Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

御霊神社(2023年1月1日参拝)

2023年03月23日 | 神社
北御堂の次は近くに鎮座する御霊神社へ。


所在地:大阪府大阪市中央区淡路町4丁目4-3
御祭神:天照大神荒魂、津布良彦神、津布良媛神、応神天皇、源正霊神
創建:不明
社格:府社
札所:大坂三十三所観音めぐり


【由緒】
嘉祥3年(850年)から大阪湾岸の圓江で行われた八十嶋祭の祭場とされた圓神祠に、
瀬織津比売神、津布良彦神、津布良媛神が祀られると、
社はやがて圓神社、圓江神社、津村神社と呼ばれるようになり、
摂津国津村郷の産土神社となった。

文禄3年(1594)因幡国鹿野藩主の亀井茲矩から船場の自邸敷地の一部を寄進され、
境内の小祠乾八幡宮と源正霊神を本殿に合祀した上で、圓江から船場の現在地へ遷座。

江戸時代になると鎌倉権五郎の権五郎から五郎ノ宮や、
訛ってごりょうのみやとも圓御霊とも呼ばれた。

また境内の南側には十一面観音を本尊とする神宮寺の宝城寺が作られた。
寛文年間(1661-1673)に御霊神社と改称し、宝暦3年(1753)に正一位の神階を授けられる。

明治時代に入ると神仏分離令によって、御霊神社と宝城寺の境内を分けることとなったが、
後に宝城寺は廃寺となった。

明治6年(1873)郷社に列する。
明治17年(1884)人形浄瑠璃の劇場文楽座が境内に開設。
御霊文楽座として近世文楽における黄金期の賑わいを見せる。
しかし大正15年(1926)11月に御霊文楽座から出火、本殿とともに焼失した。

昭和5年(1930)に社殿を再建するが、
昭和20年(1945)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び全てを焼失した。

昭和32年(1957)現在の社殿を再興する。
昭和34年(1959)鳥居玉垣を再建、その後、年を追って往時に勝る威容を整備しつつある。


【鳥居】



【拝殿】



【本殿】



【東宮】


皇大神宮、恵比寿神社、猿田彦神社、東宮十二社が祀られています。


【儀式殿】



【松ノ木神社】





【大黒社】



【御朱印】


拝殿が描かれた書き置きの御朱印です。
これはいただかざるを得ない。