(写真は、昨日自宅近くの大規模公園内でランニング練習を終えた際に、通りすがりの高齢男性より頂いた飴。)
私が“50の手習い”にて「ランニング」を初めてから10年程の年月が経過しただろうか?
最初はトレーニングジム併設の“屋内トレーニング走路”にて練習を重ねていたのだが。
ある程度の距離が走れるようになって以降は、屋外でのランニング練習を主柱としつつその練習強化(とは言えども、週1,2回程度の頻度だが。)を実施して来ている。
我が家から徒歩10分程度のところに、陸上競技場や複数の野球場を併せ持つ都立大規模公園がある。
その陸上競技場の外周がちょうど600mと距離計算がし易い事を利用し、いつもその外周を周回する形式で5kmランニング練習に励んでいる。
当時より既に、我が国は“素人ランニングブーム”だった。
それでも今思えば、まだまだ公園内でランニング練習をするランナーは現在よりも少なかったような記憶がある。
当時公園内ランニング練習中に、見知らぬ人々から「頑張れー!」「頑張ってるね!」等々の御声がかかるのが大いなる励みとなったものだ。
そのエールに手を振りながら笑顔で応えたりして、いっぱしのランナー気分にさせてもらえたものでもある。(実際、その頃の方が今よりもタイムがずっと良かったのだが…)
その後も、ランニング練習前や終えた後に“お声がかかる”ことはある。
私の場合、走る前のウォーミングアップや走り終えた後のクーリングダウンに「自己流ダンスエクササイズ」を取り入れている。 そのダンス姿が公園内で目立つ(??)ようで、様々な世代の方から声を掛けていただける。
例えば、シルバーカーにて散歩中の90代高齢女性から「一緒に踊りたい!」とのお声が掛かった時には、「どうぞ、ご一緒に!」と誘い入れ、ほんの少しだが実際一緒に踊ったものだ! (そのお婆ちゃんのダンスが予想外に上手だった事に関しては、バックナンバーにて紹介している。)
あるいはつい最近のことだが、犬の散歩中の比較的若い女性が立ち止まってダンス中の私に注目してくれるため、こちらから踊りながら笑顔で挨拶申し上げた。 そうしたら“微笑み返し”と共に挨拶返礼を頂いた。
小学生程の女子は、ダンスに興味がありそうだ。 必ずや我がヘボいダンスを傍目で見つつ、「私の方が上手だぞ!」と言いたげな表情で少しステップを踏んでから通り過ぎる。
そりゃ貴方達の方が上手に決まっているよ。 だって今現在は「ダンス」が義務教育体育の必修となっているのだもの。 その効果の程が凄いのは、高校生ダンス大会のレベルの高さ(大阪府立登美丘高校等々)が証明しているね!
今現在の我が公園内ランニング練習に話題を戻すと。
いやはや10年前よりもずっと数多い素人ランナー達で、公園内はいつの季節も賑わっている。
これは同じ趣味を持つ同志として力強い反面、当然の成り行きとして、周囲ギャラリーからのランニング中の“お声掛けエール”など頂けるすべもなくなった。
ただ真剣にランニング練習をしている身としては、むしろ“声掛け”に応えられない程の体力消耗状態でもあり、その整合性が取れているとのことでもあろう。
さて、そんな我が素人ランナーとしての公園内ランニング練習を終えたクーリングダウンの時間帯に。
やはり今現在も、声を掛けて下さる人物に出会うことがある。
大抵は同じく陸上競技場外周をウォーキングをしていらっしゃる高齢域男性達だ。
1ヶ月程前頃にも、ランニングを終えた私に「この競技場外周を何周走っているの?」と質問して下さった人物がいた。
それに応えて、「私は5kmを完走したいのですが、この競技場外周は600mのためそれを8周少しプラスしています。」 その時も、「それは凄いね!」と言ってもらえたものだ。
そして昨日の事だが。
やはり高齢域(おそらく80歳前後)の男性から、ランニング練習終了後にお声掛け頂いた。
「貴方はこの外周を3周ほど走っているのかな?」 と尋ねて下さるため、私応えて「いえ、8周走っています。 私の場合5km完走を目指していますので8周プラス200m程走っています。」
そうしたところ返されたのが「そんなに走ってるの、それは凄いよ、頑張ってるね!」とお褒め下さるではないか。 それに対する我が反応に喜んだ高齢男性が。
「貴方に“金メダル”をあげるよ、ほら」と言って手渡して下さったのが冒頭写真の「金のミルク」なる飴だ。
いやほんと、何だか五輪で“金メダル”を貰った気分程の嬉しさだった。
この高齢男性は私が5km完走に必死になっている間に。 もしかしたらいつもこの陸上競技場外周で何度もお会いしてるのかもしれない、と思わせられる劇的場面だった。
ところで、「飴」を大阪のおばちゃん界では「あめちゃん」と呼ぶとの番組をNHKで少し前に見た記憶がある。
それは「ボーっと生きてんじゃないよ!」のフレーズで有名になった“チコちゃん”が出演している番組だが。
その番組内で、何故大阪で飴を「あめちゃん」と呼ぶのかに関し、豊臣秀吉時代の経済政策が絡んでいる(?)なる結論を導いた記憶がある。
それはともかく、大人になっても見知らぬ他人から豊臣秀吉時代より受け継がれた経済政策(??)である「飴一個」を貰い受ける事実とは、実際“褒められた”実感があり心底嬉しかったものだ。
私が“50の手習い”にて「ランニング」を初めてから10年程の年月が経過しただろうか?
最初はトレーニングジム併設の“屋内トレーニング走路”にて練習を重ねていたのだが。
ある程度の距離が走れるようになって以降は、屋外でのランニング練習を主柱としつつその練習強化(とは言えども、週1,2回程度の頻度だが。)を実施して来ている。
我が家から徒歩10分程度のところに、陸上競技場や複数の野球場を併せ持つ都立大規模公園がある。
その陸上競技場の外周がちょうど600mと距離計算がし易い事を利用し、いつもその外周を周回する形式で5kmランニング練習に励んでいる。
当時より既に、我が国は“素人ランニングブーム”だった。
それでも今思えば、まだまだ公園内でランニング練習をするランナーは現在よりも少なかったような記憶がある。
当時公園内ランニング練習中に、見知らぬ人々から「頑張れー!」「頑張ってるね!」等々の御声がかかるのが大いなる励みとなったものだ。
そのエールに手を振りながら笑顔で応えたりして、いっぱしのランナー気分にさせてもらえたものでもある。(実際、その頃の方が今よりもタイムがずっと良かったのだが…)
その後も、ランニング練習前や終えた後に“お声がかかる”ことはある。
私の場合、走る前のウォーミングアップや走り終えた後のクーリングダウンに「自己流ダンスエクササイズ」を取り入れている。 そのダンス姿が公園内で目立つ(??)ようで、様々な世代の方から声を掛けていただける。
例えば、シルバーカーにて散歩中の90代高齢女性から「一緒に踊りたい!」とのお声が掛かった時には、「どうぞ、ご一緒に!」と誘い入れ、ほんの少しだが実際一緒に踊ったものだ! (そのお婆ちゃんのダンスが予想外に上手だった事に関しては、バックナンバーにて紹介している。)
あるいはつい最近のことだが、犬の散歩中の比較的若い女性が立ち止まってダンス中の私に注目してくれるため、こちらから踊りながら笑顔で挨拶申し上げた。 そうしたら“微笑み返し”と共に挨拶返礼を頂いた。
小学生程の女子は、ダンスに興味がありそうだ。 必ずや我がヘボいダンスを傍目で見つつ、「私の方が上手だぞ!」と言いたげな表情で少しステップを踏んでから通り過ぎる。
そりゃ貴方達の方が上手に決まっているよ。 だって今現在は「ダンス」が義務教育体育の必修となっているのだもの。 その効果の程が凄いのは、高校生ダンス大会のレベルの高さ(大阪府立登美丘高校等々)が証明しているね!
今現在の我が公園内ランニング練習に話題を戻すと。
いやはや10年前よりもずっと数多い素人ランナー達で、公園内はいつの季節も賑わっている。
これは同じ趣味を持つ同志として力強い反面、当然の成り行きとして、周囲ギャラリーからのランニング中の“お声掛けエール”など頂けるすべもなくなった。
ただ真剣にランニング練習をしている身としては、むしろ“声掛け”に応えられない程の体力消耗状態でもあり、その整合性が取れているとのことでもあろう。
さて、そんな我が素人ランナーとしての公園内ランニング練習を終えたクーリングダウンの時間帯に。
やはり今現在も、声を掛けて下さる人物に出会うことがある。
大抵は同じく陸上競技場外周をウォーキングをしていらっしゃる高齢域男性達だ。
1ヶ月程前頃にも、ランニングを終えた私に「この競技場外周を何周走っているの?」と質問して下さった人物がいた。
それに応えて、「私は5kmを完走したいのですが、この競技場外周は600mのためそれを8周少しプラスしています。」 その時も、「それは凄いね!」と言ってもらえたものだ。
そして昨日の事だが。
やはり高齢域(おそらく80歳前後)の男性から、ランニング練習終了後にお声掛け頂いた。
「貴方はこの外周を3周ほど走っているのかな?」 と尋ねて下さるため、私応えて「いえ、8周走っています。 私の場合5km完走を目指していますので8周プラス200m程走っています。」
そうしたところ返されたのが「そんなに走ってるの、それは凄いよ、頑張ってるね!」とお褒め下さるではないか。 それに対する我が反応に喜んだ高齢男性が。
「貴方に“金メダル”をあげるよ、ほら」と言って手渡して下さったのが冒頭写真の「金のミルク」なる飴だ。
いやほんと、何だか五輪で“金メダル”を貰った気分程の嬉しさだった。
この高齢男性は私が5km完走に必死になっている間に。 もしかしたらいつもこの陸上競技場外周で何度もお会いしてるのかもしれない、と思わせられる劇的場面だった。
ところで、「飴」を大阪のおばちゃん界では「あめちゃん」と呼ぶとの番組をNHKで少し前に見た記憶がある。
それは「ボーっと生きてんじゃないよ!」のフレーズで有名になった“チコちゃん”が出演している番組だが。
その番組内で、何故大阪で飴を「あめちゃん」と呼ぶのかに関し、豊臣秀吉時代の経済政策が絡んでいる(?)なる結論を導いた記憶がある。
それはともかく、大人になっても見知らぬ他人から豊臣秀吉時代より受け継がれた経済政策(??)である「飴一個」を貰い受ける事実とは、実際“褒められた”実感があり心底嬉しかったものだ。