(冒頭写真は、朝日新聞2021.12.24付記事「ピタゴラスよ 遅かったな バビロニア人 三平方の定理使った測量図」より転載したもの。)
まずは、皆さんが中学生時代に習った「ピタゴラスの定理(三平方の定理)」を復習しておこう。
これを知らない、と言う人はおそらくいないものとして話を進めよう。😁
以下に、朝日新聞記事を要約しよう。
豪ニューサウスウェールズ大学提供(以下同)の、粘土板に描かれた長方形。直角三角形が二つ組み合わさっている。
粘土板の裏側には、土地の面積や契約に関する記述があった。
三平方の定理を満たす数が15組記された粘土板。
粘土板を調べるダニエル・マンスフィールド氏。
三平方の定理(ピタゴラスの定理)は、中学校で学ぶ幾何学の代表的な定理の一つだ。
豪ニューサウスウェールズ大学のダニエル・マンスフィールド上級講師は、1894年にイラクで発掘された古バビロニア時代の粘土板に、3辺の長さの比が5対12対13と、8対15対17の直角三角形が描かれているのを発見した。
粘土板はトルコの博物館に保管されていたもので、直径10㎝程の円形。 くさび型文字や図形が描かれ、三角形の二つを合わせた長方形の面積も記されていた。 土地の契約に関する記述もあることから、畑を分割した時の測量図とみられる。
バビロニア人が三平方の定理を理解していたことは知られていたが、今回の発見で、直角を必要とする面積の測量で実際に三平方の定理を使っていたことが確認されたという。
三平方の定理は、発見したとされていた紀元前6世紀の古代ギリシャの哲学者の名前から「ピタゴラスの定理」とも呼ばれるが、バビロニア人が活用していたのはそれより約1千年も前になる。 (中略)
バビロニア人はあらかじめ形が異なる直角三角形の定規を準備しておき、土地の形に会った定規を選んで測量していたのではないかと、マンスフィールド氏はみている。 この時代は日本では縄文時代にあたるが、古バビロニアではすでに土地の所有や売買が盛んだったとされ、土地の分割や建物の建築で正確な測量が欠かせなかったようだ。
バビロニア人は、三平方の定理を満たす数だけでなく、ルート2の正確な値や二次方程式の解法も知っていたといされる。
(以下略すが、以上朝日新聞記事より一部を引用したもの。)
で、バビロニアって、何処だ??
イラク,メソポタミア南部,チグリス川・ユーフラテス川下流地方の古名。紀元前3000年頃にはシュメール人の都市国家が栄え,前2350年頃アッカド人が統一国家を建設。その後,バビロン第一王朝(前一九~前一六世紀),新バビロニア(前七~前六世紀)などの王国が栄えた。
ああ、あの辺かあ。
中学生時代に “数学大好き!!少女” だった原左都子も、バビロニア人の血を引いているか?!? と思いたかったが、残念ながらそうではないようだ…😖
それにしても、素晴らしい話題だ!
ピタゴラスが「ピタゴラスの定理」を発見する約1千年も以前の時代(日本では縄文時代)に。
バビロニア人は既にその原理を突き詰めていて、畑の測量等において実用していたとは。
今後は、「三平方の定理」は「ピタゴラスの定理」ではなく、「バビロニア人の定理」と呼ぶべきかもしれない!?!