昨日私はいつも通っているジムへ行った。
ちょうどお盆休暇時期のためか、トレーニングに励む人が少なくジム内が閑散としている。
そんな静寂な環境下に於いて、体力作りよりも四方山話で盛り上がりたい人達の声がいつもより大声量で我が耳に響いて来る。
その一例として、50代程の女性をAさん、60代程の男性をB氏と記し、以下に二人の会話内容を紹介しよう。
Aさん 「今は中国からの飛散物質が多量日本に舞い降りて大変ですね。」
B氏 「いやいや、昔はもっと凄かったと思うよ。 昔は単に飛散物質の測定技術が発展していなかっただけの話で、今よりもずっと多量の有害物質が中国から日本に飛散していたと思うよ。」
Aさん 「そうですか? 現在経済急成長を遂げている最中の中国は、広い国土の至る場所に工場を建設して、日々有害飛散物質をまき散らしていると私は解釈しているのですが…。」
B氏 「中国は一昔前には石炭を多用していたから、それこそ、その粉じん被害を日本は多大に受けていると思う。」
ここで原左都子の私論に入ろう。
上記二人の会話をトレーニングがてら聞いて(聞かされて)いた私の脳裏に、二人に共通の「論点基盤」を見抜いた。 それは、“日本は中国から「迷惑行為」を受けている”との認識ではなかろうか。
ちょっと待って欲しい。
確かに中国は日本よりも国土面に於いても人口面に於いても「巨大」である事には間違いない。 だからと言って単純に中国を一方的に“悪者”と見立て、自分達「日本」はその犠牲下にあると言いたげなその会話内容は、大の大人にして如何なものか?
日本とて、同じ道を歩んで現在の経済発展に辿り着いている。(それも残念ながら斜陽の現実下だが…) 島国故そして国土が小さい故に、必然的に近隣諸国には迷惑を掛けずに済んだと身勝手に勘違いしているだけの話だろうが!
昭和40年代の高度経済成長期に、我が国日本も公害被害に明け暮れた歴史がある。 工業地帯からは日々黒煙が上り、河川や海には汚染水が蔓延り、ヘドロ被害で農業も漁業もままならず、「水俣病」を主とする公害過失事件が多発し、国民の尊い命が如何程に失われて来たことだろう。
安直に中国を責める以前の課題として、我が国も同様の過ちを犯して来た歴史がある事実を、熟年層日本人にこそ慮って欲しいものである。
にもかかわらず、何故、国民の主導的立場にある熟年層がこれ程に公衆の面前で“中国バッシング”会話を恥ずかし気もなく繰り広げるのか? (聞かされる方こそが恥ずかしい思いを 一応“国際人の一人として”私など抱くのだが。)
少し前にも私は朝日新聞「声」欄で、“中国バッシング”をする場面に出会い心苦しい思いをした”との投書に触れている。 その内容を端的に説明するなら、「日本国内の居酒屋に中国人がいると嫌だ」と大きな声で語る日本人を発見して、「今の国際時代に於いて、それを言う側こそが恥ずかしいから慎みませんか?」とアドバイスしたかったが出来なくて今も悔やんでいる、との内容だった。 私も同じ思いだ…。
さてさて、昨日発表された「安倍談話」に話題を移そう。
その前に我が見解とほぼ一致する 「主語『私は』は使わず 安倍談話 歴代との違いは」 なるネット情報を以下に紹介しよう。
安倍談話は注目された「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」について、首相自らの歴史認識はあいまいにしつつ、言葉を盛り込む手法をとった。「私は」という主語を使い、首相の謝罪意思を明確にした村山・小泉両談話の姿勢とは大きく異なる。 戦後の歩みで中国の「寛容」に触れて配慮を示す一方、慰安婦問題は明記せずに「女性の人権」を強調する表現となった。
約3300文字に及ぶ安倍談話は、「侵略」や「植民地支配」というキーワードについてこう言及した。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国はそう誓った」 この表現は有識者会議「21世紀構想懇談会」が提出した報告書に沿う。 報告書は「満州事変以後大陸への侵略を拡大し、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」「特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した」と指摘していた。
さらに注目されたのは、先の大戦についての「反省」「おわび」の表現だ。 村山・小泉両談話は「わが国は、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と明確に認め、「痛切な反省」と「心からのおわびの気持ち」を表明している。この点、安倍談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」と触れた。
しかし、同じ単語が盛り込まれたとはいえ、村山・小泉両談話と安倍談話には大きな違いがある。
談話を語る「主語」が 安倍談話にはなかった事実だ。
(以上、8月14日夕刻に発表された「安倍談話」ネット報道より一部を引用。)
それでも私論としては、ここのところ安倍政権に対する国民支持率が低下の一途の現実世論に、政権側が軟弱にも迎合しつつあると見ていた。
ラッキーにもまさにその時点で、戦後70年「安倍談話」が世界に発信された事を“不幸中の幸い”だったと捉える。
何と言っても談話直前期を控えた時点で尚、安倍氏は近隣他国に対する「植民地支配」「侵略」に対する反省や「お詫び」の意思が一切かなったのが事実だ。 その安倍氏を改心させた一番の要因は「国民支持率」低下だったことに間違いない! これにより、煮え切らないまま旧態依然としていた旧与野党幹部達が動いた。 それらの動きに動じ安倍首相は、談話内容を変更したものと私は解釈している。
元々その引き金を引いた大本とは、おそらく2020東京五輪新国立競技場建設反対派国民が8割以上に上った事態だったのだろう。
世論とは、国家を動かす事が可能な事を国民も今回周知した事であろう。 その後、普天間基地移設先の辺野古工事も一時中断措置が下された。
何だが、我が国日本が私が期待する国民主導の方向へやっと動き始めた気もする。
安倍政権が弱気になっている今こそがチャンスだ!
今後の「集団的自衛権論争」にも更に国民が目を光らせ、島国日本にして何が平和なのかを主眼とし、近隣諸国に対し過去の侵略を後世に至ってまでお詫びしつつ、我が国が真の意味で国際発展を遂げる事に期待したいものだ。
ちょうどお盆休暇時期のためか、トレーニングに励む人が少なくジム内が閑散としている。
そんな静寂な環境下に於いて、体力作りよりも四方山話で盛り上がりたい人達の声がいつもより大声量で我が耳に響いて来る。
その一例として、50代程の女性をAさん、60代程の男性をB氏と記し、以下に二人の会話内容を紹介しよう。
Aさん 「今は中国からの飛散物質が多量日本に舞い降りて大変ですね。」
B氏 「いやいや、昔はもっと凄かったと思うよ。 昔は単に飛散物質の測定技術が発展していなかっただけの話で、今よりもずっと多量の有害物質が中国から日本に飛散していたと思うよ。」
Aさん 「そうですか? 現在経済急成長を遂げている最中の中国は、広い国土の至る場所に工場を建設して、日々有害飛散物質をまき散らしていると私は解釈しているのですが…。」
B氏 「中国は一昔前には石炭を多用していたから、それこそ、その粉じん被害を日本は多大に受けていると思う。」
ここで原左都子の私論に入ろう。
上記二人の会話をトレーニングがてら聞いて(聞かされて)いた私の脳裏に、二人に共通の「論点基盤」を見抜いた。 それは、“日本は中国から「迷惑行為」を受けている”との認識ではなかろうか。
ちょっと待って欲しい。
確かに中国は日本よりも国土面に於いても人口面に於いても「巨大」である事には間違いない。 だからと言って単純に中国を一方的に“悪者”と見立て、自分達「日本」はその犠牲下にあると言いたげなその会話内容は、大の大人にして如何なものか?
日本とて、同じ道を歩んで現在の経済発展に辿り着いている。(それも残念ながら斜陽の現実下だが…) 島国故そして国土が小さい故に、必然的に近隣諸国には迷惑を掛けずに済んだと身勝手に勘違いしているだけの話だろうが!
昭和40年代の高度経済成長期に、我が国日本も公害被害に明け暮れた歴史がある。 工業地帯からは日々黒煙が上り、河川や海には汚染水が蔓延り、ヘドロ被害で農業も漁業もままならず、「水俣病」を主とする公害過失事件が多発し、国民の尊い命が如何程に失われて来たことだろう。
安直に中国を責める以前の課題として、我が国も同様の過ちを犯して来た歴史がある事実を、熟年層日本人にこそ慮って欲しいものである。
にもかかわらず、何故、国民の主導的立場にある熟年層がこれ程に公衆の面前で“中国バッシング”会話を恥ずかし気もなく繰り広げるのか? (聞かされる方こそが恥ずかしい思いを 一応“国際人の一人として”私など抱くのだが。)
少し前にも私は朝日新聞「声」欄で、“中国バッシング”をする場面に出会い心苦しい思いをした”との投書に触れている。 その内容を端的に説明するなら、「日本国内の居酒屋に中国人がいると嫌だ」と大きな声で語る日本人を発見して、「今の国際時代に於いて、それを言う側こそが恥ずかしいから慎みませんか?」とアドバイスしたかったが出来なくて今も悔やんでいる、との内容だった。 私も同じ思いだ…。
さてさて、昨日発表された「安倍談話」に話題を移そう。
その前に我が見解とほぼ一致する 「主語『私は』は使わず 安倍談話 歴代との違いは」 なるネット情報を以下に紹介しよう。
安倍談話は注目された「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのおわび」について、首相自らの歴史認識はあいまいにしつつ、言葉を盛り込む手法をとった。「私は」という主語を使い、首相の謝罪意思を明確にした村山・小泉両談話の姿勢とは大きく異なる。 戦後の歩みで中国の「寛容」に触れて配慮を示す一方、慰安婦問題は明記せずに「女性の人権」を強調する表現となった。
約3300文字に及ぶ安倍談話は、「侵略」や「植民地支配」というキーワードについてこう言及した。
「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に決別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国はそう誓った」 この表現は有識者会議「21世紀構想懇談会」が提出した報告書に沿う。 報告書は「満州事変以後大陸への侵略を拡大し、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた」「特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した」と指摘していた。
さらに注目されたのは、先の大戦についての「反省」「おわび」の表現だ。 村山・小泉両談話は「わが国は、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」と明確に認め、「痛切な反省」と「心からのおわびの気持ち」を表明している。この点、安倍談話は「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた。こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎない」と触れた。
しかし、同じ単語が盛り込まれたとはいえ、村山・小泉両談話と安倍談話には大きな違いがある。
談話を語る「主語」が 安倍談話にはなかった事実だ。
(以上、8月14日夕刻に発表された「安倍談話」ネット報道より一部を引用。)
それでも私論としては、ここのところ安倍政権に対する国民支持率が低下の一途の現実世論に、政権側が軟弱にも迎合しつつあると見ていた。
ラッキーにもまさにその時点で、戦後70年「安倍談話」が世界に発信された事を“不幸中の幸い”だったと捉える。
何と言っても談話直前期を控えた時点で尚、安倍氏は近隣他国に対する「植民地支配」「侵略」に対する反省や「お詫び」の意思が一切かなったのが事実だ。 その安倍氏を改心させた一番の要因は「国民支持率」低下だったことに間違いない! これにより、煮え切らないまま旧態依然としていた旧与野党幹部達が動いた。 それらの動きに動じ安倍首相は、談話内容を変更したものと私は解釈している。
元々その引き金を引いた大本とは、おそらく2020東京五輪新国立競技場建設反対派国民が8割以上に上った事態だったのだろう。
世論とは、国家を動かす事が可能な事を国民も今回周知した事であろう。 その後、普天間基地移設先の辺野古工事も一時中断措置が下された。
何だが、我が国日本が私が期待する国民主導の方向へやっと動き始めた気もする。
安倍政権が弱気になっている今こそがチャンスだ!
今後の「集団的自衛権論争」にも更に国民が目を光らせ、島国日本にして何が平和なのかを主眼とし、近隣諸国に対し過去の侵略を後世に至ってまでお詫びしつつ、我が国が真の意味で国際発展を遂げる事に期待したいものだ。