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ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

初めての株主総会

2014年06月28日 20時25分36秒 | 日常

 地元で電鉄グループが葬儀会館を作るということで、町会は大反対をしています。それもあって、はじめて株主総会に出てみました。まあ、近場の八王子で開催しているからというのも大きな理由ですが。

 大勢の株主さん、ほとんどが高齢者。そして、役員の皆さんはすべて男性。質問の時には、別の会場の出席者から例の葬儀会館の件で質問がありました。結果、すでにこの電鉄グループは、葬儀事業への参入は決まっているとのこと、いまさら反対してもどうにもならないようでした。でも、だからといって、うちの地元が見捨てられたわけでもないと思います。

 家族葬という形が増えているということから、この事業への参入を計画したようです。たしかに、そうですよね。寿命は長くなり、高齢者の葬式は、現役会社員ではないのだから、大規模な葬式は必要はないわけです。

 なお、反対する理由というのが、黒ずくめの人たちが大勢繰り出すことの不都合ということですが、別に今どき、ファッションでも黒ずくめはあるし、商店街に人が集まるというメリットもあるんですから、反対するのはやめたほうがいいと私は思います。

 生と死は隣り合わせです。常に身近にあると思うべきです。いいじゃありませんか、高齢化が進む、かつての高級住宅地に葬儀会館、上等ですよ!喜んで受け入れましょう。明日はあなたかもしれませんよ、いい家族葬で見送られましょうよ!

 葬儀会館を作ることで、商店街も活性化されるかもしれません。

 以前、広告チラシが入っていた葬儀会館ではないけれど、外の墓地ではない、建物墓地の宣伝で、会館の中に、なんとあのベーゼンドルファーのピアノがあり、ホールでコンサートもってことに。そして、仏教式の会館墓地。いいじゃありませんか!

 ものは考えようではありませんか。ピンチをチャンスに変える。高齢化でさびれた商店街に、葬儀会館ができることで、活気が出るかもしれませんよ。

 思うに、生きること、食べること、死ぬこと、すべて循環していることなのに、食べ物でも、家畜をすることが忌み嫌われている現状、おかしくないですか?命をいただいて私たちは食べているのです。そして、死も隣り合わせなのです。生きている生活の中に、身近な死があるのです。それを隠すことはおかしいんじゃないですか?

 思うに、生と死も身近なら、生と性も同じ。平和ボケで、寿命が異常に長くなっているから、そのことに気がつかないのです。

 おととい、夫の樹木葬の墓参りをしてきました。彼は2年前に肺の小細胞がんで亡くなりました。悔しかったと思います。でも、死の床で、私は彼の手を握りながら、いつまでこの状態が続くのか、不安でした。一度は、息していないんじゃ?と、別室のモニターのあるナースステーションに駆け込んだものでした。

 彼は、ゆっくりと亡くなっていきました。生きたいと思っていたはずです。

 彼のわずかばかりの骨を、私は持っています。スケルトン探偵なら、その小さな骨のかけらが、どこの骨かすぐにわかるはずです。

 同じように、愛猫の骨も少しだけ手元に置いています。

 いずれは、樹木葬で私も一緒になります。いいですよー、樹木葬って。エラそうな墓石がまったくないし。

 人間って、本当にエラそうですよね。地球には、ほかにもたくさん生き物がいるのに。穏やかで美しい、日本独自の豊かな四季も、最近はどこかおかしくなりました。地球温暖化のせいでしょうか。地球がなくなる日ももしかしたら近いのかもしれません。

 もともと、人類は地球のがん細胞だと思っていました。がん撲滅を祈るばかりです。

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