(冒頭写真は、朝日新聞広告欄より転載したもの。)
冒頭写真のごとく、「受けたくない治療を断る」こととは、そもそも患者としての義務と医学関係者の私は心得るが。
その思いが積み重なると、今回の表題の如く「行きたくない病院をやめたく」なるものだ。
いえいえ、この原左都子は過去に大学医学部にて医学教育を受けた医学関係者である故に、人よりも“医療に対する否定感情”が出やすいのかもしれない。
特に、私自身が納得いかない医療行為や医師からの身勝手な診断や治療の強制等があった場合、この反発心が我が内面からみなぎってきてしまうのだ。
その結果私の場合は、「受けたくない治療を断る」よりももっと手っ取り早い手段として、表題に掲げた「行きたくない病院はとっとと行くのをやめる」との強硬手段に出ることもある。
その事例として、9年前に右手首・左鎖骨を同時骨折し近くの整形外科を受診した時のことを思い起す。
直接診察して下さる院長先生に関しては、特段の問題はなかったのだが。
初診から2週間程が経過して、骨折箇所の「リハビリ」が始まったのだが。
この「リハビリ」について説明すると。
私の感覚では、理学療法士の資格を保持していないおそらくパートのおばさんらしき人物が、単にリハビリマシンを我が骨折幹部に取り付けて放置し、一定時間温めるとの療法を実行する、との手段等々なのだが。
周囲でリハビリを受けている患者さんのほとんどが高齢者。
その隣に座ってマシンのリハビリをしていると、それら高齢女性たちが必ずや私に話しかけて来て、ご自身の“病気自慢”を始めるのだ!
テキトーに相槌を打ったりするのだが、正直言って鬱陶しく ちょっと勘弁願いたかったものだ。
この「リハビリ」を2度程施された後に、私は当該整形外科医院での診療をやめる決断を下した!
その理由とは、“まったくもって時間の無駄!”それ以外の何でもなかった故だ。
同時に、我が鎖骨及び手首の2箇所の骨折状況が回復に向かっている事実を自ら診断したからに他ならない。
(後日談を少し語ると、コルセットを背負い続けていた鎖骨の方はその後順調に回復に向かい2か月を待たずして完治したが、右手首に関しては多少難義した。 手首とはどうしても普段酷使せねばならない箇所であるため、いつまでも痛みが残ったものだ。 それでも骨折8か月後くらいまでに痛みも取れて、完治しただろうか。)
今回のテーマで本日エッセイを書こうと志したのは、他の何でもなくて。
表題の通り、今膝複雑骨折にて通っている病院をやめたくてしょうがない故だ。
やめて他の病院へ移るという意味では無くて、そもそも病院へ行く趣味が全く無い私としては、通院を全面的に終了に持ち込みたいとの意味合いだ。
今回お世話になっている病院とは、そもそも私が好んで選択して行った病院ではない。
路上で転び、救急搬送された際に救急隊員が決定して連れて行って下さった病院だ。
このように、そもそも私が好んで選択して行った病院ではない、という事実が最初からずっと引っ掛かている。
加えて自宅から遠く、左膝複雑骨折状態のため通常の交通手段で通えない身であり、タクシー利用等で交通費に余分な負荷がかかる。
しかも、医師(私の整形外科主治医ではなく)、リハビリの際に少し問診した別医師の説明・指導等に関して大いなる不信感を抱かされている最中だ。(まあ、これが一番の理由かな??)
明日が、そのリハビリの日なのだが。
明日のリハビリ時にはその医師との面会は無いので助かると言えばそうなのだが。
一旦不信感を抱かされると、病院全体に対して不信感を拡大してしまうのは私だけでないだろう。
病院を患者の意思で辞めるのは簡単であることも、上述の如く十分承知しているが。
今回困惑するのは、左膝の金属(針金で編んだもの)の除去手術(3日間の入院を要する)がほぼ1年後に控えている事実だ。
もしも今の病院を辞めた場合、その除去手術を施してくれる病院を自分で探さねばならない。 これが困難な気がするのだ。
まあ、明日はリハビリに行く予定でいるし、明日行ってみてもう少し様子を探ってみることにするかなあ。