昨日、退院して、今日、大学病院から入院費用の請求額のお知らせがありました。7月22日から昨日の8月9日まで、途中2日間くらい外泊(自宅)があったけれど、うーん、20万円近くは相当、大きい額です。まあ、医療費として計上されない差額ベッド代が大きいとは思います。4人部屋で5250円、それはしかたないですけれど、協会けんぽに申請して、限度額認定証をもらったので、医療費は相当低くしてもらっているはず。でも、高度医療の費用と差額ベッドは、とても大きいということなのでしょう。
思えば、私は専業主婦13年のあと、夫の退職(定年前でした)のために職業訓練校に半年通い、医療事務を学んだのが今になってようやく役に立ったのかもしれません。現役での再就職では名全く生かせなかったこの医療事務、システムをわかるだけでも相当違ってくるのがありがたいです。
50代での再就職、未経験での医療事務は全く門戸が開かれていませんでした。ということは、医療事務コースでの50代以降の入校自体、意味がないということにもなることだと思います。せっかく入れてもらえた調剤薬局でも、PC操作の未熟ということで早期に離職を迫られたのは本当に悔しいとしか言いようがありませんでした。でも、それは個人的に職場のトップとの相性の悪さが原因だったと思います。
その中で、嘱託職員として地元の市民センターに就職できたのは、本当にラッキーだと思います。二人で失業し、さらに夫が闘病なんてことは、もう本当に世も末の状況であったと思います。
私の両親は、母が父の早期退職にともなう引越しで親戚がたくさんいる東京下町から突然に八王子の高尾への移住を余儀なくされ、そのストレスで「多発性骨髄腫(骨のガン)」を発病したのは昭和62年頃だったでしょうか。最初は、自宅のトイレでの大たい骨骨折でした。その前から、朝起きるのがつらいと聞き、近くの病院で見てもらっていたのにこんなことになってしまい、高尾のK外科では「おばあさん」扱いで悔しい思いをし、その後すぐに武蔵野赤十字病院に移転して病名が判明したのでした。父は、母の性格から、告知はしないという方針で私たち娘二人もつき合わされました。確かに、車椅子で帰れるところまでは改善したのに、昭和天皇の崩御の前に母は亡くなりました。公立病院なのに、主治医の先生が宗教勧誘を行っていたことに私は今も憤りを収めることができません。自分の病名を知らなかったからこそ、最後まで希望が持てたのかも知れませんが、宗教に走ることで苦痛が和らぐと思った母も気の毒です。
父はその後、高尾山麓で一人暮らしをして、週末に私が様子を見に行くという月日が過ぎて生きました。父は、一人暮らしの食材を毎日配送してくれるシステムを利用し、料理も、「味噌汁はお前よりうまいよ」と言うほどに達者になり、大好きな牡蠣フライを食べたいためにIH調理器具を購入したり、とても前向きでした。趣味が生きがいになっていた絵の制作に国内あちこちを回っていましたが、あるとき、おへそにおできができたということを聞いたのが、東京下町の家族で住んでいた家を改築した姉家族の新築疲労パーティーだったのでした。夫はそのとき、趣味の料理の腕を披露していましたっけ。おへそにザボンのようなできものができて、近所の皮膚科に行ったんだけど混んでいて・・・。それで一度見てもらったらすぐに大学病院に回されたのでした。それは、悪性黒色腫(メラノーマ)の発症だったのです。その頃、私ももともとの目の悪さから、思い切って帝京大学医学部病院で手術を受けることにしたのです。同じ時期だね、と気楽に話していたのが、とんでもないことになっていたのでした。
父の治療を私と姉の二人だけで決めるなんてこと、おかしいと思いました。最初の手術では形成外科に所属して入院していましたが、皮膚科に移ってからは告知の相談をしたら、そのほうがいいということで、姉を説得して父に告知してもらいました。でも、希望を失ってしまったのか、それからのガンの進行は早かったと思います。姉には今も後悔があると思います。でも、私はどんなことがあっても、自分の治療は絶対に自分で決めるべきだと今も思っています。自分の人生を、他の誰がコントロールできるっていうのでしょう?
怖くても、自分の現実に向き合うべきです。
今、夫は自分の現実に向き合っています。私も、家族として向き合っています。できるだけ、長生きしてもらいたいです。ガンは、自分の細胞の一部なんですよね。だから、うまくコントロールして一緒にうまく生きていくしかないのではと思います。モグラたたきのように叩いて効果があるのは、初めだけではないでしょうか。あとは、もう一緒に生きていくしかない。だからこそ、本人の心構えが大事なんだと思います。
生まれたときから老化がはじまっています。私たちは、いずれ死ぬのです。自分の人生をどうコントロールするか、どう生きていくか・・・。夫婦なんて、残されたほうが「負け」なのかもしれません。
今日は、一人でランチを作って、あけてからだいぶ経つ赤ワインを一緒に飲んでしまいました。
一人で生活するより、鬱陶しくても二人のほうが、楽しい!その時間をもっともっと長くしたいです。
みんなに言いたいです。健康なうちに、民間のガン保険に入ったほうがいいですよ。どれだけ経済的に助かるか、わかりません。生きるということは、お金もかかるということです。国なんか、何もしてくれないじゃないですか!