冒頭から、今朝方見たネット情報の一部を以下に引用しよう。
「優秀なのに雑用まみれの人」と「平凡なのに圧倒的成果を出す人」の根本的な違い
2021/12/19 06:00
リモートワーク、残業規制、パワハラ、多様性…リーダーの悩みは尽きない。多くのマネジャーが「従来のリーダーシップでは、もうやっていけない…」と実感しているのではないだろうか。
そんな新時代のリーダーたちに向けて、認知科学の知見をベースに「“無理なく”人を動かす方法」を語ったのが、最注目のリーダー本『チームが自然に生まれ変わる』だ。
部下を厳しく「管理」することなく、それでも「圧倒的な成果」を上げ続けるには、どんな「発想転換」がリーダーに求められているのだろうか? 同書の内容を一部再構成してお届けする。
「雑用こそリーダーの役目だ」
という考え方のワナ
個人にせよ、チームにせよ、内部モデル(=ものの見方)そのものを大きく変更しない限り、行動に変化は起こらない。いくら「努力」や「意識」によって行動を変えようとしても、「元どおり」になろうとする心理的ホメオスタシスが働くからだ。
そこでカギになるのが「真のWant to」をベースにしたゴール設定だ。「心の底からやりたいこと」を見極めるときには、「Have to(=やりたくないけれど、やらねばならないと思っていること)」を洗い出し、それを捨てることが必要になる。
「すぐサボろうとする人」と「ずっと努力できる人」の根本的な違い
実際に決断を下せたら、実際にそれらを手放していこう。
「捨てる」というより「任せる」と言ったほうがいいかもしれない。
とくにリーダーの立場にある人は、つい「誰の仕事でもない雑務」を膨大に抱えがちだ。
そのため、チームのなかの誰よりもHave toにまみれた状態になってしまう。
自分で仕事を抱え込むのではなく、ほかに任せられる人はいないかを積極的に検討しよう。
なんでもかんでも、メンバー任せにすればいいということではない。
とくに軸にすべきなのが「得意かどうか」という観点だ。
ある特定の業務が苦手なら、それが得意な部下や仲間に権限委譲するようにしてみよう。
その分、リーダーはHave toから解放されるし、メンバーもWant toに近い領域で能力を発揮できるようになる。
結果的にチーム全体のセルフ・エフィカシー(自己効力感)の向上にもつながるはずだ。
「人にあっさり任せてしまう」という傾向は、卓越した才能を持つ起業家にはよく見られるものだ。
「自分は何でもできる」と思っている起業家は意外と少ない。
むしろ優秀な人ほど、「チームの力を借りないと自分は何もできない」と自覚している。
だからこそ、誰かに丸投げしてしまうことにためらいがないのだ。
逆に、雑務を抱え込んでしまうリーダーは、心のどこかで「自分はこれが得意なのだ」「自分のほうが優秀なのだ」と思ってはいないだろうか?
しかし、雑務処理やトラブルシューティングにしかエフィカシーを感じられないリーダーは、結果的にはチーム全体のエフィカシーを低下させることになる。
リーダー自身がHave toを振り切って、Want toに向かって突き進む姿勢を見せる必要がある。
仕事を任せる先は、人間だけとはかぎらない。いまやAI(人工知能)などの精度もかなり上がっているからだ。
しかも現代においては、業務のまるごと全部をAIで代替する完全なオートメーションよりは、ワークフローの一部にAIを組み込んで人間との協働を果たす「ヒューマン・イン・ザ・ループ(Human-in-the-Loop)」のようなモデルが一般的になっている。
このトレンドがさらに加速していけば、人々が抱えているHave toは、ますます手放しやすくなっていくだろう。
(以上、ネット情報より一部を引用したもの。)
原左都子の私事と私見に入ろう。
バックナンバーにて再三述べているが。
私は新卒にて入社した医学関係企業にて、女性としては社内トップバッターともいえる早期に所属部署の係長に任命された身だ。
上記文章を読んで、その頃の我が業務の様子が我が脳裏に走馬灯のように蘇ったのだが。
私の場合は、決して「平凡」との言葉が似合うような人材ではなかったと自己分析するが、とにもかくにも「圧倒的成果を出す」ことには、職場長としてこだわりがあったタイプだ。
(だからこそ、部下から「貴方が嫌いです!」と直言されたのだろうが。)
「雑用こそリーダーの役目だ」。
これもその通り!と言いたいところだが、私の場合、雑用を効率的にこなすのも得意技だったかもしれない。 とにかく、業務の優先順位を精査しては(元々共同作業が嫌いな私としては)自分一人でがむしゃらに頑張った記憶がある。 それを実行するのも快感で、誰の助けが無くとて単独ですべてを成し遂げた自負もあるなあ。
いやもちろん、職場のリーダーには“多角的視野”も必須であることは心得ていて、自分の仕事をあえて部下に回すとの配慮にも心がけた。
一番の痛手だったのは私が私的事情で有給休暇を取った日に、部下に業務上のミスをやらかされたことだ。
この事件に関しては、“職場長の監督不行き届き”との事で、係長の私に全責任がのしかかってきて「始末書」を提出する事態となった。
当該事件は今尚鮮明に記憶しているが、確かに直属上司である課長のおっしゃる通り!と判断して、始末書を書いたものだ。 何分、医学分野の仕事のため、少しのミスが患者の命取りともならない厳しい職種だ。 それを改めて実感させてもらえた「始末書」騒動だった。
上記引用文章内にある、「なんでもかんでもメンバー任せにすればいいということではない。 とくに軸にすべきなのが“得意かどうか”という観点だ。」
これに関しても異論があるなあ。
豪語させてもらうならば、私の場合如何なる業務に関しても部下より自分自身が卓越している、との(あくまでも“若気の至り”の)自負があったものだ。
例えば、本業の医学に加えて “コンピュータプログラミング”の業務も発生した。 これとて、医学部時代にその実習を終えていたのは私のみであり、結局係長である私がそれを担当することになった。
これに関して付け加えさせてもらうならば。 本業である医学分野に関する仕事であるならば、私とて部下に任せたことであろう。
ところが、こと医学分野以外の業務に関しては、出来る者がやる!との私の判断は正しかったと振り返る。
上記引用文章の中で興味深いのは。
「仕事を任せる先は、人間だけとは限らない。いまやAI(人工知能)などの精度もかなり上がっているからだ。」
まさにその通りであろう。
その意味では現在の職場の上司が果たす役割も、大いに移り変わっていることだろう。
いま現代の、時代がすっかり変遷した職場でリーダーを経験してみたかったものだなあ。