原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

デザイナー誕生!

2008年07月05日 | 芸術
 (写真は、印刷博物館「特別展」のパンフレット)

 先だって、東京都文京区にある「印刷博物館」を訪れた。
 この博物館は大手印刷会社に併設されている博物館なのだが、コミュニケーションメディアとしての印刷の価値や可能性を紹介することを目的に、印刷の過去、現在、未来をわかりやすく伝える展示を行っている。
 「デザイナー誕生:1950年代日本のグラフィック」と題する特別展に興味を持ち先日平日昼間に一人で訪れたが、展示物の前で熱心にメモをとるデザイナーを目指していると思しき若者団体等で結構混雑していた。(写真は、特別展のパンフレット)
 この博物館は入場料が安価な割には結構楽しめる。個人的にはもう少し空いているとより理想的だが、広い空間に印刷に関するユニークな展示が工夫されていて最後まで飽きない。

 特別展「デザイナー誕生…」は期待通り楽しめた。1950年代は、戦後とグラフィックデザイン史上最も躍動的な1960年代を結ぶ、戦後デザインの礎を築いた時代であるそうだ。その当時のポスター、新聞・雑誌広告、冊子、包装紙、パッケージ、書籍、関係資料等合わせて500点が展示されていた。
 日本のグラフィックデザインが世界的に認められた60年代の土台となった50年代、国内経済の再起をかける日本にとって、日本の復興と“メイド・イン・ジャパン”のイメージ向上のためのアピールとして、グラフィックデザインは積極的に欧米の手法を取り入れながら発展していった。(「特別展」パンフレットより要約)
 ちょうどその時代にこの世に生まれた私にとっては、どの作品や資料も遠き日のノスタルジアに駆られるような懐かしい展示ばかりだった。


 唐突な記事の展開となるが、ここから話がガラリと変わる点ご了承いただきたい。
 
 私は20代後半に工業デザイナーを職業とする男性と出逢った。この男性は本ブログの恋愛・男女関係バックナンバー「偶然の再会」で既に登場している。
 実はこの彼は私の数多い波乱万丈の恋愛遍歴史上、今尚一番充実したお付き合いができた実感がある人物だ。彼は、私の長~~い独身時代に私の方から積極的に結婚を願望し“赤い糸”を意識した唯一の男性でもあった。残念ながら彼の方に結婚願望が一切なかったため結婚は断念したが、私にとってお付き合いが一番長く続いた相手でもある。

 当時私は医学関係の仕事に励んでいた時期でありお互いの職種は全く異質なのだが、物事の考え方や価値観が非常によく似ていた。彼と会うと、とにかく話がはずんだ。喫茶店や居酒屋で何時間話し合ってもいつも時間が足りない位共感し合えた相手だった。
 彼は当時、製造業大手企業に工業デザイナーとして勤務していた。すばらしい業務経歴の持ち主で、彼がデザインした製品数点がグッドデザイン賞を受賞している。そのうちの一点である目覚まし時計を当時彼がプレゼントしてくれたが、この時計は今尚現役で活躍中で毎朝私を目覚めさせてくれている。 仕事の合間に個人的にもデザインに励み、新人デザイナーの登竜門と言われる銀座Mデパートのデザインコンペにも入賞し、入賞作品展を一緒に見に行った思い出もある。
 自分の工業デザイナーとしての職業をこよなく愛する彼は、会うといつもデザイナーが経済社会で果たす役割について熱く語っていた。新製品開発をデザインによって牽引し、新しい時代の創造を率先して果たすのがデザイナーの役割だと教えてくれた。そのためには好奇心旺盛に様々な分野の事象に興味関心を持ち、情報収集し知識を得て、常に研ぎ澄まされた感性を磨く必要があるとも語り、それを実行している人だった。分野が全く違う私の話にも興味を持っていつも真剣に聞いている人だった。そんな彼の瞳はいつもキラキラと輝き、遠い未来を確かな目で見つめているように私には映った。
 一方で感性が豊かで繊細で情が深く、とても優しいハートの持ち主でもあった。
 
 そんな彼にも悩みがあった。企業という狭い枠の中でデザイナーが果たせる役割には限界があり、加えて専門性が高い割には報酬が見合わないことを嘆いていた。そして、その後彼は敢えて危険を覚悟でフリーを目指す道を歩むことになる。 私が恋愛の対象として彼とお付き合いをしたのは、彼がフリーになった直後あたりまでだ。
 その後もこの彼とは友人としてのお付き合いが続くのだが、彼はフリーとして成功し、デザイン界において輝かしい業績を残している。 彼がデザインした商品が何点もヒット商品となり市場に出回っている。
 最後に彼に会ったのは彼との出逢いから約10年後、お互いにまだ独身で私が見合い結婚をする直前頃だった。 “もし結婚することになったらお互いに知らせようね。”と約束したきり、私は結婚したことを彼には知らせられないまま現在に至っている。 

 彼は後々の私の人生にまで大きな足跡を残している。
 私が医学の道を一旦退き30歳にして新たな学問を目指したのも、彼の影響力によるところが大きい。
 それ以来、彼以上の相手にめぐり合えなかったために私は恋愛結婚は諦め、見合い結婚に至ったとも言える。
 素人の私がよく分からないなりに芸術分野を好んでいるのも、まさに彼の影響力である部分が大きい。

 彼は今、どうしているのだろう。さらにビッグになってデザイン界で今尚活躍しているのであろうか。
 
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8 Comments

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意外ですね (カズ)
2008-07-05 14:57:39
医学の道を歩んでいた方が、現在の分野へ進まれるた


とは意外ですね。
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カズさん、私本人としては整合性をもって繋がっているのですが (原左都子)
2008-07-05 15:10:53
カズさん、少しご無沙汰でしたがアップ早々のコメントをありがとうございます。

そうですね。確かに元理系たっだ私が方向転換して社会科学を志したのは意外性があるかもしれません。
でも、私本人の内面ではすべての事象が繋がっています。自然科学も社会科学、人文科学(芸術も含めて)も真理の探究という観点では同じです。
職業選択において違いが生じてきますが、私の場合、その後も再度医学関係の仕事も食い扶持としていますし。
そして、恋愛も含めてすべての事柄が人間を弛まなく成長させてくれるものだと、生きている事自体に感謝する毎日です。(ちょっと話がオーバーですね)
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拍手を贈りたいと思います (ガイア)
2008-07-05 23:28:26
カテゴリーとしては恋愛・男女関係となっているこのエッセイを様々な想いで拝読しました。

博物館論であったり、デザイン論であったりと、デザイナーとしての私には大変興味深いです。主にその様な観点でコメントを記します。

我が国の高度成長と共に日本のデザインが発展したと捉えることが出来ますが、工業デザイン(インダストリアルデザイン)のみならず、視覚達デザイン(グラフィック)、空間デザイン(エンバイロメントデザインもいまや世界水準に達している、いや世界一だと思います。

私事ですが、美大入学直後に大阪万博が開催され、大阪の伯母の家に泊まり込んで1週間を費やして見学に行きました。この時、デザインの新しい息吹を覚え、ディスプレイデザインに関心を抱きました。

就職した会社は、万博会場の演出やパビリオンの空間展示デザインで業績を挙げた会社でした。ここでデザイナーとして働いたのですが、ある文化人類学系博物館の企画・展示設計で通産大臣賞を頂きました(グループ受賞)。亡父は大変喜んでくれました。遠い昔の話ですが、懐かしく思い出されます。

デザインとの出合い、デザインを通しての様々な世界との出合い、素晴らしい人々との出会いが今の私を育んでくれたのだ、と感謝しています。

恋愛も含めた全ての出会いや事柄が人間を成長させる、とする原さんの前向きな生き方に拍手を贈りたいと思います。



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必要なもの (ドラ猫)
2008-07-06 00:38:28
全ては、用の美であり要の美なのでしょう。
道具というものを30年以上扱い、長く続く道具にはそれなりの理由と美を見出せます。
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ガイアさん、デザイナーを含めて芸術家って本当に素敵です! (原左都子)
2008-07-06 15:48:52
この記事のカテゴリー分類には頭を悩ませました。
内容が複数のジャンルに渡っているためです。仕事・就職や雑記カテゴリーも考慮したのですが、結局はこの工業デザイナーの彼から受けた影響力の大きさを思い、恋愛カテゴリーに分類しました。

確かに50年代以降の日本のデザインや印刷分野の躍進ぶりは目を見張るものがありますね。素人目にもそう映ります。
日本の芸術教育が秀でているのでしょうか? あるいは、デザイナーを含めた芸術家の皆さんの士気の高さや努力の賜物なのでしょうか?

とにかく、私にとって記事中の工業デザイナーの彼の存在は偉大でした。まだ20代後半の若さで、あれ程自分の業について実績を伴った上で熱く語れる人物は私にとって類をみない存在でした。
あの彼と出逢っていなければ、私は医学分野でそこそこ成果を上げ続け、それなりに順調な人生であっただろうと思います。
でも、彼のお陰で苦労を背負いながらも自分の人生を自分で造り直せて今に至っていることが、本当に幸せだと思えます。

こうやって今、やはり芸術家でいらっしゃるガイアさんからも拙く綴っている私のブログにコメントを頂戴できますし。
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ドラ猫さんも、芸術家でいらっしゃいますか? (原左都子)
2008-07-06 15:58:46
ドラ猫さんのコメントはいつも思考の時間を私に与えて下さいます。
手短にまとめたコメントの中で、多くを語っていらっしゃるようです。
それが理解できているのかどうかわからない愚かな私をお許し下されば幸いです。

長くお付き合いされている道具にその理由と“美”を見出すドラ猫さんはやはり芸術家でいらっしゃるのでしょうか?
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Unknown (ドカドン)
2008-07-08 05:11:29
おはようございます!
芸術(デザイン)で、身を立てられる人は一握の人ですよね?
私は、カーデザインを目指したかったのですが、叶いませんでした。当時に、才能ないことは自覚していました。
エッセイの中の人は、本当にすごい人です。
結婚した事は、遠回しでも知らせてあげたらは・・・、とお節介を焼いてしまいました。
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ドカドンさん、芸術(デザイン)は厳しい道でしょうね。 (原左都子)
2008-07-08 08:44:32
私も芸術に関してはズブの素人なので詳しい事はわかりませんが、ドカドンさんがおっしゃるように芸術を食い扶持とできる人はほんの一握りでしょうね。
才能と共に、プレゼンテーション力が要求される世界ですね。
この彼が優れていたのはデザイナーとしての実力に加えてこのプレゼンテーション力でした。自分のデザインを売って歩く勢いは凄いものがありました。一見穏やかな人なんですが、あれが功を奏しているとも思えます。自分でどんどん成功を掴み取っていく姿は、端で見ている私にも爽快でした。

ドカドンさん、車やオートバイが趣味でいらっしゃいますものね。

彼とはもう十数年連絡を取っていないので、おそらく連絡先が変わっていることと思います。こちらも連絡先が変わっているので向こうからも連絡が取れない状況だと思います。 会いたい気もするのですが…。
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