冒頭から私見だが。
「改正入管法」を成立させたとて外国人労働者が政府の思惑程は日本には来ないのではないか、との世間の俗説も聴く。
どうやら、外国人労働者を既に受け入れている諸先進国に比し、日本の場合賃金等々の労働環境が魅力的ではなさそうだ。
それにしても、安倍政権の「改正入管法」成立までの強硬かついい加減なやり口は実に腹立たしかった。 安倍氏の任期が後3年足らずにして、この期に及んでいつまで経っても安倍氏の歪み切った“独裁ぶり”には驚かされるやら呆れるやらだ。
それでは、昨日2018.12.08 未明の参院本会議で採決され賛成多数で可決・成立した「改正出入国管理法(入管法)に関する朝日新聞2018.12.08付 社説の一部を、以下に要約引用しよう。
外国人受け入れ拡大を図る改正入管法が、政府与党の強引な国会運営で成立した。
少子化高齢化に伴う人出不足が深刻化する中、受入れの必要性自体は多くの人が理解するところだ。 それに向けて、議論を重ね合意を形づくる事が政府の役割のはずだ。 その地道な努力を放棄し、数の力で法案を押し通し、生来に禍根を残す振る舞いであり、到底認められない。
どの業種にどれ程の外国人を受け入れるかが制度の根幹だ。 にもかかわらずそれらは法成立後に省庁で決めるとし、質問されても「検討中」を繰り返した。
ごまかしの説明も多かった。 非専門職の就労に初めて門戸を開くのに、「従来の方針を変更するものではない」と言い張る。
参院法務委員会での審議に臨む前には、安倍首相が「ややこしい質問」を受けねばならないと発言した。 国会を愚弄する象徴的な光景だった。 何故拙速に成立を目指したか。 透けて見えるのは打算や思惑だ。 来年の統一地方選挙と参院選に向けて、人手を確保したい産業界の支持を得たい。 一方、外国人の増加を警戒する政権支持層も繋ぎとめたい。 その帰着が、政府が描く「単身で来日し、働き、やがていなくなってくれる労働者」像といえる。
例えばドイツは、戦後受入れた出稼ぎ労働者が国を分断する一因となったと総括し、移民を認める方向にカジを切り、共生を重視した。 韓国しかり。 こうした国々の経験から政府は何を学んだのか。 法案や国会審議からはついに見えなかった。
逆にはっきりしたのは、新制度の土台である今の技能実習制度がもつ数々の問題点だ。 実習生の多くが最低賃金を強いられたり、暴力を振るわれたりした。 野党による聞き取りや参考人質疑を通して、深刻な人権侵害状況が明らかになった。
法務省は実習生の調査を進める立場にありながら何らの行動も起こさず、山下法相は、詳細を調査し来年3月までに実態を解析すると表明したが、順序が逆だ。(中略)
既に大勢の外国人が日本で生活し、社会を支えている。 だが、一部の自治体や住民は別として、多くの人はその姿を直視せず、「わがこと」として考えて来なかった。 国会審議はその現実もあぶり出した。 共に生きる道を考える。 それは、この社会に生きる一人一人に課せられた役目である。
(以上、朝日新聞「社説」より一部を要約引用したもの。)
私は、今回の安倍政権によるいい加減かつ拙速な“「改正入管法」成立劇”を国民の一人として観察しつつ、今夏8月に実施した米国西海岸個人旅行にて見た風景を思い起こした。
以下に、その時の我が心情を描いた旅行記である 2018.08.30 公開の「米国西海岸旅行記 ー移民・難民激増で大変貌した米国編ー」を振り返らせて頂こう。
今回の我が米国旅行は19歳時のUCバークレー短期留学、そして30代にての数回の米国訪問以来25年ぶりの事だった。
19歳時の短期留学は既に43年前の話であり時代背景的に別格として、25年前の米国旅行時と比較しても現在の移民・難民の激増に驚かされるばかりだ。
白人が見当たらないと表現して過言で無い程に、移民・難民らしき多民族国民で街が溢れ返っている。
サンフランシスコ到着直後に、娘と二人で昼飯をホテル近くのバーガーキングにて摂ろうとしたところ。 どうやらこの店舗は、浮浪者化した移民・難民たちが“物乞い”をする場の役割を果たしているようだ。 入店して分かったのだが、店内には食事をしていない浮浪者で溢れている。
その一人が我々に近づいて来て言うには、「Do you have 1 dolller?」 最初は本気で訳が分からず「What??」などと問い直したのだが、これが結果として功を奏した。 あちらはおそらく、(ああ、外国人旅行者で言葉が通じないな)と理解してくれた様子だ。 他客の対応を見て理解出来たが、要するに「1ドルでいいから恵んで下さい。」との意味合いのようだ。 この「1ドル運動」とでも称するべきか? 浮浪者からの物乞いは、バーガーキングに限らず他の場所でも幾度か経験した。
米国は建国の時代から、白人・黒人間の差別社会との大きな人種問題を抱えている国家だ。
その後も遠い昔より南米はたまた中国等々からの米国への大量移民が続き、まさに“人種のるつぼ”の実態であるのは、我が19歳時点の米国訪問時より理解出来てはいた。 ただ30代の25年前の旅行時にも、未だその“人種のるつぼ”状態が続行している感覚範疇だった。
やはり、その後の大量の移民・難民の移動により現在の米国社会が作られているのであろう。
今回特に私にとって特徴的だったのは、ホテルやレストラン、スーパーマーケット等々 “ブルーカラー労働者”が働く現場に、白人労働者が極めて少ない事実である。 あるいは巷の公共交通機関を利用しても、白人層が少ない。 この現象も、おそらくトランプ大統領による経済政策の結果とも考察出来そうだ。
今回のエッセイに於いて、人種差別的表現があった場合お詫び申し上げる。
ただ未だ難民受け入れを実施していない日本に住む身として、実際日本に帰国してみると意外や意外、日本とは一見“美しい国”であることを再確認させられる気もする。
この世界規模での厳しく重い課題である「難民対策」との現実に如何に立ち向かうべきかとの難題を、地球人の一人として突き付けられた思いでもある今回の米国旅行だった……
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
上記我がエッセイ記載内容は、今回の我が国の「改正入管法」成立のニュースとは異質のものであろう。
ただ、朝日新聞「社説」の最後に掲げられている結論部分を今一度紹介すると。
既に大勢の外国人が日本で生活し社会を支えている。 だが、一部の自治体や住民は別として多くの人(国民)はその姿を直視せず、「わがこと」として考えて来なかった。 国会審議はその現実もあぶり出した。 (外国人入国者と)共に生きる道を考える。 それは、この日本の社会に生きる一人一人に課せられた役目である。
今回の安倍政権による“拙速な改正入管法審議成立”とは。
今後我々日本人にまさにこの課題を突き付けたにもかかわらず。 国家首相である安倍氏ご自身が一切その自覚(外国人末端労働者と仲良く暮らそう、との自覚)無くして、安直に成立させた法制であると私は呆れ果てている。
末端に暮らす我々庶民が、真に自分の問題として「改正入管法」の成立を受け入れねばならない時代に突入しているとして。
実際問題、それを操る国家政権こそが真に“我が事”としてこの課題に真剣に取り組むべきなのは、私が言うまでもない。
「改正入管法」を成立させたとて外国人労働者が政府の思惑程は日本には来ないのではないか、との世間の俗説も聴く。
どうやら、外国人労働者を既に受け入れている諸先進国に比し、日本の場合賃金等々の労働環境が魅力的ではなさそうだ。
それにしても、安倍政権の「改正入管法」成立までの強硬かついい加減なやり口は実に腹立たしかった。 安倍氏の任期が後3年足らずにして、この期に及んでいつまで経っても安倍氏の歪み切った“独裁ぶり”には驚かされるやら呆れるやらだ。
それでは、昨日2018.12.08 未明の参院本会議で採決され賛成多数で可決・成立した「改正出入国管理法(入管法)に関する朝日新聞2018.12.08付 社説の一部を、以下に要約引用しよう。
外国人受け入れ拡大を図る改正入管法が、政府与党の強引な国会運営で成立した。
少子化高齢化に伴う人出不足が深刻化する中、受入れの必要性自体は多くの人が理解するところだ。 それに向けて、議論を重ね合意を形づくる事が政府の役割のはずだ。 その地道な努力を放棄し、数の力で法案を押し通し、生来に禍根を残す振る舞いであり、到底認められない。
どの業種にどれ程の外国人を受け入れるかが制度の根幹だ。 にもかかわらずそれらは法成立後に省庁で決めるとし、質問されても「検討中」を繰り返した。
ごまかしの説明も多かった。 非専門職の就労に初めて門戸を開くのに、「従来の方針を変更するものではない」と言い張る。
参院法務委員会での審議に臨む前には、安倍首相が「ややこしい質問」を受けねばならないと発言した。 国会を愚弄する象徴的な光景だった。 何故拙速に成立を目指したか。 透けて見えるのは打算や思惑だ。 来年の統一地方選挙と参院選に向けて、人手を確保したい産業界の支持を得たい。 一方、外国人の増加を警戒する政権支持層も繋ぎとめたい。 その帰着が、政府が描く「単身で来日し、働き、やがていなくなってくれる労働者」像といえる。
例えばドイツは、戦後受入れた出稼ぎ労働者が国を分断する一因となったと総括し、移民を認める方向にカジを切り、共生を重視した。 韓国しかり。 こうした国々の経験から政府は何を学んだのか。 法案や国会審議からはついに見えなかった。
逆にはっきりしたのは、新制度の土台である今の技能実習制度がもつ数々の問題点だ。 実習生の多くが最低賃金を強いられたり、暴力を振るわれたりした。 野党による聞き取りや参考人質疑を通して、深刻な人権侵害状況が明らかになった。
法務省は実習生の調査を進める立場にありながら何らの行動も起こさず、山下法相は、詳細を調査し来年3月までに実態を解析すると表明したが、順序が逆だ。(中略)
既に大勢の外国人が日本で生活し、社会を支えている。 だが、一部の自治体や住民は別として、多くの人はその姿を直視せず、「わがこと」として考えて来なかった。 国会審議はその現実もあぶり出した。 共に生きる道を考える。 それは、この社会に生きる一人一人に課せられた役目である。
(以上、朝日新聞「社説」より一部を要約引用したもの。)
私は、今回の安倍政権によるいい加減かつ拙速な“「改正入管法」成立劇”を国民の一人として観察しつつ、今夏8月に実施した米国西海岸個人旅行にて見た風景を思い起こした。
以下に、その時の我が心情を描いた旅行記である 2018.08.30 公開の「米国西海岸旅行記 ー移民・難民激増で大変貌した米国編ー」を振り返らせて頂こう。
今回の我が米国旅行は19歳時のUCバークレー短期留学、そして30代にての数回の米国訪問以来25年ぶりの事だった。
19歳時の短期留学は既に43年前の話であり時代背景的に別格として、25年前の米国旅行時と比較しても現在の移民・難民の激増に驚かされるばかりだ。
白人が見当たらないと表現して過言で無い程に、移民・難民らしき多民族国民で街が溢れ返っている。
サンフランシスコ到着直後に、娘と二人で昼飯をホテル近くのバーガーキングにて摂ろうとしたところ。 どうやらこの店舗は、浮浪者化した移民・難民たちが“物乞い”をする場の役割を果たしているようだ。 入店して分かったのだが、店内には食事をしていない浮浪者で溢れている。
その一人が我々に近づいて来て言うには、「Do you have 1 dolller?」 最初は本気で訳が分からず「What??」などと問い直したのだが、これが結果として功を奏した。 あちらはおそらく、(ああ、外国人旅行者で言葉が通じないな)と理解してくれた様子だ。 他客の対応を見て理解出来たが、要するに「1ドルでいいから恵んで下さい。」との意味合いのようだ。 この「1ドル運動」とでも称するべきか? 浮浪者からの物乞いは、バーガーキングに限らず他の場所でも幾度か経験した。
米国は建国の時代から、白人・黒人間の差別社会との大きな人種問題を抱えている国家だ。
その後も遠い昔より南米はたまた中国等々からの米国への大量移民が続き、まさに“人種のるつぼ”の実態であるのは、我が19歳時点の米国訪問時より理解出来てはいた。 ただ30代の25年前の旅行時にも、未だその“人種のるつぼ”状態が続行している感覚範疇だった。
やはり、その後の大量の移民・難民の移動により現在の米国社会が作られているのであろう。
今回特に私にとって特徴的だったのは、ホテルやレストラン、スーパーマーケット等々 “ブルーカラー労働者”が働く現場に、白人労働者が極めて少ない事実である。 あるいは巷の公共交通機関を利用しても、白人層が少ない。 この現象も、おそらくトランプ大統領による経済政策の結果とも考察出来そうだ。
今回のエッセイに於いて、人種差別的表現があった場合お詫び申し上げる。
ただ未だ難民受け入れを実施していない日本に住む身として、実際日本に帰国してみると意外や意外、日本とは一見“美しい国”であることを再確認させられる気もする。
この世界規模での厳しく重い課題である「難民対策」との現実に如何に立ち向かうべきかとの難題を、地球人の一人として突き付けられた思いでもある今回の米国旅行だった……
(以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)
上記我がエッセイ記載内容は、今回の我が国の「改正入管法」成立のニュースとは異質のものであろう。
ただ、朝日新聞「社説」の最後に掲げられている結論部分を今一度紹介すると。
既に大勢の外国人が日本で生活し社会を支えている。 だが、一部の自治体や住民は別として多くの人(国民)はその姿を直視せず、「わがこと」として考えて来なかった。 国会審議はその現実もあぶり出した。 (外国人入国者と)共に生きる道を考える。 それは、この日本の社会に生きる一人一人に課せられた役目である。
今回の安倍政権による“拙速な改正入管法審議成立”とは。
今後我々日本人にまさにこの課題を突き付けたにもかかわらず。 国家首相である安倍氏ご自身が一切その自覚(外国人末端労働者と仲良く暮らそう、との自覚)無くして、安直に成立させた法制であると私は呆れ果てている。
末端に暮らす我々庶民が、真に自分の問題として「改正入管法」の成立を受け入れねばならない時代に突入しているとして。
実際問題、それを操る国家政権こそが真に“我が事”としてこの課題に真剣に取り組むべきなのは、私が言うまでもない。