「晩夏」というユーミンの歌がありますが・・。もっと昔の宮柊二の「晩夏」に、よくわからない(といっても、他のもよくわからないのですが)短歌がありました。
行春の銀座の雨に來て佇てり韃靼人セミヨーンのごときおもひぞ
これ、まったく意味が分かりません。ネットで検索すると、短歌研究会Bというところで、説明がありました。なんでも、ガルシアの小説「赤い花」からきているとか。セミョーンというのは人名で、シメオン、シモン、サイモンと同じ。ロシア人によくある名前だそうです。亡夫はなぜか、「シメオン」という名前が大好きでした。さてその「赤い花」には主人公の名前はセミョーンでも、韃靼人が出てきません。両方登場するのは、チェーホフの小説です。これは本人が勘違いしたのか、なんだかわかりませんが、謎ですよねえ。これを詠んだ頃、梅原龍三郎と安井曽太郎の展覧会に行っています。でも、両人とも、韃靼人やセミョーンという言葉がついた絵はないようです。
それにしても、貧しいとはいいながら、けっこう銀座とか、昼だけじゃなく夜も行っていたようで、奥さんと子供は何も知らず、気の毒ですよ。男って、これが当たり前なのか、頭來るな。