週刊誌に連載されていた随筆は読んでいたけれど、多作の田辺さんの作品は読んでいないものが圧倒的に多いです。
『残花亭日暦』は小川洋子さんの『心と響き合う読書案内』で、『ジョゼと虎と魚たち』の中に合わせて取り上げられていて、読みたくなりました。
初出は角川書店の『俳句』平成13年9月号~15年12月号の連載。
お聖さん初の「日記文学」です。
「ただしいことなんか書かなくてよい、たのしいことだけ書く日記にしよう」と心に期して書き始めたそうなのですが、そのとたん、世界観が変わるような、出来事が次々起こるのです。
同時多発テロや大教大付属池田小事件、田辺さんご自身には“カモカのおっちゃん”こと人生を共に歩く同士、川野純夫さんがガンで入院、別れに向かう日々が始まってしまうのです。
高齢の母親と家で暮らし、半端じゃない執筆量をこなし、講演で飛び回りながら、病院の「パパ」を見舞います。
日々の楽しいことをくすりと笑いながら読ませてもらえるのですが、やはり切ないのです。
日記を書き始めたときは持病をもちながらも元気だった川野氏が1年を待たず、病院で亡くなります。
「・・・夫は自分の死を書き残してほしかったのだろうか。こうして『残花亭日暦』はできたのだった。」
と、田辺さんは後に随筆に綴っています。
伴侶の死を綴るのはご免こうむりたいのですが、こんな日記が書けたらいいなーという日々のできごとが読めました。
『残花亭日暦』が生まれたいきさつ、「日記の奇蹟」が載っているのは集英社の『楽老抄Ⅳ―そのときはそのとき』です。
ここ数年の間に掲載された、田辺さんの随筆をまとめたものですが、70歳台(執筆時)の方が綴る語彙の豊富さに刺激を受けます。
普段目にすることの少ない言葉が新鮮です。
草莽(そうもう)の傑物、怱忙(そうぼう)の日々、騒擾(そうじょう)ただならず、澎湃(ほうはい)と起こる、鬱海(うっかい)から出る、微醺(びくん)低唱している、朦朧(もうろう)たる濛気(もうき)、面晤(めんご)の映・・・
私がその文章を読む人の中では、平野啓一郎さん、宮崎哲弥さんなど若い人が難しい漢語を使ってますが、団塊の世代の一般人は使うことなどなさそうです。
私ももちろん使えません。残念なことですけどね。