食をテーマにしていたので、途中から見始めました。歴史の話はとても面白かったです。が、そのあとの、面白い店の話では、食べている途中でキャベツとかいろいろ勝手に追加してくる店とか、メガ盛りのスイーツとか、あれは許せません。おいしく食べるのはとても好きですが、食べられないほどのものを無理して食べるのは、真逆の苦痛としか思えない、まさに天国から地獄ですよ。いやだなあ、それに食材がもったいないし、こんなことしているのが、本当に許せません。
もともと、量を競う食べ物の番組は大嫌いだし、残すことはもっとひどいと思います。国連のSDGsを知らないのかと言いたい。絶対にやってはいけないことです。いまどき、そんな番組を作ること自体、良識を疑います。
腹八分目、少し足りないくらいが健康にいいのですし(といっても食べすぎる自分も、実は許せないのです)。
興味深かったのは、米食の日本人の明治以前の身長が、とても低かったこと。それで肉食にしてまずは体を西洋と負けないくらい大きくしないと、という計画がびっくりでした。確かに、食べ物で変わるものです。それに、日本は災害列島です、多くの基金を乗り越えてきたのですから、わずかな食糧で生きることだけで精一杯だったのです。
それを考えると、あまりに今は贅沢が過ぎているのかもしれません。
食べ物を捨てるということがない生活をしましょう。それは、人間としての義務です。私も最近、とても痛感していることです。いつ買ったのか覚えていないソースが2年も前に賞味期限が切れていたのを見つけたり、なんて無駄遣いをしたのかと悲しみました。一人暮らしだと、本当にちょっとだけでいいのに。
今日は昨日買った生サンマを焼いて、秋を楽しみます。と、今日はフリーマーケットに行って、栗とサツマイモを買ってしまい、せっせと栗の皮むきをしました。「くりくり坊主」という専用の栗はさみがあるので、少しは楽ですが、結構きつい作業でした。ゴミもいっぱい出るし、それでも、ついつい食べたいと買ってしまったのです。
食べたいという欲があるうちは、生きている証拠なのかなあ。私は衣食住では、ダントツに食べることが好きだし、一番の関心事です。
野菜も、ちゃんと噛んで口から体に入れたいと思っています。青汁なんてもってのほか。噛むことをしなくなったら、食べる楽しみもなくなります。でも最近、トマトやキュウリが高すぎる。災害の影響で、今年は本当に野菜が高値です。缶ジュースで間に合わせるしかないのかなあ・・・。財布のひもが固くて、手が出なくなりそう。
ところで、なんで財布のひもっていうのでしょう。江戸時代の巾着の紐のこと?とりとめもなく、ネバーエンディングになりそうなので、これにて解散、