原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私も“生涯未婚”だった確率は高い…

2018年12月20日 | 時事論評
 今朝見たネット情報によると。

 我が国に於ける現在の生涯未婚率は、男性23%・女性14%で過去最高らしい。


 引き続き当該ネット情報より、その実態を要約引用しよう。

 生涯未婚率とは、日本の人口に対し「50歳まで一度も結婚したことがない人」の割合のこと。 50歳時点で未婚の人は「将来的にも結婚する予定がない」可能性が高く、生涯独身でいる人がどのくらいいるかを示す統計指標になっている。 生涯未婚率は、5年に1度実施される国勢調査の結果から割り出しているもの。2016年9月に公表された動向基本調査によると「いずれは結婚したい」と考える未婚者(18~34歳)の割合は男性85.7%、女性は89.3%とのことで、決して低い数値ではない。
 今の50代は、昭和時代に20~30代を過ごしてきた。 今ほど日本人の生き方が多様化していなかった当時は、上記よりさらに結婚を望む人の割合は高かったであろうと想像できる。 それから20年以上が経ち、男性のおよそ4人に1人、女性のおよそ7人に1人が未婚でいることには、どんな背景(理由)があるのだろう。
 今の50代は、20代にバブルを経験している。 彼らは好景気のなか社会人となり、若いうちに多額のボーナスを手にしたり、分不相応に派手な遊びを覚えてきた。 そのせいか、50代となった今でも派手なものを好み、男女とも若くて元気な人が多い印象。 そこに、現代の「生き方の多様化」が加わった今の50代は、「いつまでも現役」な生き方を選んでいるように見受けられる。 未婚の独身者も同様だが、離婚経験のある独身者においては、「もう一度結婚しよう」と婚活にいそしんだり、50代で3回目の再婚したりとパワフルな人が多いのも特徴。
 ただ1つ気になるのは、現代の未婚独身者に多い「結婚はしないけど、恋愛はしたい」という思想。 彼らはまだ健康で収入もあり、独りの生活に不自由していないからこそ、若い頃と同様に恋愛できると考えているのかもしれない。 特に男性は「若い女性と恋愛したい」という望みを持ちがちだが、歳を重ねるほど世代間ギャップが生じ、難しくなる。 50代の独身男性が増加しても、彼らが好む女性が若い世代となれば、同じ50代の独身女性にとって、マッチングの可能性が増えるとはいえない。
 現実問題、独身者の絶対数は歳とともに減少する。
 恋愛の楽しさは、安らぎと刺激がもたらします。 経験値が増えていけば、その分刺激となるような“初めての経験”は減ってしまう。 年齢に比例して経験は増えていくので、若い世代のような恋愛では物足りなくなるのも必然で、それは大人になったからこそ。 少なくとも「恋人が欲しい」「恋愛したい」気持ちを持ち続けているならば、その先に“結婚”という選択肢をなくさないほうがいいと考える。
 恋愛も結婚も年齢制限はない。 むしろ結婚をあえて避けず、「縁があれば」くらいに捉えておいたほうが出会いの幅は広がる。 出会いを増やしたい大人世代は、生涯のパートナーを探すことも視野に入れ、婚活市場に参入することがベストな手段ではないだろうか。
 そもそも1950年代まで、日本における結婚はお見合いのほうが主流だった。 恋愛結婚がお見合い結婚より多くなったのは、1960年代から。 2010年以降(18~35歳対象)のお見合い比率は、5.5%まで減少している。
 結婚はしなければいけないものではない。 昔とは違い、ライフプランにおける選択肢の1つだろう。 ただ、しないよりはしたほうが人生が豊かになるのも確か。 「やってみてダメなら離婚すればいい」というアドバイスはかなり乱暴ですが、「一度くらい経験してみよう」と柔軟に捉えてみてもいいのではないだろうか。 共に生きるパートナーの存在は、大人になればなるほど“かけがえのないもの”になっていきます。 今は結婚のスタイルも多様化している。 大人になった今こそ、ライトな恋愛遍歴を重ねるよりも、それ(結婚生活)はずっと有意義なものになるはずです。
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)


 一旦、私事及び私見に入ろう。

 私の場合は30代に経済バブル期を迎えたが、“華の独身時代”を謳歌して来た人種だ。
 まさに上記ネット情報に書かれている通り、 バブル景気の中多額の収入を手中にしつつ(私の場合は)“分相応”に派手な遊びを楽しんだ身だ。
 ボディコンスーツ・ロン毛ソバージュの派手ないでたちの私は、自分でも面白おかしい程にモテまくり、夜な夜な男どもと高級酒場を飲み渡り、結婚の「け」の字すら無縁の日々をエンジョイしたものだ。 (いえいえ職業人としての私は至って真面目で、それに集中・専念していましたよ~~。)

 そんな我が脳裏に「結婚」との概念が過ったのは、実際お見合いにて成婚に至った半年程前の事だったと振り返る。
 その時とて、決してそれを焦っていた訳ではあり得ない。 むしろ“子供はいらない”派だった私は、一生独身を貫く覚悟の方がずっと勝っていた。 まあとにかく、幸運にも良き人に巡り合えれば結婚しよう程度だったものだ。
 そんな時に巡り合ったのが現在の亭主だ。 嫁ぎ先家族(特に義母)に関しても精査した上で成婚に至っている。(これに関しては当エッセイ集前回のバックナンバーでも述べたばかりだが。) その間、わずか半年足らず。 実際我が感想としては、「結婚」とは突然降りかかってくるものとしか言いようが無い。

 ではもしも、その時私が見合いにて亭主(及びその一族)に巡り合っていなかったとして、その後如何なる人生観の下に暮らしたのだろう。
 この課題に関しては、普段から時折我が脳裏に思い描くのだが。
 おそらく私はその後も一職業人として社会で活躍していたものと想像する。 そしておそらく私は比較的優秀な(??)人材としてこの世を渡り、現在に至っているのではなかろうか…、などと自分に都合よく解釈したりもする。
 実際問題、一生独身にて職業を全うしている女性の存在とは今に至って尚羨ましい限りだ。

 ただし私が一生独身を貫く条件に於いて、身勝手ながらも私を陰で支えてくれる“男性”の存在無くして成り立たないとの命題は常にあった。 
 30代後半当時には、生涯それに恵まれるだろうと(今思えば)“空虚な自信”があったものだ。
 この自信に関しては、上記ネット情報が“バッサリと”斬り捨ててくれている。 (年齢と共に、そんな妄想は妄想でしかないと…) 実際そうなのだろう、と私も今現在同意する。


 最後に私論でまとめよう。

 “子供は要らない”と独身時代は本気で思っていた私だが…。
 今の我が結婚生活を振り返るならば、我が娘の存在こそが絶対絶大であることに日々感謝している。

 私の場合は“曲がりなりにも”(娘に対する侮辱発言であることを重々詫びるが)超難産にて子供を産み、その直後よりサリバンとして娘の教育・指導に二人三脚で精進したこの25年の年月こそが、元々愚かな私を“職業人”である以上の「人格者」として育て上げてくれた感覚がある。

 全ての事象に於いて、他人にとり他者の人生とは参考にならない事は歴然だろうが。
 結婚して“(多少不具合を抱える)我が子を産んだ”ことこそが、この私にとっては何物にも替え難い感動を日々呼び起こしてくれている実感が今確かにある!


 そうは言えども。
 
 50過ぎて独身を貫いておられる皆さんにも、それぞれの人生模様がある事だろう。

 もしも結婚したいのならば、それに向かって努力するべきだし。
 そうではなくてご自身の独身生活を堪能したいのならば、それを続行すればよい話だ。

 そういう意味では、統計上の「生涯未婚率」の発表など、安倍政権の身勝手な“少子化政策”以外には何らの役にも立たず、単なる娯楽情報に過ぎないだろう。