冒頭表題の小論文は、1999年著とのこと。
そうすると我が恩師中村観善先生が、ちょうど現在の私くらいの年齢の頃に記された小論文であろうか?
この恩師氏は元々ご専門の医学のみならず、幅広く学問をご嗜好されていた人材であられた。 この種の小論文を記されても何ら不思議ではない感覚がある。
さてそれでは当該小論文より、教え子である私が興味をそそられた部分を以下に引用させていただこう。
< 笑いのコントラスト理論 (ズレの理論) >
カントは「笑いとは、緊張した予期が全く無へと突然転化することから生じる情緒である」と言う。
ショウペンハウエルは、カントの言う無になるのではなく、概念と事物自体とのズレであると次のように述べている。 「ある概念と、何かの関連のうちにその概念によって考えられてきた現実の対象とのズレに関する突然の知覚であり、笑いそのものはそうしたズレに過ぎない」と言う。
パスカルも概念と現実のズレが笑いの原因だと、次のように述べている。 「予期したことと実際に見ることの間に生じる驚くべき不釣り合い以上に、笑いを生み出すものは何もない」と言う。
ベルグソンは、「笑うべきことは、注意深いしなやかさと生きた屈伸性があって欲しい。 そのところに、一種の機械的なこわばりがある点だ。」と言う。 自然な流れに対して、機械的こわばりがズレを起こし、笑いを引き出すという意味であろう。
戸坂潤は笑いの論理を次のように説明する。 「物事の表面、事物の裏面がつまみ出されて、この表面と裏面が対峙させられる ー そこに笑いの論理的構造がある」と言う。 漫才におけるボケとツッコミについて、「両者の関係で言えば、ツッコミが常識や規則、約束事の世界を代弁すると、ボケは常識を混ぜ返し、約束事の裏をかき脱線します。」と言う。
(ここからは中村先生のご私論のようだが)
概念の広がりや運動がよくわかっていなかったため、意識の転移など大まかな説明になるが、各人がそれぞれの部分の概念のズレを唱えているため、統一的な理論にならなかった。 ズレの種類を詳しく分類した報告は見当たらない。
(以上、我が恩師 故中村観善先生の冒頭タイトルの小論文より、ごくごく一部を引用させて頂いたもの。)
本日時間不足につき、ここまでとさせていただくが。
我が医学部時代の中村先生は、当然ながら医学専門分野の授業を受け持たれていた。 それでもとにかく博学であられ、あらゆる科学・学問分野に深い造詣がある様子を感じ取らせて頂くことが可能だったものだ。
我が2度目の大学時代に当時の専門ではなかった「哲学」等々にはまりまくったのも、もしかしたらそんな中村先生のご影響のお陰だったかもしれない。