ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

憧れのシエナ

2010年08月17日 22時02分52秒 | 日常

 今朝のとくダネ!の小倉さんから、イタリアで一番好きだったのがシエナと聞き、すごくうれしかったです。私は2001年と2002年に続けて2回、シエナに行きました。

 昨日のNHKの家族に乾杯は、ウラジオストックでした。私が最初にヨーロッパに行ったのは母が亡くなった年の春。アエロフロートという旧ソ連の航空会社の飛行機で、モスクワ経由でパリに行きました。モスクワでは、ソ連兵がいて、それはそれはとてもかっこよくて驚いたのを覚えています。そう、昨夜のウラジオストックの町の人たちもそうでした。女性ももちろん、美しい!

 その後、ようやくイタリアに行かれたのは、父の代理でカンヌの日仏芸術祭に出かけたときで、イタリア観光がついていたから。

 その後、親友がアッシジに行くというのに同行したのがイタリア2回目、そしてパン教室師範科が終わって自分のご苦労様で申し込んでいたイタリアツアーが参加者不足で行かれなくなり、親友の薦めたイタリアの料理研修に急遽参加したのがシエナの1回目でした。

 中世の都市国家そのままで、町並みも素敵だし、イタリア料理もおいしく、毎日が楽しかったです。特に、ジェラートは最高でした。

 コントラーダという地区に分かれて結束するその熱狂は、見ていて面白くてたまりません。料理研修のレラ先生は、ふくろうのコントラーダでした。この写真のコントラーダは、何だったかしら?

 小倉さんが言っていた、パリオを行うカンポ広場が、こちらです。

 この建物の左を入ったすぐに、地元の人たちでにぎわうレストランがありました。とにかく信じられないくらい量が多い!

 シエナのドゥオーモは、すごく美しいです。この教会の上に上ると、町を一望できる場所があります。言葉が通じなくて、「パノラマ!」を連発して、ようやく通路を教えてもらいましたっけ。穴場なんですよ。

 2年連続して泊まったのが、ミネルヴァというホテル。うまくすれば、テラス付の部屋に泊まれて、そこで食事ができるのが楽しいです。よく、農協スーパーで惣菜とワインを買って、同室の方と食事をしましたっけ。

 トスカーナのワインは、本当においしいです。その料理研修も、先生が作っているのを見て試食する形式ですが、試食のときに必ず地ワインが出るのです。たまりませんよね。

 シエナはフィレンツェよりもごちゃごちゃしていなくて治安もいいし、本当に素敵な憧れの街でした。みなさんもぜひ、シエナを旅してみてください。小倉さん、ありがとう!

 レラ先生の料理研修の世話をしてくれたのは、シエナ在住の大矢アキオ、マリさんご夫婦です。

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また入院

2010年08月16日 09時16分45秒 | 日常

 今日からまた、夫が入院します。それなのに、食材いろいろ買ってしまったみたいです。またも、冷蔵庫整理におわれるかも・・・。

 職場でも、相棒の自転車がわざと壊されたりと、いいことがありません。

 女性二人の遅番勤務、ちょっと怖いというのが実情。

 昔、友人が海外旅行の一人旅をよくしていましたが、いつも緊張を強いられるからけっこう大変なんだと言っていたのを思い出します。

 一人で生活するというのは、本当に緊張の連続です。

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大本営と玉砕

2010年08月13日 11時07分33秒 | 社会

 遅番勤務なので、見たい番組はGコード予約して翌日午前中に見ています。

 で、今日見たのは、昨夜の爆笑問題の戦争についての番組と、ドキュメンタリーで玉砕について。

 ともにいい番組でした。戦争へのアプローチ、戦争に対する考え方と取り上げ方は、よかったと思います。同時代でいながら、アフガニスタンやイラクでテロが続いているのに、日本人の私たちは何も知らない怖さを感じました。つまり、時代が違うとかいうのではない「戦争」の怖さを、現実として考えられるかどうかだと思います。

 あの戦争はどうして始まってどのように戦って負けたのか、どれだけの被害とどれだけの加害をしたのか、本当に今、きちんと検証しないと、右翼も左翼もまともに議論すらできないのではないでしょうか?

 思えば、天皇の神国として精神論を振りかざし、犠牲を平気で求めていたずらに人間の命を無駄にしてきたあの当時の「大本営」って、イスラム原理主義者と同じような気がします。まさに、聖戦と思っているからやっていたけれど、自分自らではなく、他の人間を道具に使う、自爆テロと人間魚雷回天や特攻隊、玉砕なんて、まったく同じ構図ではないかしら。

 大本営のメンバー全員が、東京裁判で処刑されていたわけではないのに、驚きです。物資補給を絶って見殺しにしていたという富岡定俊という人、昭和40年代まで生きていて、著書まであるというのに、呆れます。これって、東京大空襲を計画実行したルメイという軍人に戦後、日本がこともあろうか勲章を贈ったのと同じ!

 援軍も物資も補給せずに作戦を考え、食料は現地調達だという無謀な計画を立てて平気でいる人間が、のうのうと戦後も生きていたなんて、うーん、許せないですね。

 戦争は、平気で人を殺すことです。戦争にならない努力が一番必要なのです。戦うということがいいことだと、私は思いません。少しの我慢をみながして、平和になればいいじゃないですか。何かを独占することで戦いが生まれるのでは?

 人には言葉があります。言葉が通じなくても、音楽があります。肌の色が違っていても、目の色が違っていても、みんなが同じ人間であることにかわりがないのですから、みんなが同じ命の重さなのです。もう、二度と戦争をしないで!しないための努力をしましょう!

 アメリカがいままでしてきた戦争、異文化、異民族に対してのことがほとんどですよね。やっと黒人が大統領になったけれど、原爆投下は正しかったといまだに思っている白人中心の国家、何も変わっていないのかも知れません。

 玉砕のドキュメンタリーで、靖国神社がどのように利用されてきたかがはっきりわかりました。洗脳とは、恐ろしいことです。

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ビヤガーデン

2010年08月12日 11時34分03秒 | 日常

 八王子の勤労者福祉サービスセンターの会報に載っていてさっそく購入したビアガーデンのチケット、せっかくだからと、退院した夫と昨夜でかけてみました。お盆の最中ということもあって、予約はいっぱいで、私たちはチャペル席になりました。

 もともと、結婚式場のところを利用した空中庭園とチャペルでのビアガーデンです。チャペル席というのも面白いからと、楽しみでした。

 6月中に一度行ったときは、ガーデンで二組しか予約がなかったときでしたから、それに比べたらすごい!でも、メニューはさほど変わっていませんでした。まあ、そのときは夫は一滴も飲まないでウーロン茶にしていたから、今回は二人で飲み放題を楽しめたわけです。

 そこに行く前、ヨドバシで地デジテレビをいろいろ見ました。そろそろ考えないとまずいわけですから。でも、あまり大きなものは我が家の台に乗らないし、どうしようかと悩んでいます。確かにとてもきれいだから、この際、買い換えたいものです。思っていたほど高くないという印象を受けました。さて、どうしよう・・・。うちのBSアンテナも買い換えないといけません。せっかくだkら、BSは続けたいし・・・。

 父は、新し物好きでした。BSの出始めの頃に買い、闘病していましたから、私はよく、父の家で衛星画像を見ていました。あの当時、ユーミンの歌を流して延々と風景を写しているという、なんとも気持ちが休まる番組が多く、楽しかったです。今は、どこもおしゃべりが多くてうるさい番組ばかり・・・。特に民放バラエティーは、辟易してしまいますけど、これからもこういう風潮が続くのかしら。うんざりですね。

 尾てい骨の大打撃、いまだに痛くてたまりません。今日から遅番勤務ですが、大丈夫かなー。

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自分の不注意で

2010年08月11日 12時43分00秒 | 日常

 去年9月に亡くなった飼い猫の初盆です。両親の仏壇に、大きな骨壷で鎮座していますが、いずれ合同墓地に合祀するつもりではいます。

 さて、無宗教なのでいつもよくわからないまま、お盆をしていますが、さっき、おからを焼いてお迎えしました(つもりです)。そして、お経のテープを流し、唱和していました、その前に、仏壇周りでいろいろ準備しているとき、すぐそばの座卓の角に気づかず、思い切り尾てい骨をぶつけてしまいました。なんだか、手指もぴりぴり来るひどい衝撃です。あーあ、夫には、自分の不注意といわれるし、肋骨や尾てい骨って、自然治癒しかないんですものね。それにしても、座ると痛い・・・、とほほ。

 近所の巣^パーでお盆お供えセットとして、野菜の詰め合わせでどうも食べられそうになりものを700円近くで、果物のお供えで食べられそうなものを千円以下で売っていました。相当悩んだ挙句、食べられないものにはお金払うのがもったいないからと、果物セットにしました。うちの両親は、特に愛知県出身の父は果物大好きな人でしたから。

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日韓併合100年

2010年08月11日 08時33分19秒 | 社会

 朝鮮半島植民地化の日本の誤った政策について謝罪したことが、どうしてこんなに問題になるのでしょうか?謝罪は当然のことだと思います。

 自民党の超右翼の安倍さんの方が、よほどアナクロではないかしら?

 どれだけのことをしたのか、アンタはわかっているのか?

 日本政府は政府として戦前も戦後も続いているとしたら、日本国民を犬死させ、さらに原爆投下とじゅうたん爆撃で国民を犠牲にした罪は、まだ謝っていないではないですか。国を守るって、こんな借金大国、誰が守るっていうの。どうぞ、鳩山お坊ちゃまや超右翼でお金持ちの議員さん、借金の足しに寄付でもしたらいかがでしょうか?

 平和式典に出てきたって謝罪は一切ないアメリカは、いまも原爆投下を間違っているとは思っていない。当然、ベトナム枯葉剤の被害だって認めていない。まあ、あの国自体がテロ国家ですから。

 唯一、世界で原爆を落とされた日本が、平和への非核への思い切った行動ができる国ではないのでは?私は菅総理の談話には賛成の意見です。でも、もっと同道と、謝罪と平和への宣言をしてもらいたい。

 私は自民党の右翼が大嫌いです。神国日本の精神なんていっているのは、選民意識のナチズムと全く同じではないですか。隣の人も自分の同じ命の重さだとわかる人間こそが、政治家として活動すべき存在なのです。議員報酬も、民間並にして、隣と同じ感覚で国家を動かしてもらいたいものですね。もはや、日本は先進国ではない。

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キターッ!!

2010年08月10日 12時29分03秒 | 日常

 昨日、退院して、今日、大学病院から入院費用の請求額のお知らせがありました。7月22日から昨日の8月9日まで、途中2日間くらい外泊(自宅)があったけれど、うーん、20万円近くは相当、大きい額です。まあ、医療費として計上されない差額ベッド代が大きいとは思います。4人部屋で5250円、それはしかたないですけれど、協会けんぽに申請して、限度額認定証をもらったので、医療費は相当低くしてもらっているはず。でも、高度医療の費用と差額ベッドは、とても大きいということなのでしょう。

 思えば、私は専業主婦13年のあと、夫の退職(定年前でした)のために職業訓練校に半年通い、医療事務を学んだのが今になってようやく役に立ったのかもしれません。現役での再就職では名全く生かせなかったこの医療事務、システムをわかるだけでも相当違ってくるのがありがたいです。

 50代での再就職、未経験での医療事務は全く門戸が開かれていませんでした。ということは、医療事務コースでの50代以降の入校自体、意味がないということにもなることだと思います。せっかく入れてもらえた調剤薬局でも、PC操作の未熟ということで早期に離職を迫られたのは本当に悔しいとしか言いようがありませんでした。でも、それは個人的に職場のトップとの相性の悪さが原因だったと思います。

 その中で、嘱託職員として地元の市民センターに就職できたのは、本当にラッキーだと思います。二人で失業し、さらに夫が闘病なんてことは、もう本当に世も末の状況であったと思います。

 私の両親は、母が父の早期退職にともなう引越しで親戚がたくさんいる東京下町から突然に八王子の高尾への移住を余儀なくされ、そのストレスで「多発性骨髄腫(骨のガン)」を発病したのは昭和62年頃だったでしょうか。最初は、自宅のトイレでの大たい骨骨折でした。その前から、朝起きるのがつらいと聞き、近くの病院で見てもらっていたのにこんなことになってしまい、高尾のK外科では「おばあさん」扱いで悔しい思いをし、その後すぐに武蔵野赤十字病院に移転して病名が判明したのでした。父は、母の性格から、告知はしないという方針で私たち娘二人もつき合わされました。確かに、車椅子で帰れるところまでは改善したのに、昭和天皇の崩御の前に母は亡くなりました。公立病院なのに、主治医の先生が宗教勧誘を行っていたことに私は今も憤りを収めることができません。自分の病名を知らなかったからこそ、最後まで希望が持てたのかも知れませんが、宗教に走ることで苦痛が和らぐと思った母も気の毒です。

 父はその後、高尾山麓で一人暮らしをして、週末に私が様子を見に行くという月日が過ぎて生きました。父は、一人暮らしの食材を毎日配送してくれるシステムを利用し、料理も、「味噌汁はお前よりうまいよ」と言うほどに達者になり、大好きな牡蠣フライを食べたいためにIH調理器具を購入したり、とても前向きでした。趣味が生きがいになっていた絵の制作に国内あちこちを回っていましたが、あるとき、おへそにおできができたということを聞いたのが、東京下町の家族で住んでいた家を改築した姉家族の新築疲労パーティーだったのでした。夫はそのとき、趣味の料理の腕を披露していましたっけ。おへそにザボンのようなできものができて、近所の皮膚科に行ったんだけど混んでいて・・・。それで一度見てもらったらすぐに大学病院に回されたのでした。それは、悪性黒色腫(メラノーマ)の発症だったのです。その頃、私ももともとの目の悪さから、思い切って帝京大学医学部病院で手術を受けることにしたのです。同じ時期だね、と気楽に話していたのが、とんでもないことになっていたのでした。

 父の治療を私と姉の二人だけで決めるなんてこと、おかしいと思いました。最初の手術では形成外科に所属して入院していましたが、皮膚科に移ってからは告知の相談をしたら、そのほうがいいということで、姉を説得して父に告知してもらいました。でも、希望を失ってしまったのか、それからのガンの進行は早かったと思います。姉には今も後悔があると思います。でも、私はどんなことがあっても、自分の治療は絶対に自分で決めるべきだと今も思っています。自分の人生を、他の誰がコントロールできるっていうのでしょう?

 怖くても、自分の現実に向き合うべきです。

 今、夫は自分の現実に向き合っています。私も、家族として向き合っています。できるだけ、長生きしてもらいたいです。ガンは、自分の細胞の一部なんですよね。だから、うまくコントロールして一緒にうまく生きていくしかないのではと思います。モグラたたきのように叩いて効果があるのは、初めだけではないでしょうか。あとは、もう一緒に生きていくしかない。だからこそ、本人の心構えが大事なんだと思います。

 生まれたときから老化がはじまっています。私たちは、いずれ死ぬのです。自分の人生をどうコントロールするか、どう生きていくか・・・。夫婦なんて、残されたほうが「負け」なのかもしれません。

 今日は、一人でランチを作って、あけてからだいぶ経つ赤ワインを一緒に飲んでしまいました。

 一人で生活するより、鬱陶しくても二人のほうが、楽しい!その時間をもっともっと長くしたいです。

 みんなに言いたいです。健康なうちに、民間のガン保険に入ったほうがいいですよ。どれだけ経済的に助かるか、わかりません。生きるということは、お金もかかるということです。国なんか、何もしてくれないじゃないですか!

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来週また入院

2010年08月10日 08時30分36秒 | 日常

 昨日は、夫を車に乗せて帰ってきました。でも、また来週月曜日から、入院治療がはじまるときいて、ちょっとがっかり・・・。

 まあ、今できる治療を集中してするしかないから、しかたがないのかもしれませんが、今週は遅番勤務なので、夜一緒に食事できないのが残念です。

 入院中はお酒抜きだったからか、帰宅後すぐにお酒飲んで、それだけで終わっちゃいました。あーあ、揚げナスのおろし煮作るって言っていたのに・・

 やっぱり、ずっと病院にいたほうが、健康的なのかもしれませんね、なんだかおかしいけど。

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ロウバイの種

2010年08月09日 10時03分50秒 | 日常

 職場に、ロウバイがあります。花のあとに、見事な実をつけていましたが、食用にはならないので、そのまま枯れてしまいました。で、そのままというのもと、好奇心からその枯れた実を取ってみました。中には、朝顔の種ように、一つ当たりに5、6個の種が詰まっていたのです。それを取り出し、お手玉にでもしようと思っています。

 田舎の職場だからかなー、こんな不思議な内職仕事をしてしまいました。

 夢中で実を取っていたら、なんとその下のつつじの植え込みに、蜂の巣がありました。早々に引き上げ、男性職員に巣の撤去をお願いしました。最近、けっこう蜂の巣をみつけます。

 後日、できあがったお手玉がこちらです。

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JR九州社歌に首っ丈!

2010年08月04日 18時30分56秒 | 日常

 ここ数日、私はユーチューブの動画で、このJR九州社歌を聴きまくっています。五線譜にも書き写そうとしていますが、どうも、ニ長調みたいです。

 数年前に朝日新聞の土曜日の新聞の、歌のエッセイのときに載って以来、この「浪漫鉄道」という歌が好きで好きで・・・。その後、カルテット仲間と吸収演奏旅行したときも、その歌の地元に行かれるのがうれしかったものでした。なんでもっと歌われないのか、不思議です。ものすごく素敵な曲なのです。なんたって、ハイファイセットが歌っているのですから。

 ようやく、鉄歌というCDにこの曲が収録されて発売になったと知り、私は買いました。この歌を聴きながら、夫のいる病院に車を運転したいものです。早く届かないかなー。

 カラオケ嫌いですが、これがもし、カラオケになったら、毎日練習しちゃうかもしれません。

 そして、何より、邪馬台国は九州にあったといっているような歌詞がすごいです。うーん、私の恩師のY先生の説であるのが、うれしい!?

 この曲が、あまり知られていないのが、さびしいものです。もっともっと、広めて、たくさんの人に歌われてほしいです。私も、演奏したい!?ちょっと練習するかな。

 著作権があるから、無断で歌詞を載せるわけにはいかないのが残念ですが、本当に素敵な歌詞なのです。JR九州は、地元大好きな社員がたくさんいるんですねー。社員が作ったというのが、素晴らしいです。興味のある方は、ぜひ、動画やCDをお取り寄せください。夫に歌って聞かせようかな。覚えなくちゃ。

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