(冒頭写真は、2023.07.08付朝日新聞「書評」ページより 桜井芳雄著 “まちがえる脳”を転載したもの。)
早速上記写真の “まちがえる脳” に対する 千葉大学教授・粒子天文学 石原安野氏による書評「不確実さが生む創造性。多様性」を、以下に要約引用しよう。
理解し、意志を持つこと。探求し、創造をすること。 かくも複雑な脳の活動は全て脳内の電気信号の伝達により引き起こされる。
人の脳には約1千億ものニューロンがある。 ニューロンは近隣ニューロンから信号を受け取り、別のニューロンに信号を伝達する。 脳を動かす信号は、ニューロン内外のイオンの移動による連続的な電位変化である。 その伝達速度は基板上の電子の速さのわずか数百万分の1だ。 しかもあるニューロンから他のニューロンに信号が伝わる確率は約3%、わずか30回に1回ほどしか伝わらない非効率さなのだという。
脳は複雑な働きをする。 しかし、その動作は原理的にゆっくりで不確実だ。 脳はある程度まちがえるようにできているシステムなのだ。 動作が確率的であるから、同じ条件でインプットを与えても、答えが違うということがあり得る。 これがコンピューターだとすればポンコツだ。
一方、脳の不確実性からは複雑さと多様性が生まれる。 多くの失敗から生み出される発明、思いもかけない斬新なアイデア、そして一人一人が持つ異なる考え。 脳がまちがえるシステムであるからこその特徴である。
しかも、脳は自らを補う柔軟性を持つ。 例えば、脳の一部が損傷した時に、その部分が担っていた役割を他が補う機能代償だ。 あらかじめ配線の決まったコンピューターにはできまい。 創造性や柔軟性は効率のみに最適化していないからこそ生まれ得る。
働いている脳は、多要因の相互作用をしながら変化を繰り返す動的構造体だ。 そのプロセスには未解明の本質的疑問も多い。 本書は、脳の機能を分割し過度に単純化することで、わかった気にさせるメディアや研究者の風潮に、警告をならす。
(以上、朝日新聞「書評」ページより要約引用したもの。)
いやいや 既に高齢域に達している原左都子の脳内は、既にポンコツ化しているであろうに。😩
昨年の秋など路上で激しく転び顎を強打し脳震盪を起こして、それをさらにポンコツ化させるべく打撃を与えてしまう始末…😫
実際、昨年秋の路上にての転倒の際には、左膝の複雑骨折よりも。
転倒時に脳震盪を起こして一時意識を失った事実の方が、よほど救急搬送先の医療現場で重視されたものだ。
一応当時のCT等による諸検査の結果は、「脳には異常無し」との結論が出ているのだが。
実は今現在に至っても、私個人的には“あの時”脳が受けた大打撃を懸念している。
何と言うのか、退院後既に半年以上経過しているにもかかわらず。
我が脳は“明瞭活発”に働いているとは思えないとの自己診断を下さざるを得ない状況下にあるような、マイナス自己診断をしたくもなる程の低レベル状態だ…
冒頭表題に、“人間の脳はポンコツ”との表現を掲げたが。
上記引用文をお読みいただけると、この“ポンコツさ加減”こそが人間の脳のすばらしさを物語っているとの意味合いだ。
最後に「ポンコツ脳」の原左都子の私見を書くならば。
人間が持って生まれている「脳」を超える現象(AI等を含めて)は、今後もこの世に存在し得ない(勝ち残れない)、との持論を掲げたいものだ。
この私は医学経験があることが効を奏して、過去に「脳」に関する授業や簡単な実験を成した思い出もあるのだが。
大怪我をしようがしまいが。
まさに、人間の脳とは所詮 “ポンコツ”(「不完全」と言い換えてもいいだろう) であるが故の素晴らしさやそれが成せる業や魅力を発揮しつつこの世を生き抜いている強さの現実を、今回のエッセイで伝えたい思いだ。