ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

25年ぶり?下北沢飲み会

2007年07月03日 23時42分13秒 | 日常
 昨夜、猫の夕食を早めに作り、25年ぶりの友人が待つ下北沢に出かけました。
 25年前、劇団の研究所の夜間に通っていた仲間と久しぶりに会えるからです。といっても、それぞれ、個別にはその後も会ったことがあるのですが、3人そろうのは本当に20年以上なかったことでした。
 当時は、私がまだ、姉と永福町に住んでいたころです。週に3回くらい、授業があり、そのあとよくKさんと下北沢のトラブルピーチの下の「桃屋」で飲んだのでした。
 トラブルピーチはその後、久本雅美や福山雅治がよく行っていたそうですが、私たちはその前でした。
 そんななつかしい下北沢で、さらにMさんも来られることになり、楽しみでした。
 計画では、まず、昔別の場所にあったときのジャズが流れる焼き鳥屋の「陣太鼓(ずんでこ)」に行き、それからトラブルピーチに、でもあくまでも2階のほうで下の「桃屋」はゴキブリがいそうだからやめようということにして、それから、その後私が夫と行っていた隠れ家のようなバーに行ってゆっくりするというものでした。
 自分でも地図をプリントアウトしたのですが、どうも地図が読めない女なのか、本多劇場がここにあるのに、どっちだ??と右往左往して、ようやく「陣太鼓」の看板を見つけて店に飛び込んだら、がらーーんとしていて「アレッ?」と思ったとき、奥の席から懐かしい顔が見えました。
 私は猫の世話でばたばたして、すっぴんで出かけてしまいましたが、二人はしっかり化粧して昔と変わらないように見えました。一人は、息子が二人、もう一人は、情報なし・・・。懐かしい話と近況を話し込み、Mさんも10年前に結婚してうちと同じ、子供はいないことがわかりました。
 25年前の研究所での様子はそれぞれが断片的に思い出したことをつなぎ合わせ、ようやくこうだった、ああだったとわかる始末。記憶というのはあいまいなものです。店の様子も昔のことを尋ねると、私がよく行っていたころのほっそりした店長はもうとっくに田舎に帰ってしまったそうです。
 そろそろ次の店に行こう、そうだ、次は汚いトラブルピーチだから今のうちにトイレをすませようということで、それから店を出て、記憶を頼りにトラブルピーチを見つけ、やはりあまりに汚そうなので、「いるのは30分だけね!」と取り決めて、意を決して青春の思い出の店に狭い階段をひいひい言って上りました。
 薄暗い店内はやはり月曜日だからか、がらんとしていて、どこでもどうぞということで一番奥の座席に入り、ゴキブリが来ないか警戒しながらお酒を注文しました。私たちはおばさんだから邪険にされたのか、出てきたアルコール類は、量が非常に少なかったのです(次の場所で口々に文句を言いました)。昔よく行ったほうの1階の店が開いていなかったのですが、そこは午後8時から開けるとのことでした。帰りにその店を見せてもらい、写真を撮りました。25年前も汚かったから、さらに汚く、見事な店になっていました。まったく改良改装をしていないそうです。朽ちるのを待つだけ、という状態・・・。相当にすごかったです(この写真です、いかが?店に入る勇気がありますか?)。
 そして3軒目は、10年位前から夫とたまに行っていた隠れ家のような、民家のなかにある落ち着いたバー。こちらも、地図をプリントアウトしていたので、なんとか辿り着けました。でも、以前にはなかった別のバーが、その手前にできていました。
 さすがに、下北沢とは思えない、大人の雰囲気の静かで落ち着いた雰囲気で、居心地がよく、カクテルからウィスキーへとすすみ、Mさんは「もう、酔っ払っちゃった」と、翌日朝早くから仕事があるのに、ちょっときつそうでした。Kさんはお酒が好きなのでまだまだいけそう・・・。私も調子に乗って飲みすぎ、はっと気がつくともう11時過ぎ。慌てて帰りました。
 下北沢から八王子へはやはり、遠い・・・。帰宅したのは12時半ころ。さすがに疲れてしまいました。
 でも、青春下北沢めぐり、本当に楽しかったです。懐かしい友人に会って昔話をするのって、こんなに楽しいとは・・・。同窓会みたいなものですね。25年なんて、あっという間でした。そして、すぐに25年前に戻れるような気がしてしまいました。OLしながら通った劇団の研究所、指導教官のA氏は、いまはどうしているのでしょうか・・。
 ネットで検索したら、なんと82歳でご健在のようでした、びっくりーーー!
コメント (4)
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