、動作が遅いから電話に出るのに間に合わないのよ、

ということだった。

母は、自分の母親を14の時に亡くしている。

こんなときにおかあさんがいたら、と思うことは山ほどあっただろう。

だからなのか、長生きするのが一番の子供孝行だと言ったことがあった。

母は50代で亡くなった祖母より、30年も長く生きている。

めっきり年をとってしまい、病を得てもいるけれど、私のようなめんどくさい娘を持ち

大役をかって出てくれた母に心から感謝している。







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