原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

今年も “私らしく” あれたかな??

2018年12月18日 | 自己実現
 今年の師走も後2週間足らずともなると、この種のエッセイを閲覧下さる方々が増えるのであろう。
 昨日・本日と連続で、本文の下段「Popuar Entries」に 2018.01.01公開バックナンバー「今年も“私らしく”行こう!」がエントリーしている。


 早速以下に、当エッセイを要約引用させていただこう。

 新年早々、冒頭から“出来合いおせち”の話題にて失礼致します。
 何分“料理嫌い”で名を馳せている原左都子故に、新年にはずっと“出来合いおせち”の世話になり続けている。
 亭主と結婚当初期には元旦は必ずや毎年亭主の実家を訪問し、義母が丹精込めて作ったおせちをいただいたものだ。 更には義母は我が家の分までその手作りおせちを三段重で用意しておいてくれ、それを自宅に持ち帰り残りの正月を過ごすとの厚遇を受けてきている。
 我が娘7歳頃から義母の高齢化に伴いその手間が苦痛になったとの事で、その後は毎年新年には外部個室料亭を予約して、原家一族が集結し新年会が執り行われて来た。
 その一族新年会をずっと牛耳っていた実質原家の“親分”だった義理姉が、5年程前に63歳の若さにて膵臓癌にて他界した後、原家一族新年会が自然消滅し現在に至っている。
 いやはやこの“料理嫌い”の私が、一族間で厚遇され続けてきた嫁である事には間違いない。
 新年会で一番飲んだくれていたのは嫁の私だし、誰一人としてそれを責める親族がいないどころか。 私が呑兵衛であることを承知している親族皆が「〇子さん(私の事)もっと飲もう!」と快く酒を継ぎ足してくれたものだ。 
 (自分に都合よく解釈するならば、“料理嫌い”以外の分野では“よく出来た嫁”として一族の信頼を勝ち取っていたが故だ。)
 そんなこんなで私にとっての新年とは家族の世話だけしていれば済まされる立場故に、美味しいものを食べて飲んで寛げる時でもある。
 要するに、いつも“私らしさ”を失わず自分のポリシーに基づき一生懸命生きていれば、たとえ致命的欠点(私の場合は“料理嫌い”がそれに当たる)があろうが、それが致命傷とはならないとの結論が導けそうだ。
 “料理嫌い”の話題はここまでにして。
 今年の目標を何と掲げようかと先程まで無い知恵を絞っていたのだが。
 これでよし! だ。
     今年も、“私らしく” 行こう!  
 (以上、「原左都子エッセイ集」」バックナンバーより要約引用したもの。)


 私見に入るが。

 へえ、そうだったんだ。 
 私って今年の目標を定めていたんだ。 それが「“私らしく”行こう!」だったのだと、今更ながら驚かされる。

 ただ私の場合、上京後は常に“私らしく”生きている人種であるため、今更ながらその目標を立てずとて自然体でいるだけで “私らしく”過ごせる気もする。
 何分40近くまで独身一人暮らしを貫いた立場だし、根っからの「集団嫌い」も幸いし “私らしく”ある事など超得意技であるとも言えよう。

 一番の転機は、やはり晩婚時だったかもしれない。
 ただこれに関しても、敢えて「見合い結婚」を選択・実行したのが功を奏したようだ。 結婚相手のみならず、嫁ぎ先家族の面談も滞りなく実施した挙句に成婚に至っている。
 特に一番の要人物であろう義母に関しては、その人物像をしかと見届けた。
 一方、あちら(義母)の希望としても、息子の嫁には“お嬢さん”は要らない、しっかりと息子を操れる女性が理想像、ついでに息子と学歴が釣り合うべく「大学院」修了の職業女性ならば尚良し! だったようだ。
 その義母の眼鏡に十分叶った私が、結婚後も嫁ぎ先から邪険に扱われる訳がなかった。
 
 その結果が、上記バックナンバーに記した通りの嫁ぎ先一族よりの厚遇だったという事だ。
 今一度、その様子を以下に反復するならば。
 いやはやこの“料理嫌い”の私が、一族間で厚遇され続けてきた嫁である事には間違いない。 新年会で一番飲んだくれていたのは嫁の私だし、誰一人としてそれを責める親族がいないどころか。 私が呑兵衛であることを承知している親族皆が「〇子さん(私の事)もっと飲もう!」と快く酒を継ぎ足してくれたものだ。(義父も義理姉も既に“亡き人”だが…。) 
 ついでに最初に出会った時には可愛らしい高校生だった義理姉の息子も、40代になった今尚私の事を“〇子さん”と呼んで親しんでくれている。
 自分に都合よく解釈するならば、“料理嫌い”以外の分野では“よく出来た嫁”として一族の信頼を勝ち取っていたが故だろう。 
 要するに、いつも“私らしさ”を失わず自分のポリシーに基づき一生懸命生きていれば、たとえ致命的欠点(嫁の立場の私の場合は“料理嫌い”がそれに当たるだろう)があろうが、それが致命傷とはならないとの結論が導けそうだ。


 現在高齢者施設に暮らす義母は、認知症と耳の聞こえの悪さに苛まれている。
 それでも私の顔を見る都度、いつも満面に笑顔を浮かべつつ「〇子さんのお陰です。」を繰り返してくれる。 私自身に都合よく解釈するならば、我が義母に対する介護保証人責任もつつがなくこなしている嫁の私に、現在は“虚ろな脳内状態”であろうが、義母は本気で感謝してくれているのだろう。

 とにもかくにも婚姻後の女性とは我が身を優先して、婚姻先の家族と上手く渡っていく能力が一番に期待されるのは必然だ。 特に正月の時期とはその能力発揮のまたとない機会かもしれない。


 最後に表題に掲げた「今年も“私らしく”あれたかな?」に話を戻すならば。
 自己判定としては、“私らしく”あれた! と結論付けたい。

 ただねえ。 他者よりの評価はどうなのか??
 いやいや私の場合、他者評価に依存しないポリシーを貫きたい人間である事を思い起こすならば。
 本年も目標達成!! と結論付けるべきだね。