原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

何故、数学・物理系の職業女性比率が低いのか?

2023年01月07日 | 教育・学校
 本日は、朝日新聞「書評」ページよりエッセイの題材を得よう。


 早速、本日 2023.01.07.付 朝日新聞「書評」ページ」より、横山広美著「なぜ理系に女性が少ないのか」に対する 千葉大学教授・石原安野氏による書評「日本特有の『社会風土』から分析」の一部を、以下に引用させていただこう。

 OECD(経済協力開発機構)が進める15歳以上での国際学力テストの日本女子の数学の平均点は、大多数のOECD加盟国で群を抜いて最低だ。 この要因は何か。 特に女性比率の少ない数学・物理分野に注目し、問う。 (中略)
 この課題に関し、科学技術社会論の研究者が目を付けたのは日本特有の「社会風土」だ。 学力の高い日本の女子学生が理系分野への進学を躊躇し、各国で進む女性の理系進学率の上昇に日本だけが取り残されている現状を見ると、そこに何らかの独自の要因があると考えるのも頷ける。
 ターニングポイントはどうやら中学校らしい。 小学校では好きだった物理学も中学校ではそうでなくなる。  問題は授業での学問の魅力の引き出し方だけではない。 物理学や数学の「男性的なイメージ」や、親や教師、ひいては自分自身が内面化してゆく「女性だから」「男性だから」こうあるべきという心理的なハードルでもあることが示唆される。 (中略)
 男女問わず中学生の理数系能力を正当に評価し応援すること、高1までに理系分野のキャリアや社会での役割について伝えること。 そして、小中でのジェンダー平等教育。 これらの積み重ねが現状を変える可能性がある。

 (以下略すが、以上朝日新聞「書評」ページより一部を引用したもの。)




 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 以前にも朝日新聞「書評」ページより、女子の“理系進学”に関して同様の書評及び我が私見を公開した記憶があるが。

 今回の書評の場合、理系の中でも特に「数学・物理」に関して論じた書評内容であるため、再び取り上げることとした。


 私が特に中学生時代を中心に「数学」好き少女であり、その後高校へ進学した後もその好みに変化がなかったため。
 結果として大学進学に際し、私は「医学部」への進学を決めた事実に関してはバックナンバーにて幾度か述べている。

 私が何故「数学」系学部ではなく、「医学部」へ進学したのかを説明するならば。 
 それは、そもそも親から「何が何でも地元の国立へ行け!!」との使命を課せられていたことが第一の理由である。
 いや、我が郷里の国立大学には「工学部」も存在したのだが。
 私はそもそも「数学好き」であり、理科(特に「工学」方面)にはさほどの興味が無かったこと。 そしてとにかく我が親どもからの、「卒業後は手に職をつけて必ずや働いて生きていくように!」との“刷り込み力”が半端でなかった故である。

 加えて私側も未だ18歳との年齢にして、工学分野の勉学に励んだ後の“職業人”としての未来像が描きにくい時代背景下にあったことが一番の要因でもあった。 

 それに対し、「医学分野」に関しては未来像が描き易かった。
 その後の結果としては、私は郷里の医学部卒業後は親を捨て郷里を捨てて単身上京し。 医学分野民間企業にて「免疫学」の(当時としては時代を先取りした斬新な業務に携わることが叶い)、実験・研究や医学学会発表と多忙な医学者人生を歩める道程を歩めたのは、実にラッキーだったと結論付けられそうだ。

 ちなみに私は後に見合い晩婚にて「物理学研究者」と出会え、成婚に至っている。 この縁で我家には物理学専門書が溢れているし、いつでも物理学に触れられる環境下で、実に充実した人生の軌道に乗れたと満足している。


 そんな我が理系人生現役時代より、既に20年程の年月が流れているが。
 未だに、“数学・物理系の女性比率が少ないとすると。

 その責任は何処にあるのかと考察するに。
 要するに、理系(数学・物理 あるいは医学、その他)にかかわらず。
 女性の“職業意識”自体が、時代の進化とは裏腹に未だに低いのではなかろうか? と結論付けたくなるのだが。

 と言うよりも。

 ここは政府を筆頭に、女性の婚姻・出産後も自身の専門を極められるがごとくの社会環境づくりを急ぐことこそが、先決・最重要課題ではなかろうか。