原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

日本の子ども達には何故「幸福感」が育たないのか?

2020年09月03日 | 教育・学校
 つい先程、ネット上で表題に関する興味深い情報を見た。


 早速、以下に引用しよう。

 国連児童基金(ユニセフ)は3日、先進・新興国38カ国に住む子どもの幸福度を調査した報告書を公表、日本の子どもは生活満足度の低さ、自殺率の高さから「精神的な幸福度」が37位と最低レベルだった。「身体的健康」では1位で、経済的にも比較的恵まれていたが、学校のいじめや家庭内の不和などを理由に幸福を感じていない実態が明らかになった。
 教育評論家の尾木直樹さんは、日本の学校現場を「いじめ地獄」と表現、偏差値偏重による受験競争過熱も相まって「子どもの自己肯定感が低く、幸福感が育たないのは必然的だ」と指摘した。

 (以上、ネット情報を引用したもの。)



 私見に入ろう。

 “コロナ禍”下に於いて学校が長期休校を余儀なくされた後、やっと登校出来た子ども達をメディアが捉まえて尋ねるに、「久々の学校はどうですか?」

 子ども達の決まり文句はこうだ。「友達やみんなに会えてとても嬉しいです!」😶 

 我が正直な感想だが、 「ホントかよ??」 
 学校や親が“そう言え!” と陰で指導しているに決まっている!! としか思えない。 

 それ程に天邪鬼の私を自覚できているが。 
 集団生活を毛嫌いしていた私にとって学校(小中高校に限定するが)へ行くことが楽しかった事など、本気の本気でただの1日も無かった。
 (まあ各論的には、好きな男の子に会えたり、テストの点数がいつも良かったのだがそれが返却されたり、部活で頑張ったり、その帰り道に仲良し友達とお好み焼きやかき氷を食べに行ったりしたことは、有意義だった。)


 上記情報によれば、「身体的健康」面では“世界1”であるらしい。
 へえ、そうなんだ。 元医学関係者としては、それが一番!、後は二の次とも思えるのだが…  何故それが、子どもの幸せに結びつかないのだろう?

 
 学校でのいじめや家庭内の不和。
 それから、偏差値偏重による受験競争過熱、ねえ。
 それらが相まって「子どもの自己肯定感が低く、幸福感が育たないのは必然的だ」とのネット情報の結論のようだが。


 子どもの内面心理に、やはり大きな矛盾感を抱かされてしまう。

 友達に会いたい! と表向き言いつつ(言わされつつ?)、いじめに苦しみ不幸に追いやられる子ども達。
 せめて周囲の大人達が幼き子どもを捕まえて、無理矢理“学校肯定発言”をさせることは辞めにしよう。
 子どもが発する正直な思いを直言出来る環境作りを成せないものか?


 何度も書くが、この原左都子の「反抗期」は凄まじかった。
 小学校高学年頃からそれが自然と芽生え、それを行動に移した。
 「反発ばかりしているお前が嫌いだ!」と同級生男子に罵倒されても決してくじけず、自己の感情を優先してきた。

 そんな私は今尚“反抗期”が続いているとも言えるが。😖
 ただ、自分の思想や感情に正直に生きられている事により、自己肯定がずっと叶っているのは幸せなことと受け止めている。


 “偏差値偏重による受験競争過熱”に関してだが。
 これについても、私は受験システムを昔方式に戻してはどうか? との発言を本エッセイ集で幾度となく公開している。
 子ども達の“偏差値”を人為的な方策で無理矢理上げようとするから、こんな歪みが生じるのであろう。 
 放っておいても勉強する子はする、しない子はしない。 勉強に限らす如何なる分野とて、所詮そんなものだ。  私などまさに“放っておかれた(おいてくれた)”お陰で、30代過ぎて尚自分の意思で学業に励んだりもした。


 子どもの「身体的健康度」が世界一!😃   それで十分ではなかろうか。
 ここは大人が少し我慢して、子どもを放っておいてはどうだろう? 
 このコロナ禍は、その絶好のチャンスかもしれない。
 もしもこの私が子ども時代に“コロナ禍”に遭遇して学校が(参考だが、親からは元々放ったらかされて育っている)放っておいてくれたならば、末は博士か大臣に上り詰めていたかも知れない。

 いやいやそんな夢の無い冗談話は 、この辺でやめておこう。
 既に高齢域に達している私だが、今尚過去に学んだ学問を生きがいにしながら、夢に満ちあふれつつこの世を生き抜いている!😝