原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

コメントの充実に感謝申し上げます。

2008年02月05日 | 自己実現
 本ブログ「原左都子エッセイ集」を開設して本日でちょうど5ヶ月になる。

 昨年9月の嵐の夜にネットを検索中、偶然gooで無料でブログを開設できることを発見した。その場の勢いで本ブログを立ち上げたというのが当ブログの開設のいきさつであった。

 パソコン音痴の私は未だにブログ本文に動画は元より写真さえ入れられず(どなたが写真の入れ方をご伝授下さい。)、文字の大きさや色も変えられず、種々のタグの貼り方を知ろうともせず、広告の入れ方も心得ず、ランキングどうのこうのや“ポチ”とやらにも興味がなく、ご覧の通りただただ文章のみを綴り続けている訳である。(ごく最近、日頃大変お世話になっているブロガーさんに敬意を評してやっとbookmarkしました! 私としてはブログ上の画期的な出来事です。)
 でも、実は私はこのシンプルさ、pureさがお気に入りなのである。ぐちゃぐちゃいろいろカラフルに貼り付けるのは元々美的感覚上好まないし、そもそもカラフルな色彩は本ブログの趣旨に沿わない。タグを貼り付けて本ブログの訪問者をいちいち監視するのも気が引けるし、わずかな(?)広告料収入が欲しいとも思わない。 また、ランキングに関しては訪問者が多いのはブロガーとしてはもちろんうれしいことなのだが、当ブログに関して言うと、その性質上うなぎ登りに訪問者が急増するということは考えにくい。訪問者層、すなわち読者は自ずと限られるであろうことは当初より予想している。 本ブログは“自己のオピニオンの公開”を趣旨としているため、ランキングよりも記事を確実にお読みいただきたい思いの方が強いのだ。

 訪問者の方に“記事を確実に読んでいただいた”ことをどういう手段で把握するのかと言うと、我がブログの場合それは決してランキングではなく、ブログ本体のコメントであり、また別便のメール等による訪問者の方々からのメッセージなのである。

 ブログ開設後5ヶ月が経過した現在、そのコメントやメッセージが確実に急増していて、私はここのところ日々うれしい悲鳴を上げている。 なぜならば、いただいたコメントやメッセージに対し必ず返答を申し上げることを、私はブログ本文やブロガーのコミュニティで確約させていただいているため、コメントと日々格闘しているためだ。
 特に最近いただくコメントのレベルたるや私の当初の予想をはるかに上回っている。熟読させていただかないと太刀打ちできないレベルのコメントが日々舞い込んでくる。 それも、コメントを書き込んで下さる方々は、私の元々の知人、ブロガーのコミュニティで知り合った方々、通りすがりの方々、どちらからいらっしゃったのか不明の方々、とバラエティに富んでいるのだ。 ブログとはその“公開性”に意義があると考える私にとってはこれほどブロガー冥利に尽きることはない。

 書き入れて下さったコメントが次のコメントを呼び寄せている現象も見られる。このように私の拙いブログが議論の場としての役割を果たせることも大変光栄である。

 以上のように、ブログ開設後5ヶ月が経過した今、私は本ブログ開設が成功だったことを皆様から頂戴するコメントにより満喫させていただいている。こんなに早い時期にこれ程自ら目指したブログのあるべき“公開性”にたどり着けるとは予想だにしていなかった。

 ただ、やはりブログとは日々更新という性質上不確実性は高い。今日繁栄しても明日は廃れているのかもしれない。そんな危機感も視野に入れつつ、これからも私は自ら開設した「原左都子エッセイ集」で日々自己のオピニオンを公開していくことにしよう。

 今後共、コメント、メッセージを心よりお待ち申し上げております! 
Comments (6)

受験の真価は入学後判明する

2008年02月03日 | 教育・学校
 今日2月3日は首都圏の東京、神奈川私立中学受験の3日目。やっぱり雪に降られてしまいましたね。でも、交通網の乱れが少なかったことが不幸中の幸いでした。受験生、保護者の皆さん、転んで怪我などされず受験場へ無事到着できましたか?


 さて、私立受験も3日目ともなると、そろそろ既に入学手続きを済ませた受験生、保護者の皆さんも多いことであろう。第一志望校一発合格を成就された方はおそらく少数であり、第二志望校、第三志望校、第四志望校… への入学手続きとなった(なる)方がむしろ多数であろう。

 かく言う我が家も既にバックナンバー「受験生は神様です!?(その3)」で記述の通り、第二志望校への入学手続きとなった。
 第一志望校を2回落ちた後、第二志望校へ札束を持参して入学手続きに向かう訳であるが、ルンルン足取り軽く…、という気分にはなれないものである。やはり、この札束は第一志望校へ納めたかった思いは否定できない。第一志望校入学をずっと思い描いてきている(我が家の場合は小4からの第一志望だったため、もう3年も思い描いてきている。)ので、頭のリセットはそう容易なことではない。
 入学手続き後の午後は制服の採寸である。こちらの制服ではなく、第一志望校の制服を着せてやりたかった思いもやはり強い。作っちゃっていいのかなあ、なんて少し後ろ髪を引かれつつの採寸である。制服代も即日現金納入しての帰り道もまだ複雑な心境である。ただ、まだ小学生のあどけない子どもの前ではそんなそぶりは見せられない。親の態度は子どもに大きな影響力を与える。あくまでも入学する学校が一番であることを親が率先して示さなければならない。

 3月に入ると入学前の学校のオリエンテーションがある。
 このオリエンテーションで印象深い出来事があった。ひとりの参加者の少女が泣き続けているのだ。その涙の訳については推測でしかないのだが、おそらく自分が目指した第一志望校ではない不本意な入学なのであろう。教職員の方々が一生懸命なだめるのだが、少女はただただ泣き続けている。入学手続き後日数が経過しているのに、この子の周囲の大人はまだあどけない少女の頭の切り替えをさせてやれなかったものなのか。私までもがもらい泣きしそうだ。 あの少女は入学したのだろうか、と今でも時々思う。


 あれから2年が経過した。
 我が子は入学当初より第二志望校の生徒としてその中学校に誇りを持って通学してくれている。制服だって、第一志望校よりこちらがずっと立派だし(本当に仕立てがしっかりしていて格調高い制服なんですよ。)とてもよく似合ってるよ。よかったね!
 とにかく、教育理念が徹底してすばらしい学校である。(教育問題にうるさいこの私が絶賛しているのだから半端ではない。)それは受験前の学校説明会時から既に十分把握していたのであるが、何せ、学校長が教育分野のスペシャリストでいらっしゃって文部科学省に物申せる人物なのである。国家に歯に衣着せず食って掛かれる実力をお持ちの校長など滅多やたらと存在するものではない。この私も尊敬申し上げている。
 そんな学校長の教育理念の下、当然ながら教職員の皆さんの指導力もすばらしいのだ。この学校の「受験生は神様です!?」対応には賛否両論あることと察するが、並大抵の努力ではこれはやってのけられない事は、客商売経験のある私には痛いほど分かる。
 例えば生徒に挨拶せよ、と指導する学校は多い。ところが大抵はそれを言ってる教員はふんぞり返って生徒にだけ挨拶させようという魂胆なのだ。「あんた、何様なの!?」と言いたくもなるでしょ、皆さん。 挨拶して欲しけりゃ自分から頭を下げるのが常識である、たとえ相手が子どもであろうがそんなことは関係ない。
 我が子の学校はすばらしい。そういう人間として基本的なことをこの学校はすべての教職員がわきまえていらっしゃるのだ。いつ学校へお邪魔しても、どこで教職員の方にお会いしても気持ちよくご挨拶下さる。お陰様で我が子はこの学校に入学以来、すこぶる礼儀正しい子に育ってくれている。挨拶する喜びを日頃より教職員の方々から教えてもらっているのだ。
 挨拶、礼儀はほんの一例である。教職員の方々の教育に対する取り組みには目を見張るものがある。我が子の自主学習力の育ちようは半端ではない。小学校までは子どもの学習につきっきりだった私が、こうやって日々ブログを綴れる程、子どもの学習に対する自主性を育ててもらっている。パンとムチとの与え方がとにかくうまいのだ。 当然ながらこの学校で生き抜いていく教職員の方々の日常はハードであろう。自然淘汰されるようで辞職者も多いようであるが。


 とにかく、受験の真価とは入学後に判明するものです。たとえ第一志望校でなくとも自分の子が入学する学校をまずは保護者が信じて、子どもにいい学校であることを伝えましょう。
 それ以前の問題として保護者がなすべきことは、たとえ第五、第六志望校であれ合格しても行かせたくもない学校を、塾に言われるままに子どもに受験させないことですよ。
  
Comments (6)