原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

女の名を挙げときゃ済むだろうとの風潮、私も昔から忌み嫌っている!!

2021年02月17日 | 時事論評


 本文無し!




(後日、説明したくなったらします。)












我が“理研”勤務時代の苦悩と屈辱

2021年02月17日 | 自己実現
 昨日、「STAP細胞事件」にて一時世間を騒がせた小保方氏がパティシエとして再スタートしたニュースを取り上げたが。


 昨日のエッセイ執筆後、やたらと我が理研勤務時代が走馬灯のごとく我が脳裏を巡ってしまう…

 そんな我が心理状態を、本日は少し語らせていただこう。


 時は、発達障害を持ってこの世に生まれ出てきた我が子が幼稚園時代年長組の頃だ。 
 いつものように自宅でひとり朝日新聞を読んでいたところ、求人ページ(当時は新聞誌上に未だそのページがあった時代背景だ。😮 )に、「理研の研究助手募集」があった。
 当時住んでいた我が住居が、理化学研究所大規模研究センターの近くだったのだが。
 応募要項を読んだところ、我が医学関係の職歴が十分にその条件満たしているようだ。 既に40代半ばの年齢だったが“ダメ元”で応募を実行した。

 その際に提出したのが履歴書と下の我が医学業務に関する「職務経歴書」。

         


 その後間髪入れず、新聞募集を出したご本人(理研基礎医学分野主任研究員、医学博士・医師)より電話があった。
 そして、面談に出かけたところ。 
 主任研究員氏曰く、「今回応募が20通ほどありましたが、条件を満たしているのは貴方だけでした。 2,3名採用したかったのですが貴方しか適任者がおりませんでしたので即採用しますが、明日からでもすぐに職場に来ていただけませんか?」
 あまりにも急だったが、どうも実験業務が盛り沢山溜まっている様子でもあり、それに応えて次の日から出勤と相成った。

 その日から、私は実験担当助手として目まぐるしく指定された実験を自分自身の「実験ノート」に盛沢山の記録をしつつ、実験室にて単独でこなす日々を過した。

 ただ…
 この主任研究員氏に関してだが、その専門力の程は実に素晴らしい事実を私も認めるのだが。 反面、その種の人材によくありがちな、“人間対応面での能力欠落” “客観性の無さ”等々を海千山千の私は直ぐに把握した。
 (これ、付き合いにくい上司だなあ…)等々と内心思いつつも、何分こちらが8歳ほど年上であるし、ここは人生経験豊富な私側が“大人対応してやろう”と思い起こす日々だった。
 ただ間違いなく頭が良い奴(失礼!)で、最終局面に於いては必ずや「〇さんのお陰で実に助かります」などと、この人物にしてはかなり無理して言ってくるのが可愛くもあるのが事実でもあった。 😂 



 ここで昨日公開した小保方氏に関するエッセイ内に紹介した、2014.08.05公開の「笹井副センター部長自殺はSTAP不正を証明したも同然」と題するエッセイ内の一部を引用させて頂こう。

 “笹井氏が(首を吊った状態で)発見された理研研究棟階段の踊り場” に関して原左都子の記憶にある私事を述べよう。
 私は過去に(関東地方に位置する)理研某研究所へ勤務した経験がある。
 その時の私にとっての理研とは、(たかが“アルバイト”との職務範囲を限定されている立場だった事が第一の理由で)何とも居心地の悪い職場であった。
 例えば正職員の立場であれば実験の待ち時間等の合間に、当然ながら自分の研究課題である参考論文等のチェックが可能だ。 ところがこれが一旦アルバイトともなると、研究機密等の理由があるためやむを得ないのだが自由に閲覧させてもらえない立場だ。 そのため実験待ち時間を如何に過ごすかと言うと、(自らの元科学者としてのプライドを押し殺し)研究室内のゴミ集めをしたり、実験器具の洗い物をこなしたり……。  ところがその作業専門に雇われているアルバイト氏が存在するため、私が勝手に手出しし過ぎるとそれらアルバイト氏達の業務妨害ともなり得る事態だ。
 そんなこんなで、元々客観力のある私は実験の空き時間を如何に過ごすかに関して、知恵を振り絞ったものだ。 ある時はトイレで時間を稼いだりもしたが、これとて時間制限がある。
 そんな時我が脳裏にひらめいたのは、理研研究棟階段の昇降を繰り返す事によりストレッチ運動して過ごす事だった!
 と言うのも理研研究棟の階段とは薄暗く、普段“誰も使用していない”状態なのだ。 そもそも理研研究棟とは人口密度が低いのに加えて職員の皆さん“エレベーター派”だった様子で、ここを通行する人間が皆無状態である事を私は見抜いていた!  そんなこんなで、私はこの階段を自らの実験の空き時間に“ストレッチ運動場”として利用出来たのである! 
 だからこそ、理解できるのだ。  何故笹井氏が「理研研究棟の階段踊り場」を自分の“死に場所”に選んだのかを…
 冗談抜きで訴えたいのだが、もしも理研研究棟の階段がもっと人が通行する場として機能していたならば、笹井氏はそこで自殺する必然性など無かったのではないかと。
 一旦私論だが、どうも理研とは様々な意味合いで「閉鎖的要因」が大きいのではなかろうか? 
 「アルバイト」には研究機密保持目的で、すべての情報収集を禁止する?? それはやむなしとしても。
 理研は研究員等の健康目的でも、もっと研究棟の階段ストレッチ使用を奨励するべきではないか?!

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用したもの。)


 
 我が理研でのアルバイト勤務に関する最終場面を語るならば。

 我が娘が小3時の冬に学校内の“いじめ”が主たる原因で我が家が都内に住居を買い換え引越をするのと並行して、私は理研を退職した。

 その手続きに理研の事務担当者の処へ言った時。

 我が上司であった上記主任研究員氏がその場にいるではないか!
 何をしに来たのかと私としてはかなり驚いたのだが。
 「〇さんにお渡ししたいものがある」とのことで、退職手続きが終了した後に、実験室を訪れたところ。
 
 なんと、私が実験でかかわったご自身の“ネイチャ-論文コピー”を手渡して下さったのだ!
 これには当然大感激の私だ。😭  

 
 当該論文コピーは、今でも我が書棚に大事に保存してある。 

 「苦悩」と「屈辱」が多々だった我が理研研究助手時代だったが。

 “終わりよければ、すべて良し!”  とまとめておこう。😃