原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

週刊誌って、何でこんなに他人の老後に“お節介”なの!??

2020年09月20日 | 自己実現
 (冒頭写真は、本日の朝日新聞広告欄より一部を撮影したもの。)


 週刊誌としては明日が「敬老の日」のため、高齢者向けにこの種の広告を掲載したのであろうか?
 それにしても、私に言わせて貰うに“お節介にも程がある!!!”

 一体何歳位の高齢者相手の広告か不明だが、我が家などとうの昔にこれらの話し合いを成し、既にすべての方向性が固まっている。


 
 項目毎に取り上げてみよう。

 ◎ 残された妻(夫)を幸せにするために夫婦で共有しておくこと、今夫婦でやっておくべき手続き

 あのさ~~~。
 私の場合、おそらく先に死ぬであろう亭主に“幸せにして欲しい”なる希望が一切無いんだけど~~
 ただそう言われてみると、我が家の場合は亭主が後に残された場合の課題は確かに大きいかもしれない。  その辺は、今後の重点課題かもね。


 その小項目として挙げられているのは。

 〇 夫婦でやれば出来る銀行・不動産の手続き

 我が家の場合夫婦間“年金独立採算制”を採用している関係で、各々の通帳がすべて個人管理だ。 ただ最近、亭主の配慮で我がパソコンからも亭主名義の通帳が閲覧可能の設定をしてくれた。 このお陰で、いつでも亭主通帳の残高確認が可能になったのは今後に向けて有意義だ。 
 そう言われてみれば、亭主通帳(2冊)の印鑑の場所は知っているが、“暗証番号”を心得ていなかった。 近いうちに確認しておこう。
 我が通帳(3冊)残高に関してはそのすべてを娘に相続(亭主も同意済)する予定であり、娘にはその件を既に伝えてある。 ただ、あの子が忘却している恐れもあるため今後に渡り確認を繰り返すべきだろう。

 〇 なんとなくではなく、はっきりと葬儀と墓を確認しておく

 これに関しては、既に亭主が定年退職した頃に決定した。 葬儀は自宅近くの葬儀場の“年会員”になり、半年に一度冊子が送付されてきている。 当然ながら“家族葬”を希望しているため、おそらく出席するのは私(あるいは亭主)と娘のみだろう。 とにもかくにも、娘に迷惑を掛けない事が第一義だ。
 墓に関しても、その葬儀場が経営する「永代供養」に既に登録している。 10年間程、自宅近くの葬儀場併設の「永代供養場」に入れて貰った後は、(放っておいても)多摩かいずれかの場にある大規模永代供養場へ移される事となるようだ。

 〇 自分の気持ちを伝えていますか。最後の最後に感謝される人になるために

 よー分からん文言だなあ。 私は、最後の最後に誰かに感謝されねば命を閉じられないようなせせこましい人間ではないぞ!
 そもそも人に感謝されたいがために生きてもいない。 自己実現意欲に駆られ日々それを実行しつつ、自己満足でよいから達成感を得つつ今後も命がある限り生き続けたいものだ。


 ◎ 人生の最後に間違える人たち

 〇 やってみたら後悔だらけ、家族葬の罪と罰

 いや、我が家の場合はおそらく家族葬で何らの問題も無い。 既に亭主の姉は死去しているし、我が米国の実姉とは縁を切っている状態だ。 誰も後悔するべく人物が見当たらない。

 〇 一度はじめたらもう戻れない。 田舎暮らしは頭で楽しむもの、現実にしてはいけない。

 これには100%同感だ! そんなことをとうの昔から百も承知で、私は40数年前に単身で上京している。 都会暮らしを十二分に楽しんで来ている身にして郷里の過疎地には何らの未練も無い。

 〇 家のこと、相続のこと、事前に準備をしていないならすぐに決めない

 “釈迦に説法”だねえ。 だから万全な準備をしていると何度も言っている!

 〇 子どもは子ども、あてにしない、あてにされない生き方をする。

 何だか我が家にとっては“嫌がらせ発言”っぽいのだけど…
 あてにする訳もない代わりに、私の死後の娘対策が今後一番の課題だ。
 我が娘の場合、27年間近くに及び我が“サリバン教育”の賜で、他者から騙されるとの被害はないものと信じたい。


 ただやはり、娘が一番懇親に係わって来たこのサリバン母が死に至ったら、娘がさぞや寂しいことだろう。 


 そんな娘のためにも、私自身が必ずや長生きしてやりたいものだ! 

 そのためには絶対的にコロナごときで我が命を失うわけには行かない。