冒頭テーマの本文に入る前に、本日午前中に経験した “一気大量PVプレゼント” に関する御礼を申し上げます。
ブロガーの皆さんは、同様のご経験がおありだろうか?
私ども原左都子は、過去にも時々“これ”を経験しているのだが。
本日朝起きて、最初に我が「原左都子エッセイ集」の編集画面を開いて驚かされた! 何故ならば、「リアルタイムアクセス解析」のPVグラフが真っ赤に染まる程の大量PVが押し寄せていたからだ。
この現象はその後10時半頃まで続き、そのPV総数がざっと計算して3200を超過するまでに膨れ上がっているではないか!
お陰様で、PV数に於いて一時gooブログのトップ10入りを果たすことが叶ったようだ。
何処のどなたか存じませんが、今朝大量PVを我が「原左都子エッセイ集」にプレゼントして頂いた方に、この場で御礼申し上げます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
さて冒頭の表題エッセイに移ろう。
本日はここのところしばらく続いた「新型コロナウィルス騒動」を一旦パスして、教育関連エッセイを綴ることとする。
2020.02.16付朝日新聞に、風変わりではあるが私にとっては興味深い「多浪ってどうなのよ?」と題する記事があった。
これを一見した時の我が感想とは。
私の場合浪人をした訳では無いが、やはり風変わりな学歴の持ち主である。
医学部にて専門を学びその専門力をもって就職し、医学分野にて私なりの業績を上げた後に。 更なる学問意欲に駆られ、30歳時点で2度目の大学へ再入学しその後大学院にて「経営法学修士」を取得した後に、高校教諭に転職するとの経験をしている。
教員を出産退職後またもや医学分野へ舞い戻り、しばらく医学専門分野の業務に従事している。 (その後も税理士試験チャレンジ等々諸々の活動をしているが。)
この朝日新聞記事内にアドバイスコメントを寄せている、社会学者・東大名誉教授であられる上野千鶴子氏の論評のうち、私が賛同出来る部分を以下に紹介しよう。
私(上野氏)は、浪人はやらなくてもよい経験だと思っている。 若くて活力のある時期を、受験のためだけに押しつぶされそうになって過ごすことがポジティブな経験だと、どうしても思えない。 (中略)
浪人して予備校へ行くことと、同じ期間を海外留学やインターンシップをする経験とどっちがポジティブ? 欧米では学生が一定期間学業を離れて様々な体験を積むギャップイヤーが推奨されている。 そのような時間を若いうちに体験できたらどんなに貴重だろう。
大学も選抜方式を多様化し、大学に再入学する人や転学する人が増えてきている。 志望大学に落ちたなら自分の学力にふさわしい大学に入り、仕切り直しをしたかったら仕事を始めてからもう一度、大学に再入学する。 30歳になっても40歳になっても資格は取り直せる。 その時のほうがモチベーションももっと高まっている。 転学・転職・リカレント教育がネガティブに働かない社会になれば、浪人などまったく意味がなくなるだろう。
大学には学生に付加価値を付けて社会へ送り出す責任がある。 親や教師に限らず周囲の大人は、子どもに選択肢の幅を増やしてあげて欲しい。
(以上、朝日新聞記事内上野千鶴子氏の論評より、原左都子が同意出来る部分を引用したもの。)
私見でまとめよう。
いやはや私が学業に関してとった行動とは、時代の先駆者であったと結論付けられそうだ。
いえいえ、決してそれを狙って、2度も大学(大学院)へ通った訳ではない。 あくまでも我が内面から湧き出てくる「向学心」に突き押されるがままに、それを実行に移しただけの話だ。
何だか結論が見えてきた気がする。
厳しい言い方をすると、要するに「向学心」が自己の内面から湧き出ない人間にとっては、何度大学へ通ったとて、さほど望むべく未来は開けないとの事ではなかろうか?
例えばの話、名門大学へ入学した理由が「将来の自己の就職先を保証してもらうため」でありそれを狙っているがばかりに、在学中の学業が単にそのための方策と目標置換されていたり… (失礼ながら、文系学生にこれが多発しているようにも考察するが。)
私自身の経験からの結論だが。
浪人するよりも、とりあえず自分の能力で入学できる大学へ入ることをお勧めしたい。 (というのも、私の場合それが「医学部」だった事実こそが後に大きく功を奏している。 当時就職は有り余るほどあったし、しかも高給! この分野で活躍出来ると共に高給であったからこそ、我がその後の二度目の学業へと繋がったものだ!)
「多浪」期間を家族等の経済力に依存し、他力本願で過ごすよりも。
一度は大学へ入学しある程度の専門力を身に付ける事こそが、その後の自身の人生に於いて実りを成すものと、私は結論付けたいのだが。