先週は遅番だったので、視たいテレビをGコード予約していました。昨日の新しいテレビ設置でもうVHSビデオば視られないかと思ったら、古い機械をそのまま生かし、設置してくれたヨドバシの派遣した業者がコードをつないでくれて、まだ見られることになりました。でも、地デジの画面の美しさに比べたら、3倍モードでの録画の画面の粗いこと!標準で録画すると、うまくいかないというおんぼろ機材になってしまったため、我慢です。
そして、愛知一中の軍隊への全員志願の実話をもとにしたドラマと、倉本聰の戦死した英霊の軍隊が東京駅に現れて明け方まで戦後65年の実情を見学するという、オリジナルが芝居だったドラマを見ました。夫は、倉本聰のドラマはあざといから嫌いだというのですが、それは、極端にして訴えたいことを際立たせているためだと思います。
どちらも、戦争と平和を正面から取り上げたものですが、私は愛知一中のドラマに心打たれました。
皇軍とかお国のためにとか、それで病気でもないのに将来のある若者の命が簡単に奪われる戦争、理想も精神もあったものではありません。国は国民のためにあるもので、国民は国のために死んでいいものではないのです。戦争は絶対にしては鳴らない。どんなことがあっても、殺人は犯罪です。殺人しないと生きていかれない世界は、絶対におかしいのです。戦争をしないために政治家がいるんじゃないの?
国を守るというのは家族を守るというのとは、かなり違います。核兵器廃絶に世界的に動き出した今、日本ができることは、不戦の誓いと非核の訴えではないでしょうか。理想だというのなら、いままでもその理想のためにむごい戦争をしてきて失われた命がどれだけあるか・・・。この理想だけは、どうしても現実になってもらいたいです。私の命もあなたの命も、同じ重さなのですから。話し合いを延々と続けましょう。
大昔、中学生か高校生のころ、英語教師だった父に受験勉強で仕方なく英語を教わった時期がありました。妥協と意味する英単語、アメリカでは否定的な意味にとられているけれど、イギリスではいい意味で使われているというようなことを聞きました。おバカな私は、その英単語を覚えていませんが、その話だけは思春期の私にとても強い印象を与えてくれました。
そうです、妥協でも歩み寄りでもいいじゃないですか、とにかく、戦争を起こさないことが一番大事なのです。命を軽んじる国家は、国家ではないのです!戦後も戦前も、同じ日本という国なのに、戦争責任はすでに果たしたということでしょうか、謝る事を極端に嫌い、自虐だという。敗戦国日本がしてきた加害の実態、もっとしっかり検証しないといけないのに。私たちが原爆のことを忘れないように、他国も日本のことを忘れないでしょう。戦後は忘れるまで永遠に続くのです。