(冒頭写真は、本日先程我が家のバルコニーから撮影した雲。)
秋の到来を表す言葉として、「空が高くなった」との表現がよく使われる。
秋になると大陸から高気圧がやって来るが。 大陸育ちの高気圧は海で育った高気圧に比して乾燥しているため水蒸気の量が少なく、晴れた日には空気が澄んで空が高く見えるようになるためだ。
ところがどっこい!
今年は9月に入った後も未だ猛暑続き、しかも超大型台風が上陸せんとしている本日の空はご覧のような入道雲だ。
(ところでこの雲の中央部をご覧頂くと、へそを出した人物が演説台で何かを一生懸命訴えているかに私の目には見える。 何だか次期自民党総裁選を揶揄ったような雲の姿に、我が目には映ったりもする…)
話題を大きく変えよう。
本エッセイ集2008.09.22バックナンバーに於いて、私は「高い空からの視点」と題するエッセイを公開している。
以下に、それを再掲載させていただこう。
さて今回は久しぶりに、私がファンであり尊敬申し上げている創作家の明川哲也氏(現在の芸名:ドリアン助川氏)にご登場いただこう。
朝日新聞9月19日(金)夕刊こころのページ「悩みのレッスン」において、17歳の予備校生男性からの相談に対し、創作家の明川氏が“高い空からの視点ももって”と題して回答されていた。
相談者の相談内容を簡単にまとめてみよう。
秋葉原事件の犯人のように、自分もイライラが蓄積されていつかは「爆発」するのではないかと不安だ。現に親に乱暴な言葉でイライラをぶつける自分がいてそんな自分が嫌で、そうなると他人を見ても嫌な部分しか見えなくなる。こんな気持ちでいるのは僕だけなのか、皆がどう思っているのか知りたい。こんな気持ちを明かしたらけげんな目で見られるだけなのか。
これに対する明川氏の回答“高い空からの視点をもって”を以下に要約する。
ぼくがカラスの子だったら、嵐の夜は本当に怖いだろう。ひどく揺れる梢の巣で、いつ終わるとも知れぬ暴風に身を震わせる。あるいは終わらないかもしれないと思い、この世を恨むだろう。でもぼくは人間の子であるから、幸いにもそれが果てることを知っている。そう長い間悩むことではないことを知っている。
人間の心は世界と同じ広さだ。その世界のすべてを見て歩くのがぼくらの人生で、心の旅なのだと思う。イラつく日々が続くこともあれば、飢餓感に襲われる日々もある。それも風景のひとつで、気長に旅を続けているとまた違った風景へと繋がっていくはずだ。砂漠と海、嵐と凪、ぼくらの心の正体は一色ではない。善でも悪でもない。矛盾でもない。ただ世界と同じ要素がそこにあるだけだ。一つの場所だけを心だと思わず、高い空からの視点ももって世界を旅して下さい。
私論に入ろう。
朝日新聞9月19日(金)夕刊こころのページ「悩みのレッスン」において、17歳の予備校生男性からの相談に対し、創作家の明川氏が“高い空からの視点ももって”と題して回答されていた。
相談者の相談内容を簡単にまとめてみよう。
秋葉原事件の犯人のように、自分もイライラが蓄積されていつかは「爆発」するのではないかと不安だ。現に親に乱暴な言葉でイライラをぶつける自分がいてそんな自分が嫌で、そうなると他人を見ても嫌な部分しか見えなくなる。こんな気持ちでいるのは僕だけなのか、皆がどう思っているのか知りたい。こんな気持ちを明かしたらけげんな目で見られるだけなのか。
これに対する明川氏の回答“高い空からの視点をもって”を以下に要約する。
ぼくがカラスの子だったら、嵐の夜は本当に怖いだろう。ひどく揺れる梢の巣で、いつ終わるとも知れぬ暴風に身を震わせる。あるいは終わらないかもしれないと思い、この世を恨むだろう。でもぼくは人間の子であるから、幸いにもそれが果てることを知っている。そう長い間悩むことではないことを知っている。
人間の心は世界と同じ広さだ。その世界のすべてを見て歩くのがぼくらの人生で、心の旅なのだと思う。イラつく日々が続くこともあれば、飢餓感に襲われる日々もある。それも風景のひとつで、気長に旅を続けているとまた違った風景へと繋がっていくはずだ。砂漠と海、嵐と凪、ぼくらの心の正体は一色ではない。善でも悪でもない。矛盾でもない。ただ世界と同じ要素がそこにあるだけだ。一つの場所だけを心だと思わず、高い空からの視点ももって世界を旅して下さい。
私論に入ろう。
心を病む人々が激増している世の中である。
そんな中、今の私には頭さえボケない限り、おそらく今後一生心を病まない自信が少しだけある。それは決して私が感情の乏しい人間だからでも、心臓に毛が生えているからでもない。むしろどちらかと言えば感情の起伏が激しく、繊細なハートの持ち主である(??)と自己分析している。
それなのになぜ心を病まない自信があるのかというと、明川氏がおっしゃる“高い空からの視点”が持てるからである。すなわち、ある程度の長さ大きさの時間的空間的スパンにおける自己の存在を客観視できる能力が既に備わっているからである。何らかの事情でたとえ今どん底に陥っているとしても、風景は常に移り行くことを経験則で学んできているのだ。
それは決して昨日今日の短時間で学べたということではない。長い年月をかけて様々な経験をひとつひとつ積み重ねる事により、視点が徐々に高くなって行ったのである。
それが証拠に私も若かりし頃にこの予備校生のような心理状態を経験している。私の場合は“イライラ”を自分自身の内面に向けてしまい、自分の体を攻撃した。
今で言う“過食症”的症状を経験している。(当時はまだそういう言葉がない時代だった。)一度にパンを一斤食べてみたり、ポテトチップスを一気に3袋位食べたりして無意識のうちに自分の体を痛めつけることにより“イライラ”を解消した時期があった。毎日毎日それを繰り返していた。やはり17歳頃の大学受験のストレスが溜まっていた時期の話である。幸い受験の終了と共に症状は自然に消え去って行ったが。
その後心がフリーになり、明川氏のおっしゃる人生という私にとっての世界の旅が本格的に始まる。
この相談者の予備校生も既に自身を十分に客観視できているし、また周囲に対する配慮の心も伺える。何も心配はないどころか、おそらく予備校生という“半端”な時期を過ぎ去れば、自分らしい人生の旅が待ち構えていることであろう。
人生における経験値が高い程、自らを見渡す視点も高くなるものだ。
人生の旅人達よ、良き旅を。
(以上、本エッセイ集2008.09バックナンバーを再掲載したもの。)
これを本日読み直して、私自身が驚きを持って思い出した。😨
確かに私は高2の途中から高3の終わりにかけて、確実に「過食症」だった!
特に共働きの親が帰宅する前や寝静まった後に、家に置いてあった食パンや菓子類を食って食って食い散らした。 食パン一斤にポテトチップス3袋、ある時は母が作って置いてあった金時豆を鍋一杯…
普通の親ならばこの行動を発見したら“病的”である事に気づき、「今すぐやめなさい!」と叱るであろう。
ところが我が母は違った。 我が小学校高学年頃から“痩せ過ぎ”を指摘され続けていた私だったが、母親がそれを周囲から「親こそが子どもの痩せ過ぎに気をつけてあげたら…」と注意されていたのを私は端で見て知っている。 それが悔しかった母は「身長にばかり栄養がいってねえ!」と言い張り、決して私の“痩せ過ぎ”を改善しようとせず、その後も食事のすべてを祖母に任せ続けた。
あの頃の怨念が母の脳裏にあったのであろう。
愚かな母は私の“爆食”をむしろ喜んだ。 (これでこの子は太ってくれる!)とでも期待したのだろう。 それが証拠に私が好んで爆食しているものを買い込んで、いつも台所に置いてあったのだ…
高校を卒業した後は、我が“過食症”も自然と治まった。
ただ、私側こそがこれぞ怨念だ。 17,8歳の“番茶も出花”の時期に過食症で太らせみっともない姿にさせられて…(とは言っても元々痩せ過ぎ体型のため、せいぜい57㎏程度だったのだが。)
そして医学部卒業後の就職先を東京に定め、私は親も郷里も捨て去り単身上京の道を選択した。
その後は、我が目指すべく理想体型と健康体質を自力で維持し続けている。😊
話題が大きく逸れてしまったが。
ここで、ドリアン助川氏(明川哲也氏)に関して説明しておこう。

私の“プロフィールエッセイ”をご覧になった方はご存じであろうが、私が尊敬する人物として「明川哲也」氏を記載している。
特に「原左都子エッセイ集」を開設した当時は、実際本気で「明川哲也」氏の大ファンだった。😍
明川氏を存じ上げたのは、朝日新聞の上記若者対象の相談コーナーの相談員を務めておられた時期だ。 その明川氏による相談回答に私は魅了され続けた。 しかも我が思想やポリシーと共通項があると(失礼ながらも)実感させていただいたりもした。
今現在は、メディア上で明川氏に接する機会は無いのだが。
我が尊敬する人物を他の人物に未だかつて変更しないのは、それに該当する人が皆無であるが故だ…。(あっと、そもそもアインシュタイン氏がそれに該当するのだが、現在に至ってはアインシュタイン氏の著書類等に触れる機会すら無い…)
ご覧のように、明川哲也氏は現在“ドリアン助川”氏との元々の芸名に戻されてご活躍の様子だ。
現在は、大学教授をなされているとのこと。
必ずや良き教授として学生達に接しつつ、ご活躍のことであろうことが想像可能だ。
今後とも、(私にとっては)明川哲也氏のご活躍の程を楽しみにさせていただきます。
あっとっと!
明川哲也氏は私よりも年上の方とずっと認識して来たのですが、私よりも7歳も年下であられたのですね!!
大変失礼申し上げておりました事を、今更ながらお詫び申し上げます…