太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

歯医者で映画

2016-09-21 19:56:15 | 日記
上あごの奥歯が、何となくチクンと痛いような気がしたのは先月のこと。

そのあとは痛くもなんともなかったけれど、歯だけは自然治癒しなのもわかっているし、

虫歯だったら早めに治療したほうがいいので、歯医者に行った。

虫歯ではなかったが、昨年治療した歯でもあり、歯根が炎症を起こしている恐れもある。

ということで、歯根専門医に行くことになった。


アメリカでは、一般歯科でできることは限られている。

歯根の治療は専門医しかできないので、新たに予約を取り直す。

その専門医はホノルルにあり、2年ほど前に行ったことがある。

4人の歯科医師がいるオフィスで、前回は韓国人のカン医師だったが、今回はカンは留守で

ショーンという、これまたみるからにやさしげな若い医師だ。

レントゲンを見たショーンは、これは炎症を起こし始めているところだから

早めになんとかしちゃいましょうね、とやさしく言った。



麻酔を2本打ったあと、衛生士のキャシーが「映画を見る?」と言いながら

なにやらごそごそと引き出しから取り出した。

「けっこう良い映画が揃ってるわよ」

携帯電話をひとまわり小さくしたような端末で映画を選ぶ。

ゴーグルのようなものをかけると、画面に映像が出てくる。

ヘッドフォンから音が聞こえる。

治療をしている間、こうして映画を鑑賞しててくださいということのようだ。

これっていいアイデアだと思う。

治療時間は小1時間。

1本の映画を見るのにちょうどいい。

それに、何の器具を使うのかも見えないし、気持ちが映画にそれるので緊張が緩和される。



私はエディ・アイカウのドキュメンタリーを選んだ。

エディはまっとうなハワイアンの血筋をもつ、有名なサーファー、かつ、ライフガードだ。

1970年代、ホクレア号(昔ながらの航海法で航海をする船)に乗り込んだが、船が遭難し、

救助を呼ぶためにサーフボードで荒れ狂う海に出て行ったエディは、しかしそのまま戻らなかった。

他の乗組員はみんな無事に救助された。

エディを偲んで、ノースショアのワイメアビーチで(エディが好きだった場所)サーフコンテストが行われている。

本来なら毎年行われるはずだけれど、最高のコンディションの波があるときしか開催されない。

それが今年は何年かぶりで開催された。



ドキュメンタリーは興味深かった。

でも、歯を削るキーンという音で音声が消されてしまうのが残念。



いつから歯医者は、快適で痛くないところになったんだろう。

日本の歯医者がどうなっているのかわからないけれど、

景色のいい、ゆったりとした個室、いい音楽、丁寧で親切、そして何より痛くない。

子供の頃にこんな歯医者があったらよかったのに。

虫歯が多くて、夏休み中に治療しなくてはならない紙をもらうのが憂鬱だった私は本当にそう思う。


そのかわり、お支払いもそれなり。

今回の治療は、職場で払ってくれている医療保険が半分負担してくれても、自己負担が5万5000円なり。

アメリカに住んでいる限り、こればかりは仕方がない。





にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村



















痩せてきれいになるのは

2016-09-18 11:30:03 | 日記
職場に出入りする業者の担当女性が、しばらくぶりに顔を出した。

なんだかとてもやつれていたので、体でも壊したのかと思ったら、

ダイエットをしたのだという。

「痩せた、痩せた」

とみんなに言われ、本人も満足そうだ。

確かに痩せた。

しかし、痩せる前のほうがずっとよかったと思う。

ぽっちゃりしていた顔の肉が、芯がなくなったようにたるんでみえる。

首に筋ができて、ごりごりしている。

年齢は40代半ば過ぎぐらいだろうか。


私にも覚えがある。

離婚する前後、私は41歳だったが、ストレスで4キロ痩せた。

手の甲から腕にかけて、血管が勢いよく浮かんできて、

それがまるで私の父の腕にそっくりで、自分でもゾッとした。



痩せてきれいになるのは、たぶん若いうちだけである。

ある程度の年齢になったら、じゅうぶんにケアをしながら痩せるのでなければ、

ただ老けてみえるだけかもしれない。




老いはいつのまにか進んでゆくので、気持ちがそれについてゆかない。

年を重ねてゆくのは、悪いことばかりじゃないが、

ついこのあいだまでは似合っていたものが、なんとなくちぐはぐに見えることに気づくのは

なんともやるせない。

ルーズな着こなしも、ルーズなヘアスタイルも、若さがあるからこそ決まるのであり、

艶っぽく見えるはずの後れ毛に生活感が出ていたら、もうそういうことなのである。


ただ、いつ自分がそうなっているのかが、明確にわからない。

鏡に映る自分は、こうあるはずという希望と、過去の記憶のレンズを通しているぶん、

現実を見ているとは限らない。

写真は、現実にかなり近いと思う。

写真に写った自分を見てがっかりすることは多い。


友人同士で、「私がイタイ格好してたら言ってね」と言い合うことがある。

しかし私は、言わないのではないかと思う。

そして友人にも、言わないでほしいと思う。

ハワイの人々は、そういう観念からかなり自由だけれど、日本はとても厳しいと感じる。

人はいつまでも若くいられないとわかっていても、それでも若くいたいと思う気持ちはいじましい。

若々しい、と、若作りの違いを憎んでいたのは、私がまだ若かったからで、

若作りのどこが悪い、と、私はずいぶん寛容になった。



だから、一緒に歩くのが恥ずかしいぐらいだったら仕方がないが、

そうじゃないなら見逃して欲しいと思うのである。







にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村














じりじり

2016-09-14 19:41:41 | 日記
マイケル・エディ・エドワードは、カルガリーオリンピックのスキージャンプ選手だ。

彼の物語を映画で見た。


エディは、子供の頃からオリンピックにあこがれていた。

種目はなんでもよかった。

砲丸投げでも短距離でも棒高飛びでも、遊びといったらそれらの物真似ばかりしていた。

十代のとき、スキーに注目して、ダウンヒルに挑戦するが駄目で、

ひらめきがあってスキージャンプに変更した。


もちろん1度もジャンプをしたことがない。

ジャンプ用でもないスキー板をかついで、オリンピックをめざす人々のジャンプの合宿所に行き、

ジャンプのコツを教えてくれと頼む。

どのぐらいジャンプをやっているのかと聞かれ、

「昨日からです」と言ったエディを、全員が笑いものにする。

オリンピックに出たい選手は5歳ぐらいから練習しているんだ、22歳なんて遅すぎる、と

はなからバカにした。



エディは、あるコーチに出会い、カルガリーオリンピックで

イギリス最高記録を何度も叩き出す。



こういう話を聞くたびに、胸の一部がジリジリする。

なにがなんでも成し遂げたいという、明確な夢がある人が、

それも子供の頃から、脇目もふらずにそれに向かって進める人が、

私は心の底から羨ましいと思う。

羨ましいを通り越して、嫉妬さえ感じる。


韓国ドラマに夢中になって、韓国語を覚えたり、韓国に何度も行く人達や、

芸能人のファンクラブに入って、追っかけをする人達にも、

似たようなジリジリを感じる。

私には、そのとき、そのときの目標はあっても、

他のことが目に入らないほどの情熱で、追い続けるような夢はない。

たいそうな夢じゃなくてもいい。

何をおいても優先したい、夢中になれるものが私にはないのだ。

かろうじてあるとすれば、昔、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」全巻を読んで感動し、

坂本竜馬の軌跡を追いかけて、京都や長崎、鹿児島に行ったり

松下村塾の跡を見に行ったり、幕末に凝った時期はあった。

しかしそれも、そこに行くついでに足を伸ばしたようなものだ。


私のような人がほとんどなのだろうけれど、

私はそれでもジリジリしてやまないのである。






にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村














黒いハート

2016-09-14 19:31:48 | 不思議なはなし
日常には、「カミサマ、いたじゃん!」というような不思議なできごとがちりばめられている。

黒いハートの話は、いつか書いたことがあったろうか。



夫が日本に単身行ったのは35歳の正月だった。

その1年ほど前に、たまたま道を教えた日本人の旅行者と仲良くなった。

その人達が友達を連れて再び訪れたり、自分が日本に行ったりして友情を深めていた。

夫が日本に遊びに行った帰りの空港で、飛行機を待っている間のことだ。

手帳を取り出した夫は、空白のページいっぱいに大きなハートを書いた。

そしてそのハートの中を、黒く黒く塗りつぶしはじめた。

なぜそんなことをしているのか、夫はまったくわけがわからないのだが、

手が勝手に動いて、止めようにも止まらないのだそうだ。



ハワイに戻ってきてから、夫は心の声を毎日聞かされることになる。

「日本に行け 日本に行け」

自分の思考ではない思いが、ずっと頭を離れることがなかった。

当時、働いていた職場でのストレスで、ウツの薬を飲んでいたから、

その副作用でおかしくなったのかとも思ったらしい。



夫は子供の頃から、隣に住む日本人など、日本人や日本の文化が好きだったそうで、

最初に結婚した相手も、日本とアメリカのハーフだった。

それほど日本が好きでも、日本に住むことは考えたことはなかった。

心の声に対し、

でも仕事があるし。自分の家も買ったし。日本にコネもないし。日本語も話せないし。

と抵抗しながら、それでもやまない「日本に行け」攻撃に、とうとうブチ切れた。

仕事を辞め、車を売り、買った家を人に貸し、巨大スーツケース2個を持って日本に行った。

それが35歳の正月だ。

日本に行ってみたら、「お祭りみたいにハッピーばっかりだった」(夫・談)

2ヶ月後には仕事が決まり、引越しをして、6月に私と出会い、12月に結婚した。

12月に結婚することになっていたなら、逆算すれば、やはりその時期に日本に行く必要があっただろう。



「瞑想してさ、紙とペンを握ってみなよ。何か自動書記おりてくるかもよー」

冗談交じり、でもその実はちょっと本気で言ってみるが、

夫は私と違って、瞑想だ潜在意識だなんてのは、てーんで興味がない。

それなのに、私よりもスピリチュアルな体験をしているのはちょっとずるい。







今日のことだ。

夫が前に勤めていた会社が、公金横領していたそうで、

その捜査機関から夫に電話があり、いろいろ聞かれたらしい。

あのまま、その会社にいても、どうなっていたかわからない。

夫は、自覚のないまま心の声を聞いているのだろうか。






にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村
























Tokyo

2016-09-13 11:25:59 | 日記
11月に、日本に行くことにした。

そのときに、学生時代の友人に会う予定なのだが、

遠方に住む友人と、どこで待ち合わせるかという話になった。

互いに新幹線を使って東京で会うのが手っ取り早いのはわかっているけれど、

東京というだけで、二人とも腰が引けるのである。

私と友人は東京で出会い、何年かは東京に住んでいたにもかかわらず。



私にとって東京ほど、とらえどころのない場所はない。

選択肢が多すぎて、どうしていいのかわからなくなる。

たとえば静岡市なら、買い物をするなら、駅の北側の一画しかない。

とにかくそこに行けば、すべて徒歩圏内で映画もみられるし買い物もできるし、食事もできる。

選択肢がない、刺激がない、同じものしかないと言いつつも、

そのことに安心してもいる。

ハワイだって静岡みたいなもので、買い物に行くならホノルルしかない。

だからここの生活は、私に合っているといえるかもしれない。



ところが東京には、渋谷だの銀座だの代官山だの青山だのがあり、

うっかり足を伸ばせば横浜にも行ける。

東京に住んでいないので、情報がないのもあるだろうが、

さて自分がどこに行きたいのかがわからない。

日本に行くと、いつも東京に住む友人と会うことにしているけれど、

ナビゲーターの彼女がいるから、私は東京を楽しめると思う。



『いつからTokyoって行きたい場所じゃなくなったんだろう』



友人はメールでそう書いてきた。

それを読んで、本当にそうだと思った。

昔は、東京には自分が欲しいものがあると思っていた。

田舎にいては手に入らない、なにかすごいものがあって、

それは幻想かもしれないと薄々気づきながら、でも東京にいるだけでそれに触れていられるような気がした。



友人と私は、結局、地方都市で会うことにした。

互いに多少は土地勘があるのと、その駅には出口がひとつしかないらしいのが決め手だ。

あったとしても、出口が二つぐらいなら何とか会えるだろう。

田舎者同士が東京の見知らぬ駅で待ち合わせて、会える気がしない。

メールではやりとりをしているものの、最後に会ったのはいつだろうと考えたら

たぶん共通の友人の結婚式だったと思うのだが、思い出せないぐらい昔のことだ。

どんな再会になるのか、今から待ち遠しい。





にほんブログ村 海外生活ブログ 海外移住へにほんブログ村