そういう言葉を知りませんでしたが、これは個人の日記や記録のことだそうです。
先の戦争で日本が敗戦になったとき、軍部は公文書や資料を焼却しました。証拠隠滅です。ただ、個人の日記などにより、多少は解明されています。この、個人の人々の日記や記録が、実は歴史の資料としてとても価値があるのです。
私が古文書に関心を持ったのは、夫が亡くなってからでした。そのもっと以前に、父の死後、彼の絵の展覧会をしたり、美術館に絵を寄贈したりしていましたが、力及ばす、父の絵を残すことはできませんでした。それに、私が社会人になってから父の絵のサポートをしてきて、自分の人生の半分はそういうことに費やされて、疲れてしまいました。最初に母ががんに罹り、それから父が闘病。その都度、私は会社を辞めて実家で看病。父からはお手当をもらっていたからまあ、働いていたということにはなりますが、この疎外感は本当につらかったです。両親が亡くなってからもずっとそういうことをしてきて、ついに自分の人生を取り戻したいと思い、夫が亡くなってから引越した先には、すべてを置いていきました。残った父の絵は姉に預け、両親の仏壇も姉に託しました。だって、私は二女なんですから。
引越すときに、父の絵の資料や父の日記も処分してしまいました。狭い家には自分の物だって処分しないと入れないのですもの。でも、どこかで罪悪感がありました。とはいえ、自分の人生は、自分のことで精一杯でしたから、もういい加減にしてほしいという思いがありました。
人の一生とは、誰かに痕跡を残せるものなのでしょうか。子どもだって、それはある意味、重荷ではあります。昔、父の同僚から、私が父の絵の伝道師だと言われたことがありましたが、それって何?と思いました。人の人生を背負うのは苦痛です。
いまとなっては、エゴドキュメントとなる父の日記などを処分してしまうなんて、最低なことだったと思います。でも、当時の私では、それを持ち続けるという気力も財力もありませんでした。断捨離が叫ばれている今日で、そういう観点から物を資料として残すことが、本当に出来るのでしょうか。とはいえ、私は父の資料を葬ったことには間違いはありません。残していたらいつか「古文書」のように、貴重な資料になったのかもしれません。あの世に行って、謝るしかないのかもしれませんね。
日記というものは、他の人に読まれるかもしれないという前提があるのでしょうか。私が思春期の頃、ノートにたくさん書いていましたが、こっぱずかしくて全部処分しましたっけ。父は、5年日記とか、けっこう立派なものを書いていました。今、私はこのブログを日記と思って書いています。確かに、ブログは、人に読まれるのが前提ですよね。そういえば、高野悦子の「二十歳の原点」、青春のバイブル的存在ですが、これは日記です。父の時代は石坂洋次郎の「若い人」が青春のバイブルだと言っていましたが、私のころは、この本ですね。彼女は自殺しました。