本日のエッセイは、2025.01.18付朝日新聞「天声人語」より話題を得よう。
早速、当該「天声人語」を、以下に要約引用する。
英国の著述家C.P.スノーは、「文系と理系の分断」を指摘した先駆者と言われる。 1959年に行った公演で、西欧社会が「文化的知識人」と「科学者」の二極に別れつつあり、互いに理解しようとしないと嘆いた。 前者は熱力学の基礎を知らず、後者はシェークスピア作品を読まないと述べて論争になった。
スノー自身は大学で物理化学を学び、小説も書いた分離融合の人だった。 興味深いのは、英国で分断が進んだ理由に「教育の極端な専門化」を上げたことだ。 唯一の解決策は教育を再考することだたと、講演で力説した。
日本でも、「文系・理系の壁」が言われて久しい。 特に不合理に感じるのは、大学受験に合わせたコース分けだ。多くは高2からクラスが分かれるため、高1で岐路に立たされる。 自分がどの分野に向くのかが明らかな16歳はいないだろう。(中略)
地球温暖化や感染症対策、エネルギー問題。 グローバル化とIT化が進む中、学問の垣根を超えた研究分野は増えている。 分離融合が求められる今日、未来の自分像が浮かぶ柔軟な進路選びであってほしい。
(以上、朝日新聞「天声人語」より一部を引用したもの。)
上記引用文の一部を、今一度繰り返すと。
日本でも、「文系・理系の壁」が言われて久しい。 特に不合理に感じるのは、大学受験に合わせたコース分けだ。 多くは高2からクラスが分かれるため、高1で岐路に立たされる。 自分がどの分野に向くのかが明らかな16歳はいないだろう。
まさに自身の進路選びとは、高校時代の「文系か理系か」の選択から開始するもののように、世間では捉えられているようだが。
原左都子の私事に関しては、本エッセイ集バックナンバーに於いて幾度となく述べてきているが。
私の場合は、既に中学生時代から自身の進路は「理系」!!と明確に決定していたように振り返る。
その原点となった事件が、中学の「数学」の授業中の出来事にあったことに関しては過去に幾度も述べているため、ここでは重複は避けよう。 (簡単に繰り返すと、当時の数学担当男性教師が「点と線とは“概念”である」件に関して述べてくれた出来事が事の発端だった。)
この数学教師の談話こそが、我が将来の「理系」選択を揺るぎないものにしたと断言できる。
そう言う意味では 我が「理系進学」に関しては、何らの迷いも戸惑いも無くあっさりと決定したものだ。
結果として私が地元国立大学に進学したのは、親の「強制力」が絶大だったが故だ。😨 要するに、親からの「大学は地元国立のみ!」との究極狭い選択肢指令に従わざるを得なかったのだが。 ラッキーにも地元国立大学に「医学部」が存在した事実こそが、我が進路を迷いなく決定づけてくれた。
その事実が、我がその後の人生にとって実にプラスの流れに繋がっていることに関しては、本エッセイ集バックナンバー内で幾度も述べている通りだ。
この私の場合は途中で2度目の大学受験をして、結果として「経営法学修士」も取得するに至っている。
これも、我が人生に於いて大いに有効に機能してくれたものだ。 これを取得したが故に、一時「高校教諭」の道も開けその経験が出来たのは、私にとって何よりのキャリアでもある。
「理系と文系の壁(分断)」と表現すると何やら、その2者がまるで交錯し得ないような印象を受けるが。
そうではなく、両者が交わったり相互作用をする場面が多々あると、両者を経験した私は実感している。
加えて、「高2」が「文系・理系の分断」期との捉え方をもう少し柔軟に考えて進路選択をしても、何ら問題は無いとも言いたい気がする。
私の如く、両者を経験する人生を送る選択肢とて十分にあり得るはずだ。
人生は長い。
その間に自身が納得するべく学問・研究に励んで、沢山の経験をして心豊かな人生を歩んで欲しいものだ。