原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

現在の地球は “第6の大量絶滅時代”にあり 急速に生物種が減少しているらしい

2023年01月12日 | 時事論評
 (冒頭写真は、朝日新聞2023.01.10付社説より グローバル・フットプリント・ネットワークによる「人間のくらしは地球何個分か?」を転載したもの。)



 早速、上記写真が掲載されていた朝日新聞・社説「人口80億人 地球の限界を考える」の一部を、以下に要約引用しよう。

 世界の人口が昨年11月に国連の推計で80億人を超えた。
 人間は文明の発達とともに養える人口を増やしてきた。 農業や産業革命といった大きな技術革新で利用できる土地や資源も広がった。
 今後、人間が必要とする物資を効率的に得る飛躍的な技術革新が起きたり、人口が減少して食糧やエネルギーを分かち合ったりして暮らしていけば、といった楽観論もあるかもしれない。
 半面、地球が生産できる生物資源も無限ではない。
 人間が地球環境にどれだけの負荷を与えているのかを知る一つの指標「エコロジカル・フットプリント」(「生態系を踏みつけている足跡」との意味で、カナダの学者らが提唱した。
 これは、人間の生活や経済活動によって農地や森林などの陸地や、漁場となる海をどれだけ使ているかを示す。統計データをもとに、地球が1年間でまかなえる量で人間が生活をしているかが、推測できる。
 正解人口が30億人余りだった1961年には人間は地球0.7個分の生活だったが、いまは1,8個分の暮らしだ。
 もし、世界中の人々が日本と同じ暮らしをしたら、地球が2,9個必要になる。 米国と同じなら、5,1個、中国なら2,4個、インドなら0,8個だ。
 裕福な生活ほど、一人当たりの消費は増える。 豊かで便利な生活は、それだけ未来に負荷をかけているさまが浮かぶ。 (途中大幅略)
 地球は46億年の歴史で5回の代量絶滅を経験してきた。 現在は、6500万年前に恐竜などが絶滅した時代に続く第6の大量絶滅時代と呼ばれ、当時よりも急速に生物種が減っている。
 絶滅の勢いは、過去1千万年間の平均の数十倍から数百倍も早まっている。 人間による破壊力はすさまじい。 (中略)
 すでに「生物多様性」「窒素とリンの循環」「気候変動」「土地利用の変化」でリスクが顕在化して、人間が安全に活動していく範囲を超えていると分析される。
 地球の人口は2050年に100億人を超え、2080年に104億人でピークを迎えると推定されている。
 循環型の社会づくりは、地球のためでも自然のためでもなく、人間の未来のためだ。
 80億人突破を機に、地球の現状と生活を見つめ直し、子孫に何を残せるか考えていきたい。

 (以上、朝日新聞「社説」より一部を要約引用したもの。)




 原左都子の私事及び私見だが。

 1961年と言えば、私が生まれて未だ6年目。ちょうど私が小学校へ入学する頃の事だが。
 その時には未だ、人間は地球0,7個分の生活をしていたんだなあ。
 この私など日本の過疎地に産まれ出ている故に、おそらく余裕しゃくしゃくにゆったりと地球上で生きていた計算となろう。

 それが、71年には地球1個分を超えたと書かれているが。
 その頃の私は16歳。 過疎地の高校生になって日々汽車通学をしていた時期だ。 確かに未だ人口密度の急な上昇感は無く、余裕しゃくしゃくだった印象が強い。

 2023年の今となっては、地球1,8個分の暮らしに成り下がってしまい…
 都会暮らしが性に合っている私だが、確かに地球の窮屈感を抱く日々も多いかもしれない。

 これ程窮屈になった地球に要求されるのは、「循環型社会づくり」であるようだ。
 さほど“子孫繁栄”を望んでいない私(我が家系)としては、地球の未来に迷惑を掛けることは少ないかもしれないが。
 
 我が故郷である「地球」が少なくとも大宇宙空間に永遠に存在していて欲しいなる要望は、あるかもしれない。