(写真は、本日つい先ほど長野県伊那市より到着した採れたての “サンふじリンゴ”。)
本日の日本列島は、まるで真夏のような暑さだ!
午後2時頃のニュース報道によれば、九州地方では、何と! 27℃の夏日気温を記録したらしい。
真夏の激暑もこたえるが、12月にしてのこの“夏の暑さ”も勘弁して欲しいものだ。
そう言えば私が30代後半独身期1990年頃にも、クリスマスが近づく頃にして25℃を超える夏日を記録した記憶がある。
その日某仕事関係のクリスマスパーティが開催されたのだが、ホテル宴会会場へ行くに当たり“この暑さで一体何を着ていけばよいのか”散々迷った思い出がある。 パーティ会場はエアコンが作動していたのであろう、特段の不都合は無かったものの…
そのクリスマスパーティ会場にて知り合った男性とその後電車に乗り二次会へ行く際、あまりの暑さにお互いに興ざめ感を抱いた事を、本日の季節外れの暑さにて思い起こした。
さて、冒頭のリンゴに話題を移そう。
このリンゴの贈り主は、当エッセイ集に幾度が登場している長野県伊那市にて大農場を経営していらっしゃるK氏である。
K氏との最初の出会いは2007年に遡るが、当「原左都子エッセイ集」がそのきっかけである事に関しては既に再三再四当エッセイ集にて述べている。
K氏より今冬もお贈りいただいた“サンふじ”に関して語ろう。
この“サンふじ”は、伊那郡中川村にて栽培されている。
写真の添付資料をご覧頂けると、「味を重視して栽培しています。 通常より(長期間)木に実らせ大玉にしています。 また、化学肥料を一切使わず栽培しています。 採りたてのりんごを農園より直送します。 形はいびつですが、袋をかけずに太陽の光をいっぱいに浴び、蜜が入ったシャキシャキ食感の自然な味の逸品です。」とある。
形が“いびつ”と記されているが、決してそんな事は無く十分に綺麗な丸形であるし、何よりも大玉で真っ赤な色彩が実に美しい。
ここで、話題を大きく変えるが。
実は正直言うと、私は子どもの頃より「リンゴ」が苦手だった。
事の始めは小学校の学校給食だ。
あの頃の(過疎地公立小学校の)給食とは実に実にまずくて、元々小食の私にとっては昼の給食時間は拷問に近いものがあった…。
それでも着席して食べねばならず。 4時間目あたりから、必ずや我が胃が拒絶反応を起こしていたものだ。
嫌いな給食メニューの中でも、とびっきり嫌いだったのが「リンゴが混ぜられたポテトサラダ」だった。 どうしてポテトサラダの中に“リンゴ”を入れるの!?! せめてリンゴが入っていないポテトサラダならば私でも食べられるのに…、 といつもいつも給食調理員氏を恨んだものだ。
その他、脱脂粉乳やパッサパサの山形パン、それからおそらく我が地方特有のクジラ肉等々、当時(1960年代だが)の過疎地公立小学校の給食メニューのまずさと言えば、筆舌に尽くし難いものがあった。
そんな逆境を乗り越え中学生に進学した頃には、おそらく我が身体や脳内活性力が急成長期だったと振り返るが。
当時の中学現場にて、女子生徒の間で“給食のパンを残す”のが「美徳」とされていた時期があった。 (残したパンは部活時に食べたり家に持ち帰ったりして、決して廃棄処分はしなかったが。)
今思えば実にアホらしいのだが、“小食の女子”こそが男子にモテるなる歪んだ思考が当時の女子生徒間にあったのだろう。 それに真似てこの私など給食のパンを全部食べたいのに、あえて残さざるを得ないのが実に辛かった記憶がある。
本日伊那から頂戴した「リンゴ」を巡り、エッセイテーマが我が過去の学校給食を振り返る趣旨に大いに歪んでしまった事をお詫び申し上げる。
それにしても現在農家が生産している果物とは消費者のニーズを優先した挙句、一昔に比し特に「甘味」が急激に増大している感を抱く。
「みかん」しかり、「いちご」しかり、「メロン」しかり、 そして「リンゴ」しかり…
その恩恵により、この私もすべての果物が食せる事態と進化しているものの。
これ、どうなのだろう??
果物が持つ本来の味覚をこれ程までに改造して、「甘さ」のみを追求してしまった現実を如何に評価すればよいのか。
いえいえ、伊那市のK氏より届けられた“サンふじりんご”は、現在の私の舌には実に美味であり、重々感謝申し上げたい。
ただ全国の農家が抱える “果物本来の味覚を改造してまでも国民嗜好に迎合” せねばならない現在の農業のあり方とは、未来に至って一体如何なる発展を遂げ得るものなのだろう??
本日の日本列島は、まるで真夏のような暑さだ!
午後2時頃のニュース報道によれば、九州地方では、何と! 27℃の夏日気温を記録したらしい。
真夏の激暑もこたえるが、12月にしてのこの“夏の暑さ”も勘弁して欲しいものだ。
そう言えば私が30代後半独身期1990年頃にも、クリスマスが近づく頃にして25℃を超える夏日を記録した記憶がある。
その日某仕事関係のクリスマスパーティが開催されたのだが、ホテル宴会会場へ行くに当たり“この暑さで一体何を着ていけばよいのか”散々迷った思い出がある。 パーティ会場はエアコンが作動していたのであろう、特段の不都合は無かったものの…
そのクリスマスパーティ会場にて知り合った男性とその後電車に乗り二次会へ行く際、あまりの暑さにお互いに興ざめ感を抱いた事を、本日の季節外れの暑さにて思い起こした。
さて、冒頭のリンゴに話題を移そう。
このリンゴの贈り主は、当エッセイ集に幾度が登場している長野県伊那市にて大農場を経営していらっしゃるK氏である。
K氏との最初の出会いは2007年に遡るが、当「原左都子エッセイ集」がそのきっかけである事に関しては既に再三再四当エッセイ集にて述べている。
K氏より今冬もお贈りいただいた“サンふじ”に関して語ろう。
この“サンふじ”は、伊那郡中川村にて栽培されている。
写真の添付資料をご覧頂けると、「味を重視して栽培しています。 通常より(長期間)木に実らせ大玉にしています。 また、化学肥料を一切使わず栽培しています。 採りたてのりんごを農園より直送します。 形はいびつですが、袋をかけずに太陽の光をいっぱいに浴び、蜜が入ったシャキシャキ食感の自然な味の逸品です。」とある。
形が“いびつ”と記されているが、決してそんな事は無く十分に綺麗な丸形であるし、何よりも大玉で真っ赤な色彩が実に美しい。
ここで、話題を大きく変えるが。
実は正直言うと、私は子どもの頃より「リンゴ」が苦手だった。
事の始めは小学校の学校給食だ。
あの頃の(過疎地公立小学校の)給食とは実に実にまずくて、元々小食の私にとっては昼の給食時間は拷問に近いものがあった…。
それでも着席して食べねばならず。 4時間目あたりから、必ずや我が胃が拒絶反応を起こしていたものだ。
嫌いな給食メニューの中でも、とびっきり嫌いだったのが「リンゴが混ぜられたポテトサラダ」だった。 どうしてポテトサラダの中に“リンゴ”を入れるの!?! せめてリンゴが入っていないポテトサラダならば私でも食べられるのに…、 といつもいつも給食調理員氏を恨んだものだ。
その他、脱脂粉乳やパッサパサの山形パン、それからおそらく我が地方特有のクジラ肉等々、当時(1960年代だが)の過疎地公立小学校の給食メニューのまずさと言えば、筆舌に尽くし難いものがあった。
そんな逆境を乗り越え中学生に進学した頃には、おそらく我が身体や脳内活性力が急成長期だったと振り返るが。
当時の中学現場にて、女子生徒の間で“給食のパンを残す”のが「美徳」とされていた時期があった。 (残したパンは部活時に食べたり家に持ち帰ったりして、決して廃棄処分はしなかったが。)
今思えば実にアホらしいのだが、“小食の女子”こそが男子にモテるなる歪んだ思考が当時の女子生徒間にあったのだろう。 それに真似てこの私など給食のパンを全部食べたいのに、あえて残さざるを得ないのが実に辛かった記憶がある。
本日伊那から頂戴した「リンゴ」を巡り、エッセイテーマが我が過去の学校給食を振り返る趣旨に大いに歪んでしまった事をお詫び申し上げる。
それにしても現在農家が生産している果物とは消費者のニーズを優先した挙句、一昔に比し特に「甘味」が急激に増大している感を抱く。
「みかん」しかり、「いちご」しかり、「メロン」しかり、 そして「リンゴ」しかり…
その恩恵により、この私もすべての果物が食せる事態と進化しているものの。
これ、どうなのだろう??
果物が持つ本来の味覚をこれ程までに改造して、「甘さ」のみを追求してしまった現実を如何に評価すればよいのか。
いえいえ、伊那市のK氏より届けられた“サンふじりんご”は、現在の私の舌には実に美味であり、重々感謝申し上げたい。
ただ全国の農家が抱える “果物本来の味覚を改造してまでも国民嗜好に迎合” せねばならない現在の農業のあり方とは、未来に至って一体如何なる発展を遂げ得るものなのだろう??