ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

ようやく、日記を書き終えました

2007年07月22日 15時48分18秒 | 日常
 ブログにせっせと北海道旅行の日記を書こうと思っていましたが、画像をたくさん貼り付ける方法がわからないので、自分のHPの日記に書くことにしました。旅行から帰って、ばたばたしていたので、旅行中のことを思い出せずに消えてしまうこともたくさんあったようです。困りました。詳細といっても、本当にざーっとあらかた書いただけですが、少しでも私の旅行の感動を伝えられたらと思います。よろしかったら、こちらをご覧ください。デジカメで写真は100枚以上は撮ったんですが、腕が悪いのでしょうね、採用できるショットが少なかったです、とほほ。
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ラーメンにはじまりラーメンに終わる

2007年07月19日 17時32分23秒 | 食に関して

 実は、私はそれほどラーメンが好きではないのです。あの脂っこいのは、まさに成人病の塊。スープを飲みきるなんて、恐ろしくてとてもとても。外食で食べることは滅多になく、家でも、夫が作る野菜たっぷりのタンメンしか食べないのです。
 今回の北海道旅行で、友人に教わった旭川ラーメンを北海道で最初の食事に食べました。が、そこはやっぱり、脂っこかったので、夜中にお腹が痛くなり、トイレにしばらく滞在していたのです。ま、これですっきりはしたのですが、その後、夕張から札幌に移動し、最後の夜を札幌で過ごし、翌日、新千歳空港に行き、飛び立つ前の北海道最後の食事が、空港の「雪あかり」という店の札幌塩ラーメンでした。こちらは脂っこさも感じなくて麺も好きな太さでしたし、とてもおいしかったのです。その店、12時前にもかかわらずとても混んでいました。韓国のツアー客19人が私たちより前に入っていました。韓国語はほとんどわからないので、彼らの言葉は何か硬くて怖いイントネーションでした。いつも怒っているような・・・。偏見ですよね。そんななか、彼らの一人、男の子が食券買うときに、日本語で「味噌ラーメン」と言ったのです。とても好感持てました。
 たぶん、私が海外旅行に行ったときも、現地の人はそう感じたのでしょうね。わからない言語でしゃべるより、間違ってでも現地のコトバで話してほしい、そういうことなんです。とくに挨拶は絶対、現地の言葉で言わなくちゃ!
 夕張のホテルマウントレースイでも、韓国人や中国人ツアー客が多かったです。でも、コトバを聞かないと、つい日本人と思ってしまい、エレベーターで「○階お願いします」といっても、きょとんとされちゃって・・・。こちらも英語で言えばよかったんですね。とほほ。
 同じアジアの人たちですもの、仲良く楽しくしましょう。日本に来たら、できるだけ日本語話してみてくださいね!きっと素敵な出会いになりますよ。
 北海道の食べ物は、本当においしいから、きっと彼らもラーメンやほかのいろんな食べ物、満足したことでしょう。私も、久しぶりのラーメン、おいしかったです。

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旭川で・・

2007年07月19日 14時52分21秒 | 日常

 12日の夜は、翌日7時台の羽田発の飛行機にそなえて、同行の女性の親戚宅に泊まらせていただきました(八王子からは無理なので)。そして早めに羽田に着き、預ける荷物や持ち込む手荷物を決めて、早めに待機していたんです。というのも、楽器を何とか機内に持ち込むため、とにかく早めに入って荷物をなんとかしようという考えでした。行きの飛行機は2階席で、ちょうど席の上の荷物入れに楽器ケースが入ってくれました。その近所の乗客もほかに入れたりと融通してくれて、本当に助かりました。何より、2階席は、座席の脇にも荷物入れのスペースがあるのです。ハンドバッグなどを入れられます。
 札幌へは1時間ちょっとで到着しました。そして、預けた荷物を確認し、そのまま、JRに乗りました。新千歳空港から旭川まで直通の特急があるのです。そして、旭川で旭山動物園に行くと話すと、緑の窓口ではその往復と動物園までのバスの往復、動物園の入場券も込みでとってもお得な切符を紹介してくれたのです。同行のAさんはJRのジパング倶楽部の会員で、JRが3割引になるのですが、計算するとそれよりお得なんです!うれしくて、早速それを購入し、すぐにでる特急スーパーホワイトアロー号に乗り込みました。向かい合わせにした4人席の背の裏の空間に旅行かばんを押し込め、2時間ちょっとで旭川に到着しました。そして、格安なのでネットで予約したホテルカンダに、チェックイン前でしたがとにかく行ってみて、部屋も空いているということで、荷物を入れさせてもらいました。朝食なしの素泊まりで3980円という安さです。部屋も快適で、とても広かったです。なにより、お風呂は別の大浴場も使えるとか、至れり尽くせりでした。
 私たちはさっそく、昼食に旭川ラーメンを食べに、友人に教えてもらったおいしい店「青葉」に行きました。ホテルと目と鼻の先の距離でした。そして、同行のAさんは塩ラーメン、私はしょうゆラーメンを食べたのです。でも、日ごろあまりラーメンを食べない私には、かなりこってりだったんです。お店の人は、雑誌やテレビで紹介されていることをとても喜んでいましたが、そのなかでも細木数子さんがひいきにしているというのは、ちょっと閉口。私は彼女、あまり好きじゃないのです。暴力団との関係とか、どうも素性があやしくてとても生まれがエレガントに見えないから(叶姉妹も同じ意味で、好きじゃないです)。ま、それはともかく、おいしければいいのですが、細麺だからちょっと、と思いつつ、ご馳走様を言ってすぐにバス停に向かいました。
 バスを待つ間、バス停には「乗って頂戴よ!」とばかりにタクシーがよく停まります。そのなかで、通り過ぎていったタクシーでものすごく注目したのが、コレです。なんと!フィットのタクシーなんです。色も黄色でかわいくて、「みつばちタクシー」と書いてありました。バスのチケットを買っていなければ乗ったかもしれません。私の車はフィットのミラノレッド、同じお仲間です。あまりにかわいくて、写真を撮りました。
 動物園は、やはりとても混んでいました。人類という動物を見に行ったようなものです。フラッシュはたかないでくださいと何度も注意しているのに、平気でフラッシュたくんですよね。どういうものでしょうか?そして、携帯で気軽に動物を撮っています。アザラシは滅多にあの円筒形のガラスに入ってきませんでした。ペンギンもしかり・・・。シャッターチャンスを狙ってもなかなかうまくいきません。そうこうするうち、同行者とはぐれてしまうし。結局、時間を決めて待ち合わせすることにして、単独行動で好きなように楽しみました。坂も多く、疲れてしまい、私はアザラシ、ペンギン、ホッキョクグマ、そして猛獣くらいしか見ませんでした。それで十分です。あとは旭山動物園グッズを購入し、北海道のソフトクリームを食べてのんびりしていました。
 夜は、ネットで探した海の幸を食べられる居酒屋に行きましたが、道産のものがあまりなく、東京の安い居酒屋と同じレベルでたいしておいしくなかったのが、残念でした。でも、ホテルはよかったです。

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行ってきました、夕張メロンオーケストラ!

2007年07月19日 09時42分04秒 | 日常

 ご無沙汰しました、一昨日の夕方、北海道から帰ってきましたが、旅行中の洗濯物、猫の世話と雑事に追われ、旅行の反省も整理もなかなかできないまま、やっと時間ができたので、少しずつ報告していきます。
 全国から集まったアマチュアやプロも少しいたようですが、クラシック好きの演奏家80人が夕張のホテルマウントレースイに集まり、2泊3日で難曲を仕上げましたが、個人的には私はぜーーんぜん、仕上がりませんでした、ごめんなさい。
 ビオラは9名で、2回目の演奏会は一人減って8名という心細さ、隣のチェロは12,3名もいたんですよ!それなのに、ワーグナーのニュールンベルクのマイスタージンガー前奏曲や、エルガーの威風堂々など、管楽器はド派手ですが弦って、かなりむずかしいことをやらされてヒーヒー言ってしまいました。ボウイングも、K先生の意図で、音楽的に合っていればこだわらないということに甘え、ほとんど合わせていなかったから、それだけ見たらバラバラに見えたでしょうし、実際弾けなくて逆になっていたなんてことも多々ありました。最初にパートリーダーのTさんが隣にKさんをご指名したのは正解でした。私はその後ろでよく迷子になってうろうろしていましたし(ごめんなさい!)。あと一日あれば、もっとうまく演奏できたかも、というのは、悪あがきというものでしょう。その練習のつらさ以外は、ものすごく楽しめた合宿でした。同室には、一緒に行ったヴァイオリンのAさんのほか、八王子のご近所に住むフルートのOさん(美人です!)、千葉県のOさん(こちらも美人)で、楽しく過ごさせていただきました。
 14日に集まり、午後から練習、そしてティータイムには、お目当ての夕張メロンが一人半分という高待遇!!おいしかったです。初日は夕食後も練習で、翌日は午前、午後と練習があり、再びティータイムにメロンをいただきました。二日目のほうが熟していて最高においしかったです。そして夜は打ち上げ。演奏会は二日目と3日目の昼にあり、3日目はモーツァルトの歌曲もありました。私はモーツァルトが大好きなので、こちらの伴奏にも参加しました。実際、演奏も一番好きなのがこれでしたし・・。ただ、あまりに難曲ぞろい(そう、メインはベートーヴェンの運命!)で、3日目は運命全曲弾いた後のモーツァルトなので、バッテリー切れ状態で、あまりうまく弾けませんでした。私はオケの経験があまりないから、長時間集中力を続けるのがきびしい・・・、困ったものです。運命も、前の日の、1楽章と4楽章だけ演奏したときのほうがまだよかったのでした。と、後悔してもしかたないけれど、地元夕張の人たちがたくさん聞きにいらしてくれて、本当に楽しかったです。私たちの応援が少しでも気に入っていただけたらうれしいです。
 そんなこんなの、北海道旅行、本当に楽しかったです。地元の新聞でも少し、取り上げてくれました。こちらをご覧ください。もうひとつが、こちら。私も微妙に写っています。ホテルもすごく素敵で、温泉も露天風呂にも入り、夕張を堪能しました。見えないめがねで、夜は満天の星を鑑賞しました。本当にいいところです。JR夕張駅もびっくりするくらいかわいくて?ホテルの中に駅があるの?と思ってしまいました。
 機会があれば、ぜひまた行きたいです。夕張応援したくて、自宅にメロンを買いましたし、Tシャツも2枚、さっそく昨日、歯医者に着て出かけました。メロン、本当においしかったです!

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抜糸

2007年07月11日 22時15分04秒 | 日常
 先週水曜日に、レーザーメスで脇の下の粉瘤切除の手術をして、それから毎日のように消毒に通っていました。入浴はだめといわれていましたが、ドラッグストアで保護フィルムを買って、入浴していました。ただでさえ肌が弱い私ですから、デリケートな脇の下に保護フィルムはちょっときつく、先生が消毒のたびに「かぶれてますね、つらいでしょう?」と気にかけてくれていました。
 正直に、保護フィルムのせいですともいえず、ごまかして生返事をしていたのです。
 今日が抜糸といわれ、治療も今日までかとうきうきしていたら、なんと、明日も診察を受けなくてはいけないそうです。そう、糸穴がきちんと閉じているかをチェックして初めて入浴の許可が下りるんですって・・・。
 明日の夜、旅行したくして出かけるのです。まいりました。だから、昼の時間に予約を取りました。
 どうしましょう、練習不足がさらにひどくなりそう。明日は一日、練習していようかと思っていたのに・・・。
 まあ、一番後ろで弾いているから、勘弁してもらおうかな??
 夕張のホテルには温泉があるんです。楽しみ!でも、大丈夫かしら、まだ保護フィルムつけないとだめだったりして??
 というわけで、17日に帰宅しますが、それまでブログはご無沙汰してしまいます。申し訳ありません。
 メロン食べ放題といっても、歯肉炎の私には、知覚過敏でちゃんと食べられるかどうか、心配です。粉瘤切除後も抱え、なんとも情けない合宿参加者ですね。さらに練習不足じゃ、もう、お呼びでない?
 今は、台風4号がおとなしく邪魔をしてくれないことを祈るばかり。それでは、ごきげんよう!
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札幌楽器博物館

2007年07月09日 09時31分09秒 | 音楽
 いよいよ今週に迫ってきました夕張メロンオーケストラの合宿。せっせと準備(旅行かばんにつめるものであって練習してるわけじゃないのがお恥かしい)していました。そして、札幌で最後の夜に何を食べよう、なんてあちこちサイトで探していたら、なんとなんと、札幌に、指導の菊地俊一先生が、楽器博物館を作っていたなんて、知りませんでしたーーー。
 ぜひ、寄ってみたいです。そういえば、先生はよく、「ウチに来ればたくさん古い楽器を見せてあげるよ」と言っていたのでした。よほど自宅にたまってしまったのでしょうね。なかなか、すごそうです。絶対に見たいなー。
 紹介のエルムのサイトはこちらです。さて、地下鉄に乗ったほうがいいのか、JRに乗ったほうがいいのか・・・。そういえば、東欧激安ツアーでも、あまりに寒くてウィーンの地下鉄を延々乗っていたことがありましたっけ。知らない土地での電車って、楽しいですね!
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インチキ野郎の横行

2007年07月08日 17時16分45秒 | 社会

 先日、今の赤城農水相の事務所経費が怪しいというニュースを見ました。前の農水相は、あの還元水で莫大な費用を計上した松岡氏でしょ。またも!という感じで、これは、そういう人物を大臣に任命した総理にも責任があると思います。さすがに、赤城氏は自殺しそうにないずうずうしそうな人だけど・・・。
 そしてこの前、消費税を上げるようなことを総理は言いました。年金問題のずさんな処理の経費を増税でまかなおうとしているわけです。信じられます?払ったお金はきちんと、といっていたあの安倍総理が、なんとこともあろうに、またまた国民からお金をむしりとるのです。腹が立つこと、この上ないですよ。どういう神経しているんだか!
 彼の歴史観も本当にどうかしています。辞任させられた久間氏とほとんど変わりないでしょう。
 戦争中の、日本政府にとって、そしてもちろん軍にとっても都合の悪い文書はすべて破棄焼却したのは当然です。だからこそ、証言が大事なんです。沖縄戦の集団自決は、軍の命令じゃなかったなんて、そんなこと、絶対にありえません。少なくとも、そう仕向けたのは事実です。沖縄の人たちの痛みを、どうしてわかろうとしないのでしょうか。政治家として許せないです。このまま、証言する人が高齢で亡くなってしまうと、歴史の事実も埋もれてしまいます。なんとも残念でしかたありません。

 教育とは恐ろしいものです。子供のころから鬼畜米英と植えつけてきた教育によって、敵性外国語はまったく排除され(だからこそ学ぶべきなのに!)すべてに自由を奪ってきて、何か言えばすぐに「非国民」にされてしまったのです。ここに面白いレポートがあります。これで当時の状況が少しは想像できるのではないでしょうか?こちらです。
 
 私は生きていくうえで一番大切なのは自由だと思っています。だからこそ、国家挙げての戦争こそが一番憎むべき状況だと思っています。国は、最後まで戦争を回避しなくてはなりません。憲法改正の国民投票をするのなら、国民が9条を守るという選択をすればいいのです。国家は、年金問題でもわかったように、国民一人ひとりをきちんと守ってくれそうにありません。だとしたら、戦争放棄をなくしてしまったらまさにあの時代に戻ってしまいます。二度と戦争をしてはならない、それが国民の多数を犠牲にした日本が選んだ道なのです。アメリカがなんといおうと、原爆投下を肯定できるものではありません。アメリカは、国内での核実験の被害者も公表していません。何も知らずに実験に巻き込まれた兵士や住民がたくさんいるのです。信じられません。
 
 平和こそ、人類と地球のために必要な生きる道なのです。核兵器を使って地球の生態系を狂わして何がいいのでしょうか。産業革命以来、人類が地球にしてきたことを振り返って反省しなくてはなりません。

 平和こそ、人類が地球と共に生き残る手段です。二度と戦争をしないために、どうかみなさんも協力してください。沖縄戦の集団自決について、沖縄の人たちがこういう運動を起こしています。ぜひ、ご覧ください。
 私は季刊戦争責任研究を購読していますが、先日、この問題で、新たな動きがありました。「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」が先月、発足しました。さっそく入会しました。興味のある方は(ぜひ、興味を持ってください!)、こちらを参照してください。

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粉瘤手術

2007年07月04日 18時40分21秒 | 日常

 今日の午後、八王子クリニックで例の粉瘤手術をしてきました。場所が脇の下なので、顔は反対側を向いて仰向けで手術をしていたから、何がなんだかわからないまま、終わりました。何か引っ張られるような感覚があったのですが、きっと麻酔の注射だったのではないでしょうか。
 最後に、イソジン(あの喉の薬?)を塗って終了。麻酔が切れたらけっこうひりひり痛むらしいのです(とほほ)。
 明日は代々木の歯医者の帰りにまた消毒に通います。夕張は大丈夫なのかな、ちょっと不安になってきました。
 さて、初ヌード(洗面所で撮影)。こんな状態です。大きな絆創膏ですよね。腕を下ろすと、KONISHIKIの脇の下みたいな感じでしょうか、違和感があります。
 早く治ってくださいね。しばらくは薬服用でアルコール厳禁だそうです。

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25年ぶり?下北沢飲み会

2007年07月03日 23時42分13秒 | 日常
 昨夜、猫の夕食を早めに作り、25年ぶりの友人が待つ下北沢に出かけました。
 25年前、劇団の研究所の夜間に通っていた仲間と久しぶりに会えるからです。といっても、それぞれ、個別にはその後も会ったことがあるのですが、3人そろうのは本当に20年以上なかったことでした。
 当時は、私がまだ、姉と永福町に住んでいたころです。週に3回くらい、授業があり、そのあとよくKさんと下北沢のトラブルピーチの下の「桃屋」で飲んだのでした。
 トラブルピーチはその後、久本雅美や福山雅治がよく行っていたそうですが、私たちはその前でした。
 そんななつかしい下北沢で、さらにMさんも来られることになり、楽しみでした。
 計画では、まず、昔別の場所にあったときのジャズが流れる焼き鳥屋の「陣太鼓(ずんでこ)」に行き、それからトラブルピーチに、でもあくまでも2階のほうで下の「桃屋」はゴキブリがいそうだからやめようということにして、それから、その後私が夫と行っていた隠れ家のようなバーに行ってゆっくりするというものでした。
 自分でも地図をプリントアウトしたのですが、どうも地図が読めない女なのか、本多劇場がここにあるのに、どっちだ??と右往左往して、ようやく「陣太鼓」の看板を見つけて店に飛び込んだら、がらーーんとしていて「アレッ?」と思ったとき、奥の席から懐かしい顔が見えました。
 私は猫の世話でばたばたして、すっぴんで出かけてしまいましたが、二人はしっかり化粧して昔と変わらないように見えました。一人は、息子が二人、もう一人は、情報なし・・・。懐かしい話と近況を話し込み、Mさんも10年前に結婚してうちと同じ、子供はいないことがわかりました。
 25年前の研究所での様子はそれぞれが断片的に思い出したことをつなぎ合わせ、ようやくこうだった、ああだったとわかる始末。記憶というのはあいまいなものです。店の様子も昔のことを尋ねると、私がよく行っていたころのほっそりした店長はもうとっくに田舎に帰ってしまったそうです。
 そろそろ次の店に行こう、そうだ、次は汚いトラブルピーチだから今のうちにトイレをすませようということで、それから店を出て、記憶を頼りにトラブルピーチを見つけ、やはりあまりに汚そうなので、「いるのは30分だけね!」と取り決めて、意を決して青春の思い出の店に狭い階段をひいひい言って上りました。
 薄暗い店内はやはり月曜日だからか、がらんとしていて、どこでもどうぞということで一番奥の座席に入り、ゴキブリが来ないか警戒しながらお酒を注文しました。私たちはおばさんだから邪険にされたのか、出てきたアルコール類は、量が非常に少なかったのです(次の場所で口々に文句を言いました)。昔よく行ったほうの1階の店が開いていなかったのですが、そこは午後8時から開けるとのことでした。帰りにその店を見せてもらい、写真を撮りました。25年前も汚かったから、さらに汚く、見事な店になっていました。まったく改良改装をしていないそうです。朽ちるのを待つだけ、という状態・・・。相当にすごかったです(この写真です、いかが?店に入る勇気がありますか?)。
 そして3軒目は、10年位前から夫とたまに行っていた隠れ家のような、民家のなかにある落ち着いたバー。こちらも、地図をプリントアウトしていたので、なんとか辿り着けました。でも、以前にはなかった別のバーが、その手前にできていました。
 さすがに、下北沢とは思えない、大人の雰囲気の静かで落ち着いた雰囲気で、居心地がよく、カクテルからウィスキーへとすすみ、Mさんは「もう、酔っ払っちゃった」と、翌日朝早くから仕事があるのに、ちょっときつそうでした。Kさんはお酒が好きなのでまだまだいけそう・・・。私も調子に乗って飲みすぎ、はっと気がつくともう11時過ぎ。慌てて帰りました。
 下北沢から八王子へはやはり、遠い・・・。帰宅したのは12時半ころ。さすがに疲れてしまいました。
 でも、青春下北沢めぐり、本当に楽しかったです。懐かしい友人に会って昔話をするのって、こんなに楽しいとは・・・。同窓会みたいなものですね。25年なんて、あっという間でした。そして、すぐに25年前に戻れるような気がしてしまいました。OLしながら通った劇団の研究所、指導教官のA氏は、いまはどうしているのでしょうか・・。
 ネットで検索したら、なんと82歳でご健在のようでした、びっくりーーー!
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