原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

赤坂 紀尾井町への小旅 -2-

2016年07月19日 | 芸術
 (写真は、7月17日に “紀尾井アートギャラリー” にて購入した「梨園染」の手ぬぐい。 画像の粗い携帯撮影のため、色が綺麗に出ていない事をお詫びする。 実際は、スイカ柄が実に美しい赤と緑と黒そして白のコントラスト作品だ。)


 我々母娘の赤坂・紀尾井町への小旅の一番の目的は、“紀尾井町アートギャラリー” を訪れることにあった。

 赤坂プリンスクラシックハウス(旧名:赤プリ旧館)を通り過ぎ、プリンス通りを北上し都市センターホテル前を左折したところに当ギャラリーが存在する。
 都心のオアシス、紀尾井の森に閑静に佇む (ギャラリーのパンフレットによれば、芦原太郎氏による自然光溢れるモダンな建物)の2階、3階部分をギャラリーとして展開しているため、テラスやバルコニーもあり自由に出入り可能な美術館だ。
 緑豊かな紀尾井の森の木々を眺めつつ、お茶やコーヒーを飲みながら鳥のさえずりを楽しみ寛ぐ事も出来る美術館だが、一昨日はあいにくの蒸し風呂のごとくの猛暑のため、室内より森を展望するにとどめた。

 参考だが、私は美術館のカフェで寛ぐ事が好きだ。
 特に美術館が混雑していない時のカフェとは、都内何処のカフェよりも心地よい。
 とにもかくにも、首都東京は何処の場所も人でごった返している。 だが、こと美術館が混雑していない時の美術館内カフェとは、何物にも替え難いゆったりとした寛ぎの空間を都会に暮らす私に提供してくれるものだ。 


 さて、当該美術館は世界唯一の「江戸の伊勢型紙美術館」としてその名を馳せている。
 以下に美術館のパンフレットより、その概要を要約引用して紹介しよう。
 「型紙」とは着物の文様を染める原版のこと。 柿渋加工の和紙に文様を彫刻したもので、千余年の歴史がある。 産地に由来し「伊勢型紙」と呼ばれ、江戸時代に飛躍的な発展を遂げた。 
 日本橋の老舗で見つかった江戸から昭和初期の5千枚に上る型紙を世界に紹介するため、紀州ゆかりの地に常設「伊勢型紙美術館」をオープンした。 当館は、裃、極小小紋、友禅、幾何学、花鳥風月、森羅万象を文様にした様式美の粋を極めた日本文様の宝庫である。
 季節毎に年4回入れ替えを実施し、公開している。
 (以下、略するが美術館パンフレットよりその一部を要約引用したもの。)


 私が今回、当該美術館を訪問したいと志した理由とは、過去に於いて「江戸紅型」なる訪問着を “大枚叩いて” 購入しているからに他ならない。
 その「江戸紅型」訪問着が仕立て上がり、自宅に届いた直後に感じた芸術品としての美しさ・素晴らしさには実に唸った! (ご興味がありましたら 本エッセイ集 2014.1.1公開の「いとも美しき『江戸紅型』をご参照下さい。)
 その「江戸紅型」を娘の大学卒業式に袴と共に着せた。 着物の趣味がある2人の大学女性教官氏より高評価を頂いたと娘より聞き、着せた甲斐があった!と、その “たった二人のお言葉だけ” で親として感じたものだ。(近年は、着物の価値など“知る人ぞ知る”時代と化しているしね……)

 そんな私が「伊勢型紙」に興味を持たない訳がない。
 いやはや、美術館に展示されている「型紙」より作り出された作品の数々が見事な事!
 しかも今回は夏の展示だったようだが、「浴衣」が幾枚も展示販売されている。 その価格とは、「浴衣」であることが理由だろうが、私が過去に買い求めた「江戸紅型」訪問着より2桁も安価だ!

 しかも、この「伊勢型紙」は現在 建築資材である “壁紙” として利用される等々、その他産業分野への販売促進が大幅に進展している様子でもある。

 未来の産業発展にも恩恵をもたらすであろう我が国の 伝統芸術 「伊勢型紙」の存在を素晴らしく感じつつ、我々母娘は紀尾井町に位置する美術館を後にした。 

赤坂 紀尾井町への小旅 -1-

2016年07月18日 | 旅行・グルメ
 (写真は千代田区紀尾井町に位置する 赤坂プリンスクラシックハウス ⦅旧名:赤坂プリンスホテル旧館⦆前にて、昨日娘に携帯にて撮影してもらった私。)


 7月の3連休の昨日、仕事が休みの娘を誘って、東京メトロに乗り赤坂・紀尾井町界隈を訪れた。

 東京メトロ沿線に程近い場所にある自宅から地下鉄に乗車し、20分少し経過すると永田町駅に到着する。
 その9a出口を出てプリンス通り沿いに歩くと、すぐの場所に 赤坂プリンスクラシックハウス(旧名 赤坂プリンスホテル旧館)に辿り着く。

 我が30年近く前の記憶によれば、赤坂プリンスホテル(通称“赤プリ”)旧館とは別の場所に存在していたような気もする。

 昨夜帰宅後、ネット検索してみるとまさにその通りだ。
 どうやら赤プリ新館解体後、この旧館は最新鋭建築技術を駆使した「曳き家」と称する“離れ技”により、現在の地に移動したとのことである。

 以下にネット情報より、“赤プリ旧館” 大移動の様子を要約引用して紹介しよう。
 東京都千代田区にある旧グランドプリンスホテル赤坂(赤プリ)の跡地で超高層ビル2棟の新築工事を進める西武プロパティーズは、敷地内で保存する「旧館」の曳き家(ひきや)工事を2015年11月18日に公開した。 曳き家とは、建物を解体せずにそのままの状態で移動させること。 旧館の移動距離は44m。
 旧館は旧朝鮮王室の邸宅として1930年に完成した鉄筋コンクリート造、地上2階建ての建物。 宮内省内匠(たくみ)寮(現在の宮内庁管理部)が設計して、清水組(現在の清水建設)が施工した。
 旧館は戦後、西武鉄道の所有となり、55年に客室数31室の赤坂プリンスホテル(通称、赤プリ)として開業した。 83年に丹下健三氏の設計で40階建ての「新館」が開業してからは、婚礼施設やレストラン、バーなどとして使われてきた。
 西武プロパティーズは2011年3月にホテルの営業を終了。 新館は建設共同企業体が「テコレップシステム」と呼ぶ騒音や粉じんを抑える工法を使って、13年7月までに解体した。 解体工事中に、ホテルが徐々に低くなっていく様子が話題を呼んだ。
 跡地には地下2階、地上36階建てで高さ180mのオフィス・ホテル棟と、地上24階建てで高さ90mの住宅棟を建てる。総事業費は約980億円で、16年夏ごろの開業を目指す。
 (以上、ネット情報より要約引用したもの。)

 引き続きネット情報より、44m大移動した後の “赤プリ旧館”情報をレポートしよう。
 西武ホールディングスによると、「赤坂プリンスクラシックハウス」には、レストランや宴会場、バーが入り、来夏(2016年夏)にオープンの予定。 建物は、都の指定有形文化財。

 別のネット情報によれば。
 徳川家に縁が深い街、紀尾井町。  閑静な佇まいと、文化の薫りが色濃く残る街でありながら 数多くの世界を代表するファッションブランドのグランメゾンがこの街に旗艦店を構えた。
1930年、この紀尾井町に国の要人であるご家族の邸宅が建てられた。 そして1955年に赤坂プリンスホテルの始まりの場所として生まれ変わった。  80年以上もの間、その佇まいは変わらず、この紀尾井町の街と共に 東京の発展を見守り続けている。
 尖塔アーチが特徴的なチューダー様式と呼ばれるスタイルで建てられた「赤坂プリンス クラシックハウス」は 宮内庁御用達の職人の手により丁寧に創り出された。  東京都指定有形文化財でもあるこの建物は、目まぐるしく変化する東京で、今もこれからも変わらずあり続けることだろう。
ベージュと濃褐色の木材とのコントラスト、館内に施された装飾の数々が落ち着きと、優美な雰囲気を醸し出す。  東京の中心にひっそりと佇むこの空間は、訪れるお客様を非日常のひとときへ誘う。
 永田町、赤坂見附駅に隣接し、東京都心に誕生する「東京ガーデンテラス」。 緑と歴史に抱かれた国際色豊かな複合市街地をコンセプトにオフィス・ホテル棟、商業施設を擁した東京ガーデンテラスに、赤坂プリンスクラシックハウスは生まれ変わる。 この邸宅は緑の木々に囲まれ、静かに佇み、街を見守り続ける。
 (以上、ネット情報より赤プリ旧館⦅赤プリクラシックハウス⦆に関する情報を引用・紹介したもの)


 私事に入ろう。

 我々親子が赤プリ旧館前で上記の写真を撮影し合っている時、ちょうど熟年夫婦が傍らを通り過ぎた。
 そして言うには、「前より大きくなった気がする。」

 確かに私もそう感じた。 
 私の場合、まさにバブル絶頂期の30年近く前の“華の独身貴族”時代に、この赤プリ(新館・旧館共に)を幾度となく訪れている。 確かにその時の印象と比して、新館解体移動後のその姿は煌びやかに美しい感覚を抱いた。 
 今後は、「赤プリ」の名を継ぎ、結婚式場やレストラン機能を発揮しつつその煌びやかな姿を維持していく事に期待しよう。


 さてところで、我々母娘がそれ以上に興味を抱いたのは、赤プリ旧館とプリンス通りを挟んで目の前に整然と美しく存在している 某中学校 の姿だ。

 当然ながら何処かの私立学校かと思いきや、な、なんと、「区立麹町中学校」なる名盤が正門に貼られているではないか!?
 この界隈、どう見ても“マンション”ならぬ “億ション” が立ち並んでいる。 そんな恵まれた家庭に育っている子供達は必ずや私立学校へ通っていることであろう。
 と言うことは??  この区立中学校へ通う生徒達とは一体何処からこの地へ通っているのだろう? なる単純な疑問が湧く。
 これに関する我々母娘の疑問は解けないままだ。
 ただもしも、こんな地価が超高額の都心に数少ない生徒のため公立学校を存立し続け固定資産税等々の税金を無駄使いしている現状ならば、そろそろ廃校を考えてもよいのではないか!? とアドバイスしたくもなるというものではなかろうか?
 えっ? そんなの東京都心に位置するリッチな「千代田区」の勝手ですって?!?
 それにしても、東京都23区内に於ける “貧富の格差” も物凄いものがある事実を、改めて実感させられる思いだ!! 


 さてさて、我々母娘の赤坂・紀尾井町界隈小旅レポートは次回へと続きます。

投票で終わりではない統治者に対する我々主権者の責任

2016年07月15日 | 時事論評
 参議院選挙投票日から数日が経過した本日、2日前の朝日新聞7月13日夕刊内にて大変興味深いコラム記事を発見した。

 文芸・批評ページ「思考のプリズム」欄 に作家・小野正嗣氏が 「透明な『良き統治』へ 投票で終わりではない」 と題する執筆を公開されている。

 早速以下に、その内容を要約して紹介しよう。

 イギリスでは、国民投票の結果、欧州連合(EU)離脱派が勝利した。 これに対し、某インド系イギリス人作家がラジオ取材を通して「離脱派の移民への人種差別的、ファシスト的発言にショックを受けた」と答えていたのが印象的だった。  移民がイギリス人の仕事を奪っているとか、福祉にタダ乗りしているといった扇情的批判に加え、離脱に賛成した人々の動機となったのは他国EU官僚に対する反発だろう。 海の向こうで大切な事が決められ、イギリス国民の主権がないがしろにされているという憤り。
 移民とEU官僚への嫌悪の源にあるのは「不透明さ」に対する不安だ。  我々は日常生活を統べる政治が可能な限り「透明」であることを望む。 フランスの教授ロザンヴァロンが昨年刊行した「良き統治」は議会制民主主義の機能不全、とりわけ三権のうち、行政府、つまり政府が「一強」化し、統治者が突出した権力をっ行使して、主権者である被統治者=国民の声を無視し続ける現状への危惧から出発する。
 では、真に市民を代表する良き政府=統治とはどのようなものなのか? 選挙の勝利で国民から全面的な委任や承認を得たと考えるのは間違いであり、政府=統治者はすべてを可視化し、たえず国民からの監視と検証にさらされることで初めて正統性と信頼を勝ち取るとロザンヴァロンは言う。
 そして、良き統治者の5つの要件として、説明能力、責任能力、応答能力、正直に語る能力、廉潔さを挙げる。 これらはみな政治の透明性を担保し、公的権力を担う人間の資質や倫理性を問うものだ。 この要件が欠ける時、統治者は被統治者からの信頼を失う。 前都知事が厳しい批判を受けたのは当然だろう。
 人は「不透明さ」を恐れ嫌う。 だが、この欲望を間違った方向にたわめるのも政治だ。 人は「偽りの透明さ」に騙される。
 勝利が史上目的である選挙では、どうしても単純明快で耳に心地よい約束が連呼される。 そして勝者の行動は往々に選挙中の言葉を裏切りがちで、国民には政治への失望と不信が広がる。
 ただ、投票は国民主権の一瞬の表現に過ぎない。 統治者の偽りや暴挙を監視・検証する作業に終わりはない。 真に透明な良き政府=統治の実現には、主権者である我々のたゆまぬ努力が必要だ。 日本でも参院選は終わったが、我々国民の仕事は始まったばかりだ。
 (以上、朝日新聞記事内 作家・小野正嗣氏の執筆より要約引用したもの。) 


 上記、朝日新聞内の作家・小野氏の執筆内容は素晴らしく、それにほぼ賛同する原左都子だ。

 おこがましくも、それに追加する形で以下に原左都子の私論を展開させて頂こう。

 英国のEU残留・離脱を問う国民投票の場合、投票率が70%を超過したとの報道だ。 近年の我が国の選挙戦と比較した場合、その高投票率は望むべくもなく、何とも羨ましい投票率とも捉えられよう。
 ただその投票の内容に関して、英国内にて疑義が炸裂したとの報道でもあった。 何でも、何を問うた国民投票かも把握せずただ単に周囲に誘われ流されるままに選挙に行った、だとか‥…   もっと悲惨なのは、EU(欧州連合)が如何なる組織かも知らずに投票した国民が数多く存在した事実が後に判明したとのことだ。
 それを重くみた「EU残留派」が再選挙を要求して立ち上がったものの、時既に遅しとの事態だった様子だ。

 英国国民投票の事例を参照している場合ではない。
 我が国の国政選挙だった7月10日の参院選投票率など、50%をやっと超える低さだ。 今後の憲法のあり方を問われた国家基盤を揺るがす選挙だったにもかかわらず……。
 しかも投票した国民の多くは英国国民投票同様、どれ程に自己のポリシーがあって投票行動に至ったのかなど、訳が分かったものではない。

 そんな国民低レベルの実態に便乗して、今回の参院選挙に際する政権政党の“選挙戦”のやり方も卑劣を極めたとも表現出来よう。 
 国民感情として「反改憲議論」が盛り上がっている事実を危機とみた政権側は、直前の選挙活動にて「改憲」を叫ぶでもなく、あるいは経済状況が芳しくない現状に於いてアベノミクス経済政策を批判される事を回避する目的で、選挙活動事態を自粛するとの“姑息な手段”を採用した。
 
 下手に自らの“失策”がバレないように選挙戦にて行動した結果、7.10参院選勝利に何とか漕ぎつけた安倍政権。 ところが選挙勝利後は今後の課題が山積しているせいか、新聞紙上に見る“作り笑顔”の割には、その「勝利表明」は言葉少なだったものだ。

 それもそのはず、安倍政権が「改憲4政党」にて議決権発動可能な3分の2議席を今回の参院選挙にて獲得出来たとは言えども、その実態とは、各党に於ける改憲政策がバラバラ状態!  これぞ、今後改憲議論を進めようとしている安倍政権側にとっては大いなる痛手であろう。
 護憲側としては、これを重く捉えて今後行動するべきだ。 決して、「憲法議論」で敗退したと思わず、今後も国民底辺組織や個人とて、その議論に関して引き続き力強く訴えていく責務があろう。

 それは、「アベノミクス経済政策」とて同様だ。
 安倍氏は、これぞ強化するとの参院選後の強気発言だが、さてさて何処まで政権側がそれを強化出来るのかも今後の見ものだ。

 何分、東京都知事も選挙戦にて入れ替わる事態だ。
 私など、次期都知事には金銭問題がクリーンな人材であることは元より、2020東京五輪を可能な限り縮小開催するがために都内での公共事業も縮小せんとする候補に一票を投じることを狙っている。


 最後に、私論で締めくくろう。

 まさに、作家・小野正嗣氏が朝日新聞記事内で執筆されている通り、我々国民主権を握っている庶民こそが、その主権を最大限行使して選挙に臨むべきだ。
 それによって、統治者を動かせる可能性もあり得るのだ。
 
 その権利を多くの国民が最初(選挙前)から放棄するとの選択をし続けたならば、もしかしたら何処の国家も「独裁国家」に変貌するやもしれない危険性が否めない事実を、少しは恐れて欲しい思いもする…
 

弱体化・貧困化する弁護士

2016年07月13日 | 時事論評
 参院選がらみのエッセイが続き、未だ「言論統制」の被害より解放されず一部の検索画面から削除措置を余儀なくされている我がエッセイ集だ。


 今回は大幅に趣向を変えて、先程ネット上で見た興味深い記事に関して論評することとしよう。

 その表題とは、 「日本最難関資格、弁護士の悲惨な現実」。
 早速以下に、要約して紹介する。

 最近、弁護士事務所のCMや広告をよく目にするようになった。 テレビでも弁護士は報道番組だけでなく、バラエティー番組などにも頻繁に登場する。
 司法試験は長年日本の最難関ライセンスといわれ、それに合格した弁護士は、知的で華やかな職業に見える。
 ところが近年、その弁護士の年収が激減している。
 以下は、日本弁護士連合会が作成している「弁護士白書2015」で発表された、弁護士の収入と所得の推移。 収入は弁護士売り上げ、そこから経費を引いた所得は年収と捉えればいい。中央値とは、上から多い順に並べた際に、全体の真ん中になる人の値。 所得の中央値を見ると、2006年の1200万円から、2014年には600万円と、キレイに半額になっている。 
 国税庁が発表している、弁護士の申告所得情報から算定した1人当たりの所得額も、概ね同じ傾向を示していることが分かる。 700万円弱といえば、社員数1000人以上の大企業における、大卒・大学院卒者の平均年収とほぼ一致する水準。 1200万円といえば、同じく大企業の部長クラスの平均年収となる。 2008年当時は大企業の部長並みだった年収が、わずか6年ほどの間に、全社員の平均水準くらいにまで下がったということになる。
 なぜ弁護士は、儲からない職業になったのか?
 答えは明らかで、弁護士の数が増えすぎたからだ。
 先述した「弁護士白書2015」では、全国の弁護士人数は、2006年に比べて2014年は実に約1.6倍にまで急増している。 これは、政府が進めた政策によるものだ。 2002年に閣議決定された「司法制度改革推進計画」では、政策の目玉が法科大学院の創設による司法試験合格者の拡大だった。 裁判など法的需要の増加を見据えて、それに対応できる法律の専門家を増やそうとしたものだ。 当時の法曹人口が、我が国社会の法的需要に十分に対応することができていない状況にあり、今後の法的需要の増大をも考え併せると、法曹人口の大幅な増加が急務となっているということを踏まえ、司法試験の合格者の増加に直ちに着手することとし、後記の法科大学院を含む新たな法曹養成制度の整備の状況等を見定めながら、平成22年ころには司法試験の合格者数を年間3000人程度とすることを目指すそうとしたものだ。
 確かにその後司法試験合格者は増え、弁護士数も急増したものの、思ったほど裁判や法律案件は増えなかった。 その結果、弁護士1人当たりの平均取扱事件数は減少し、収入減・所得減につながっている。 また、先ほどの所得データと併せて推測すると、実績のある弁護士さんの年収も幾分下がってはいるものの、おそらく最近合格した人たちの中に、圧倒的多数の貧乏弁護士が発生したのではなかろうか。
 しかし、このことは、多くの日本人にとっては、むしろ「幸運な見込み違い」といえるのではなかろうか。 アメリカのように、すぐに訴訟を起こす社会、弁護士が自己PR合戦を繰り広げる社会が、決して日本人が望む幸福な世の中だとは思えない。
 さて、冒頭のテレビCMや広告。 一部のPRが上手な法律事務所と、それを支援する周辺業者の象徴と言えよう。 その一方で、依頼者の立場になって真面目に取り組んでいるものの、自己PRに関心がなかったり下手だったりして、貧困化している弁護士がいるのも事実。 それが競争社会といってしまえばそれまでだが、あまり行き過ぎると結局は弁護士業界全体の信頼を失うのではなかろうか。
 (以上、ネットより現在の弁護士が置かれている状況に関する情報を引用・紹介したもの。)


 原左都子の私事及び私論に入ろう。

 私自身、30代前半独身時代にほんの一時だが 「司法試験」 を目指そうとした時期がある。
 その夢はすぐに断念した。 何故ならば、その試験に挑む道程があまりにも厳し過ぎるからだ。 ただ、私の場合は大学院法学研究科進学を志願しその厳しい受験勉強に励み合格した経験からその判断をしたのであり、決して、めくら滅法その受験を断念した訳ではない。
 
 当時は、まだまだ「弁護士」との職業が我が国に於いて輝ける存在であった。
 理系の「医師」と文系の「弁護士」。  その両者を天秤にかけるならば、その総数や受験の厳しさ、そしてその業務内容から判断して、1980年代後半の当時は「弁護士」こそが輝ける存在だった記憶がある。 
 極端な事例である事はお詫びするが、患者を10分間診察して「風邪でしょう」と診断しテキトーな薬を処方していれば済む医師。 それに対し、弁護士の実務とは多大な法的知識を要するのは元より、裁判に際しては勝利を視野に入れ理論武装し闘う力も要する。 どちらに軍配を上げるかと聞かれれば、当時の私は必ずや「弁護士」と応えたものだ。
 もしも私が後10歳若く、政府が立ち上げた「法科大学院創設」時期に受験年齢だったならば、間違いなくその道を歩んだ事だろう。 今思えば、10年歳老いていた事実が現在の我が身を救っているとの感覚だが…。

 私事が続くが、米国暮らしの我が実姉の配偶者が米国にて「弁護士」をしている。 本拠地である米国西海岸と東海岸に2つの個人事務所を構え、日々航空便で移動を繰り返しているとのことだが。 
 姉の話によっても、訴訟が多発する米国(日本やドイツのように「制定法国家」ではなく「判例法国家」だが)では、弁護士数が膨大に多い事実と比例してその報酬は決して多額でもなければ、世間での職業評価度も高くはないらしい。  故に日本のごとく「弁護士」一家だからと言って、それだけの理由で厚遇を受けるでもないとの談話でもある。  それと連動して、姉が高齢にて産んだ甥もごく普通に米国公立ハイスクールを卒業した後、本人が目指す州立大学に合格し現在そこに通っているとの話だ。
 (片や日本の場合は、親が「医師」やら「弁護士」やら「国家官僚」などと聞き付けると、私立学校側が放っておかないよね~~。 我が娘を過去に通わせた私立学校現場でも、その実態の程を鬱陶しくも見せられて来ているのだが…

 話を戻すが、私に言わせてもらっても「制定法国家」と「判例法国家」の違いはあれども、これぞ職業差別無き社会の理想形ではなかろうか?


 最後に、原左都子の結論で締めくくろう。

 あえて希望的・未来的観測をするならば、我が国でも、如何なる職種に於いても自分の実力がものを言う時代へと変遷しつつあり、そうであって欲しいとも思うのだが…

 それにしては、「弁護士」をはじめとする法曹界(検事や裁判官も含めて)の通過儀式である「司法試験制度」が厳し過ぎる現実だ。
 ただそれは我が国が「制定法国家」であるが故に、やむを得ない実態かもしれない。 (進路が刑事・民事のいずれかにもよるが)基本的には六法すべてをマスターせねばならないその負担たるや実に膨大だ。

 近年は「司法書士」や「社会保険労務士」等々周辺国家資格が充実し、それら資格取得者が個人開業している事例も目立つ。  その実態すら「弁護士」にとっては 一種の“業務妨害”とも推測可能だ。

 その意味では、医学界に於ける「医師」との職種の長年に渡る絶大なる権限力とは、「医師会」の業績(失策)でもあるのだろうか?!?

 このように考察してくると、確かに現在の我が国に於ける「弁護士」弱体化・貧困化の事実は、今後に続く困難な課題と言えよう…

世は 何故 “反政権” の動きを片っ端から叩きのめす?!?

2016年07月11日 | 時事論評
 昨日「参議院選挙」が全国各地にて実施された。

 結果として、安倍政権側与党が「勝利」したことは既に皆様もご存知の通りだ。

 この「勝利」を受け、昼のニュースにて安倍政権は以下のようなコメントを発表した。
 安倍晋三首相(自民党総裁)は11日午後、公明党の山口代表と首相官邸で会談し、参院選で与党など憲法改正に前向きな勢力が、改憲発議に必要な参院議席の3分の2(162)を超えたことを受け、国会の憲法審査会で慎重に議論を深めていく考えで一致した。
 (以上、ネット情報より一部を引用。)


 それにしてもだ…。   ここから一旦、原左都子の私論に入るが。

 何故、これ程投票率が低いのだろう?
 今回の参院選の場合、第一義として「憲法」の今後のあり方が問われた国政選挙だった事に間違いないであろう。
 何故、国家の根幹を揺るがす「憲法論議」に加わらない国民が半分近くも存在するのだ?? 
 本当にどっちに転んでもよいのか?  それも、一つのポリシーとして成り立つと本気で考えているのか??

 この背景には、やはり学校教育の責任が問われる事には間違いない。
 この私も過去に於いて高校教員として(商業法規、現代社会等々の科目にて)法律を教えていた時期がある。 私なりに熱弁を振るったつもりだが、生徒にとって如何程のインパクトがあったのやら…  反省させられるばかりだ。
 だた、確かに現在の学校教育現場は「国家」概念に関するお上からの規制(押し付け)が強まり、窮屈になっているのは事実であろう。 例えば学校現場の「日の丸・君が代」強制化など最たるものだが、これを教員相手に処罰を課してまで強制したのでは、教育現場にて「憲法」の伝達など後回しにせざるを得ないのは必然的とも言えよう。

 それでは、「アベノミクス経済政策」に関してはどうだろうか?
 これぞ、弱者無視の上層部のみ潤う経済政策に間違いなく、下層部に配置しているほとんどの庶民は上層部よりの“おこぼれ”に与ってわずかな恵みがもらえるなる経済政策だが。 (その“おこぼれ”すら下層に届かないレベルまで、アベノミクス経済政策は失策の一途を辿っているのだが…)
 この国に於ける上層部などほんの数%に満たないであろう。 その他大勢の下層部庶民は、おそらく今後も更なる貧乏にあえぐことが予想されるのだが、本当にこの「アベノミクス」を支援したいのか?  もしそうではないのならば、「アベノミクス経済政策」反対の反旗を選挙にて翻しても損はしなかったのではあるまいか?  なのに何故、多くの国民は棄権なる道を選択したのだろう??


 ここで、話題を大きく変えよう。

 タレント(俳優)の石田純一氏が現在都知事選に際し奇怪な行動を取り、世論がそれをバッシングしている事実を皆さんもご存知であろう。

 以下に、その一部をネット情報より引用する。
 東京都知事選(14日告示、31日投開票)への出馬を8日に条件付きで表明した俳優・石田純一(62)が9日、イベントで訪れた大阪市内で報道陣に対応し、出馬表明の影響で出演番組やCMなどの差し替えによる弁償が数千万円単位で発生していることを明かした。
 出馬表明の影響で、テレビ番組などに関わるスポンサーとの話し合いが現在同時進行で進められているという。「全部お話をさせていただき、ご迷惑をおかけしている所に関しては何らかのことになる。協議です。それだけでも何千万円にもなる」とした。  石田が背負うリスクは大きく、この日のイベント後も某テレビ局からCMカットを知らせる電話があったことを明かし「まだ(都知事選に)出るか出ないか分からないが、テレビ局の判断でCMをACジャパンのものなどに差し替える。その弁償もこちらにかかってくる。天文学的な数字になりそうです」と肩を落とした。
 「それを受けて立つというのではないが、それも必要経費なのかな。身も骨も断って出るわけですから、それでも受け止める気がないと」と覚悟をみせた。

 これに対する、過去に於ける宮崎県知事経験者の東国原英夫氏の反論を紹介すると…。
 東国原は9日夜に更新したツイッターで石田のCM契約についても言及。 石田は9日、出演しているテレビCMの差し替えによる損害賠償で、数千万を求められていることを明らかにしたが、東国原は「まぁ、そりゃそうだろうな。我々の立場(タレント)は、常にそのリスクを背負う。そのリスクを受け入れるだけの志や覚悟が問われる」とタレントの“責任”を説き、「選挙への立候補と言うのはそれくらい重い事である。 人生を賭ける一大事なのである。 石田氏にその志と覚悟があるのか。あるなら、野党統一とか言わずに堂々と出馬すべきである。それらが無いのなら、世間やマスコミの耳目を集める為の単なるパフォーマンスと見られても仕方無いのではないか」と持論を展開した。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)

 
 何故、今回敢えて「原左都子エッセイ集」に於いてタレント石田純一氏の“失策”を議論対象としたのか?

 それには、私なりの二つの理由がある。

 その一つとは、石田純一氏が、要するに世の「言論統制」にはまってしまった事実が我が身と重なる故だ。

 とは言え、無名庶民の原左都子が「言論統制」の被害に遭うのと、著名な石田氏がそれの被害に遭う損失のレベルは大きく異なる。
 私の場合は無名かつエッセイ執筆に関し何らの利益を得ていない事が幸いして、単に「検索画面から削除」との被害に遭っているに過ぎない。
 これに対し、石田氏の場合その被害額がスポンサーによるCM公開拒否やテレビ出演拒否等々で数千万円に上る事実が痛々しい。 
 話を元に戻すと、私原左都子と石田純一氏が何故その種の被害に遭っているかと言えば、要するに「反政権活動」を実行したと言うことだ。
 そんな事、この選挙戦に及んで “しない国民” こそがバッシングされるべき!! との思想が胸中にある私には、到底合点がいかない話だ。


 もう一つの理由とは。

 これは私が書く前に、東国原氏が公表してくれたのだが……
 要するに、「芸能界」とはそういう場だと言う事実に私自身が現在首を突っ込みかけている立場故だ。
 (今まで我がエッセイ集内での公開を控えてきたが、大都会にて女優にスカウトされた話題は過去に我がエッセイ集内にて公開しているが)、現在ほんの少しばかりその業界に興味本位で接触している関係で、その世界の特異性や厳しさの一端を私なりに思い知っている状況だが…‥。

 東国原氏曰く、「まぁ、そりゃそうだろうな。我々の立場(タレント)は、常にそのリスクを背負う。そのリスクを受け入れるだけの志や覚悟が問われる」とタレントの“責任”を説き‥‥   とあるが、まさにその通りであろう事を実感させられる。 (過去に私が経験して来た、職場に何らかの労基法違反があればその事実を持って闘えば勝てる!、なる表世界とはまったく異質の価値観で動いている“芸能界”との裏世界の存在を、多少恐ろしく感じ始めていたのだが…)
 その代償が何ともまあ数千万円規模に及ぶ事実を、今回の石田純一氏事件で思い知った。 もう、その“特殊な世界”とは本気で縁を切ろうと、我が事としてひしひしと実感させられている。


 それにしても、タレントの石田純一氏及び庶民の原左都子が取った行動(同列に論評する失礼をお詫びするが)とは、単に選挙戦に際しての「政権批判」行動である。
 その権利は、如何なる国民にも保障されるべきはずだ!

 これが叩かれ(石田氏の場合数千万円の損失を計上せねばならない)事実とは、近代民主主義国家にて実施される国政選挙の実態として、到底許されざるべき事態であることには間違いない。