伊勢神宮内宮の近くには宇治神社が鎮座しています。
今まで行こうと思っていたけど、
何故か足が向かずスルーしてしまっていたけど、
今日は何が何でも参拝してやる。
という訳で宇治神社へ向かっていると、
途中で小さな神社を発見。
それは饗土橋姫神社という変わった名前の神社です。
饗土橋姫と書いて「あえどはしひめ」と読みます。
<饗土橋姫神社>
所在地:三重県伊勢市宇治今在家町
御祭神:宇治橋鎮守神
創建:不明
社格:皇大神宮所管社
【由緒】
宇治橋を守護する饗土橋姫神社の創建も不明であるが、
文明9年(1477)の宇治橋架け替えの際に、
饗土橋姫神社の建て替えが行われていることから、
これ以前には存在したものと考えられている。
江戸時代には宇治の自治組織である宇治会合所の管理下にあった。
文政13年(1830)宇治橋とともに焼失した。
明治5年(1872)教部省は延喜式神名帳、延暦儀式帳に記載のない神社を、
一律に神宮所管から外し、度会県及び三重県管轄に移行した為、
饗土橋姫神社も神宮所管から離れることとなった。
宇治橋と宇治橋の前にある鳥居も同時に度会県へ移行した。
明治12年(1879)からは地元の宇治今在家町の住民が産土神として祀った。
明治14年(1881)に宇治橋と鳥居は神宮に戻ったが、
饗土橋姫神社はそのまま県の管轄下にあった。
その後、明治22年(1889)の第56回神宮式年遷宮に合わせて、
宇治橋が国費で造り替えられることに合わせ、宇治橋渡始式を行う上で、
饗土橋姫神社が県管轄では不都合であるとして、同年に内宮所管社に復帰した。
【石標】

【鳥居】

【本殿】

鳥居と本殿のみの本当に小さな神社です。
饗土橋神社の左上に社殿が見えます。
行ってみましょう。
<大水神社>
所在地:三重県伊勢市宇治今在家町
御祭神:大山祗御祖命
創建:不明
社格:皇大神宮摂社
【大楠】

【鳥居・本殿】

社格は内宮の摂社ですが、
社殿自体は小さなものです。
<津長神社>
所在地:三重県伊勢市宇治今在家町
御祭神:栖長比賣命
創建:不明
社格:皇大神宮摂社
【参道】

【本殿】

新たな神社を発見。
こちらも内宮の摂社の津長神社らしい。
末社の新川神社と石井神社が同座で祀られているとのこと。
今回の小さな三社には御朱印はございません。
今まで行こうと思っていたけど、
何故か足が向かずスルーしてしまっていたけど、
今日は何が何でも参拝してやる。
という訳で宇治神社へ向かっていると、
途中で小さな神社を発見。
それは饗土橋姫神社という変わった名前の神社です。
饗土橋姫と書いて「あえどはしひめ」と読みます。
<饗土橋姫神社>
所在地:三重県伊勢市宇治今在家町
御祭神:宇治橋鎮守神
創建:不明
社格:皇大神宮所管社
【由緒】
宇治橋を守護する饗土橋姫神社の創建も不明であるが、
文明9年(1477)の宇治橋架け替えの際に、
饗土橋姫神社の建て替えが行われていることから、
これ以前には存在したものと考えられている。
江戸時代には宇治の自治組織である宇治会合所の管理下にあった。
文政13年(1830)宇治橋とともに焼失した。
明治5年(1872)教部省は延喜式神名帳、延暦儀式帳に記載のない神社を、
一律に神宮所管から外し、度会県及び三重県管轄に移行した為、
饗土橋姫神社も神宮所管から離れることとなった。
宇治橋と宇治橋の前にある鳥居も同時に度会県へ移行した。
明治12年(1879)からは地元の宇治今在家町の住民が産土神として祀った。
明治14年(1881)に宇治橋と鳥居は神宮に戻ったが、
饗土橋姫神社はそのまま県の管轄下にあった。
その後、明治22年(1889)の第56回神宮式年遷宮に合わせて、
宇治橋が国費で造り替えられることに合わせ、宇治橋渡始式を行う上で、
饗土橋姫神社が県管轄では不都合であるとして、同年に内宮所管社に復帰した。
【石標】

【鳥居】

【本殿】

鳥居と本殿のみの本当に小さな神社です。
饗土橋神社の左上に社殿が見えます。
行ってみましょう。
<大水神社>
所在地:三重県伊勢市宇治今在家町
御祭神:大山祗御祖命
創建:不明
社格:皇大神宮摂社
【大楠】

【鳥居・本殿】

社格は内宮の摂社ですが、
社殿自体は小さなものです。
<津長神社>
所在地:三重県伊勢市宇治今在家町
御祭神:栖長比賣命
創建:不明
社格:皇大神宮摂社
【参道】

【本殿】

新たな神社を発見。
こちらも内宮の摂社の津長神社らしい。
末社の新川神社と石井神社が同座で祀られているとのこと。
今回の小さな三社には御朱印はございません。