原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

年賀状どうしよう?

2008年12月02日 | 人間関係
 師走に入り、来年の年賀状をどうしたものか頭を悩ませている。
 年賀状全面廃止とまでは踏み切れないでいるのだが、ここ数年、毎年この時期になると頭を悩ませる事柄である。通信技術の変遷や個人情報保護の浸透、また人間関係の希薄化等、社会情勢の移り変わりと共に、年賀状の重みが年を追うごとに急激に軽くなってきていることは事実であろう。


 我が家では、3年前まで家族連名の年賀状を私が全面的に引き受けて作成するのが恒例であった。子どもが小さい頃は親バカぶりを発揮し、毎年子どもの写真入り年賀状を作成し投函していた。

 この子どもの写真入り年賀状に関しては賛否両論あって、毛嫌いしている人も多いことは重々承知の上ではあるのだが、我が家では私の好みにより採用していた。
 私自身は長い独身時代においても、結婚し子どものいる友人知人からの子どもの写真入り年賀状を受け取ることを好んでいた。あれは結構面白いのだ。年毎にみるみる大きくなっていく子どもの成長を見るのは、他人の子と言えども感慨深いものがある。 加えて“遺伝子のなせる業”を一人ほくそ笑みながら楽しんだものである。“母親に似ていれば人生明るいだろうに、残念…”などと、要らぬお節介心が湧いたりもした。

 子どもが小学校高学年以降は、家族の1年間の様々なイベント、出来事の写真数十枚をインデックス風にアレンジして年賀状に入れ込んだりもした。

 子どもが中学生になって以降は子どもの成長に合わせ家族連名を廃止して、一人ひとりが個々に年賀状を作成するようになった。
 昨年の私は、本ブログ「原左都子エッセイ集」のPRをしたいがために多めに年賀状を作成した。その年賀状を見てブログを訪ねて来て下さった知人が何人かいらっしゃる。(ご訪問ありがとうございます。今後共お訪ね下さいますように。)


 昨年、年賀状で大失敗をしでかした。年賀状を出させていただいた知人の一人が急死していたのである。その前年の年賀状で「近いうちに是非会いましょう」と書き合い、その方はご自宅の電話番号を明記して下さっていたのに私が連絡せずにいたのだ。私が故人宛に投函してしまった年賀状を受けて、ご家族よりご本人が8月に急死された旨のお便りをいただき、驚いたものだ。今後そういう事例がどんどん増えるのかもしれない。


 近年は個人情報保護の観点から、住所以外の連絡先が不記載の年賀状が圧倒的多数である。(私自身もここ何年かはその例外ではない。) 一昔前までは、年賀状がコミュニケーションのひとつの媒体としての役割も果たしていたものであるが、現在は年賀状により連絡を取り合うことが困難な時代でもある。
 こうなると年賀状の果たす役割とは、年賀状そのものを楽しむことのみとなる。ところが、パソコン等による印刷のみで直筆の一文もない年賀状をいただくことも多い。近況報告程度は欲しいものであるが、そのような現状において年賀状とは単なる紙切れでしかなくその位置付けはさらに軽くなってきている。


 もう既に喪中はがきも何枚が届いているが、さて、来年の年賀状はどうしたものか。  おそらく出す相手を厳選し、相当枚数を減らすことになりそうである。
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