原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“左都子の微細な幸せ発見小旅” ー 「十二ヶ月図展」観賞編 ー

2019年02月12日 | 芸術
 (写真は、昨日2019.02.11に出かけた講談社野間記念館にて現在開催中の「四季の彩りと趣き 「十二ヶ月図展」のチラシを撮影したもの。)


 昨日、私は職場が3連休中の娘を誘って、自宅から東京メトロ乗車で15分程で行ける上記美術館を訪れた。

 今回下車した駅は東京メトロ有楽町線「江戸川橋」駅だが、メトロ沿線暮らし16年にして、この江戸川橋駅で下車するのは昨日が初めての事だった。 (メトロ有楽町線内駅の中で未だ下車していなかったのがこの「江戸川橋」だけだった事実に昨日気付かされ、我ながら改めて驚いた。)

 地上に出ると、すぐそこに「江戸川橋」がある。(へえ。実在する橋だったんだ…)などと妙に感動しつつ、目的地である講談社野間記念館へ向かう。
 その道中、何故か小さめの神社仏閣が密集していて独特の雰囲気のある街並みだ。
 文京区関口のこの界隈はそれら神社仏閣を中心に高級住宅街の様子で、都会の喧騒とは無縁の趣ある佇まいの癒される地だった。

 「江戸川橋」から徒歩約10分、ずっと坂道を上った場所に、ホテル椿山荘の隣に講談社が経営する「野間記念館」なる美術館がひっそりと存在していた。
 当該野間記念館も昨日初来館だったが、これまた癒される空間だ。
 入口の門をくぐった後、樹木の緑が美しい広大な敷地の奥に野間記念館の建物がある。


 その「講談社野間記念館」にて、現在「四季の彩りと趣き 十二ヶ月図」と題する美術展が開催中だ。

 以下に冒頭の美術展チラシより、当該美術展の開催趣旨を転載紹介しよう。
 日本は、世界でもまれな季節の移り変わりにみられる彩りや趣きに恵まれた国です。 それ故「十二ヶ月図」の由来は、遠く平安時代へとさかのぼる事が出来るのかもしれません。 近代日本画家たちもまた、日本の美しい四季の移ろいを捉え、色紙「十二ヶ月図」という舞台で、個性あふれる美の競演を繰り広げました。 講談社の初代社長と近代画家たちの交流が生み出した、およそ500タイトル、計6000枚を超える作品群は、野間コレクションの真骨頂といえるものです。 月ごとの暦のごとく日本の美を切り取った「十二ヶ月図」。 近代日本画壇で活躍した画家たちを俯瞰するかのように、その秀作、佳作の数々をお楽しみください。

 主な展示作家
  北野恒富・川合玉堂・上村松園・鏑木清方・伊東深水・山川秀峰・勝田哲・木村武山・橋本静水・堂本印象・福田平八郎・中村大三郎   ほか

 (以上、美術展チラシより転載したもの。)


 ここで、原左都子の今回の美術展鑑賞の感想を述べよう。

 いやとにかく、江戸川橋駅から坂道を歩いた感覚と、その後野間記念館内に入館した感覚…
 それがそのままに「美術展」がその“続編”として待ち構えていてくれたような不思議な感覚に陥った。

 その連続した空間を遮る何らの邪魔ものも無く、私はすんなりと「十二ヶ月図」展の世界へ入り込んだ。
 これ程までに展覧作家作品が数多く公開されているとは予想もしていなかったのが、正直なところだが。
 すべての作家の「十二ヶ月図」の対象物が、当然ながら異なる。
 美人画・植物・動物・風景・季節の風物詩、等々……

 それにしても、当該美術展の主題である、「日本の四季の移り変わりにみられる彩りや趣き」を作家達が表現して余りある展覧会だった。

 展覧会の最終場面付近に、一シリーズのみ「日本の四季」ではなく、外国の風景を描いた12枚の作品が展示されていた。 (その作家名も確認せずして帰宅してしまった私だが。)
 その中に、私が過去に訪れたフランスセーヌ川やノートルダム寺院、あるいはイタリアベニスの風景を描いた作品が展示されていた。
 それら12枚に描かれた風景が他の「日本の四季」作品群と隔離された画風の感覚はまったくなく、「十二ヶ月図」展の中に自然に溶け込んでいたことに更なる感動を抱かされた。


 今回の「講談社野間記念館」にての美術鑑賞は、既に若くもない原左都子に次なるチャレンジ啓発を提示してくれた思いもある。

 これぞ、表題に記した “左都子の微細な幸せ発見小旅” なるテーマだ。

 自宅からこれ程近い場所にこんな素敵な美術館空間が存在していた事実に、大いに感激させられた昨日の小旅行だった。
 しかも周辺には、今後探索するに値する小規模な神社仏閣も点在している。

 何も“どデカイ冒険”を目指さなくとも、これ程お手軽に今後の我が人生を更に活気付けてくれそうなスポットが存在する事実に巡り合えただけでも、私は恵まれていると言えよう!
 生来的に、私は“集団嫌いの一匹狼”派だ。
 そんな私を応援してくれるかのような“幸せスポット”を自力で発見できた事実に、私こそが勇気付けられる。
 

 野間記念館の美術品収蔵も十分豊富な様子であり、また別の美術展に足を運ぶことが今から楽しみだ。♪♪
 

左都子も昔は左利き♪ - vol.3- (親の愚かさが子の人生を左右する編)

2019年02月10日 | 自己実現
 昨日の本エッセイ集内に、私は以下の記述をした。

 私の単なる勘違いだったかもしれないが、過去にスマホはガラケーよりも文字入力に於いて勝っているとの話を小耳に挟んだ事があるが。 それ、大嘘だよねえ??
 勝っているどころか、(元々左利きの私の場合)今まではガラケーの文字入力のすべてを左手で行っていたのに。 残念ながらスマホの場合重量が重いため、私の握力では左手に持って左手で打ち込むのはスマホを落としそうで不能だ。 仕方がなく現在は左手で支え右手で打ち込んでいるが、これはガラケー以上にイライラさせられる作業だ。
 (昨日公開のスマホ関連エッセイより一部を引用したもの。)


 そうなのだ! 私は物心ついた頃には確かに左利きだった。
 これに関連するエッセイを過去に於いて2本公開しているが、そのうち2017.07.08公開の 「左都子も昔は左利き♪- vol.2『左利きは天才か?』編 -」の一部を以下に再度要約引用させて頂こう。

 私は幼稚園児の頃、どういう訳かはさみ使いが大の苦手だった。 今思うに、それは生まれつき左利きだったらしき私が、右効き用のはさみを使用させられていたからに他ならない。 当時ははさみと言えばすべてが右利き用に作られていて、「左利き用のはさみ」など(特に我が郷里の過疎地で)販売されているはずもなかった。
 私が生まれつき「左利き」だったらしき事実に関しては、本エッセイ集2011.02.07バックナンバー「左都子も昔は左利き♪」に於いて公開している。 以下に、その一部を再度披露させて頂こう。 
 幼き頃の私は、親が私の自由にさせると何をするにも必ずや左手を使っていたらしい。
 “箸”に関しては、親がそれを最初から右手に持つよう矯正したとのことだ。 (その矯正によほどの無理があったのか、未だに“箸”を上手に持てず人前で恥を晒している私である。)
 クレヨンに関しては、苦い思い出がある。 私自身にはその思い出に関して一部分を覗き明瞭な記憶がなく、後に母より伝達されたエピソードの範囲内なのだが、以下に我が幼き日の失敗談を紹介しよう。
 未だ幼稚園へも入園していない幼児(おそらく3歳頃)だった私は、親の知り合いの新築家屋落成記念会合に一家で招待された。 1階で飲み食いしつつ盛り上がる大人達が子供は2階で遊ぶように指示し、私もその子供の一人として2階で遊んでいたようだ。 会合も終焉に近づいた頃、子供達の様子を見ようと2階に上がった新築家屋の奥方が真っ青になって1階に戻り我が母に訴えたそうなのだ!
 「お宅の〇〇ちゃん(私のこと)が、クレヨンで部屋一杯に落書きした!!」と。
 それを聞いた母は「うちの〇〇はおとなしい子で、そんな事をするはずはないのだけど…」と弁解しつつ2階に上がって仰天したのだと言う。  なぜならば、新築2階の部屋の壁や床一面に私の氏名がひらがなで多数書き込まれ、左手にクレヨンを持った私がそこに存在したからである。 
 その落書きを見て別の意味で一番驚いたのは我が母であったようだ。 新築家屋の主に平謝りしながら床や壁を拭きつつ、親が知らない間に我が子が既に自分の氏名をひらがなで書けるまでに成長していて、しかもわずが3歳にして左手で書いたその字は実に正確で美しかったのだと言う。
 その“事件”をきっかけに今後私が幼稚園へ入園するに先立って、クレヨンを右手に持たせる矯正に乗り出した我が母であるようだ。 (中略)
 それにしても、私は今となっては左手はまったく利き手ではない。 握力も高校生の頃から右手が勝っていて左手の握力など実に乏しい。 
 「左利き」の人の中には両手が器用に使えるという話も耳にすると、どうして我が親は両手共に器用な人間に育ててくれなかったのかと不満をぶつけたくもなると言うものだ。
 今の時代「左利き」とは矯正するべきなのかについては学者達の間でも論議される課題だ。  某大学教授も以下のような論評をしている。 「無理に変えない方がいいが、幼児期に子供が強い嫌悪を示す場合を除いて右利きへの変更を試行してもいいのでは」
 この論評は、今の時代の右利き社会に適合するべく子供を育てる観点からはごもっともな指摘と同感する。
 ただ私論としては、子供個々が持って生まれた特質に任せて欲しい思いが強い。
 なぜならば幼き子供とは言えども個々が千差万別であるからだ。 周囲の指導により“子供が右手への強い嫌悪感を示す”かどうかに関してさえ、大いに子供の個性による。  私など、幼き頃から周囲への客観性の配慮にばかり焦点を置いていた記憶があるが、この種の子供とは我が意に反して親や教育者の指導に従順とならざるを得ないのだ。 すなわち、親や指導者が「右手を使え」と指示したならば、自分の不快感を押し殺してでもそれに素直に従う道を自ずと選択して、後々内面にストレスを溜め込んでしまうのである。
 各人の器用な手が右であっても左であってもよいのはもちろんの事、本来ならば両者が共存し得る社会が築かれるべきだが…  とは言え、どうしても近代社会のシステムや論理とは多数派が尊重されてしまうのが辛いところだが。 (中略)
 今回、私が「左利き」をテーマとして再度エッセイを綴ろうとしたきっかけは、ネット上で「左利きは天才肌」と題する、一見して信憑性が疑われそうな記述を発見したことによる。
 そのネット記述の一部を要約して以下に紹介しよう。
 「左利きは天才肌」。 このような噂を、誰しも一度は耳にしたことがあるものではないだろうか。 やや信憑性の薄いデータのようだが、ロシアの生物学者アレクサンダー・デュボフ博士によると、左利きの人は、右利きの人よりIQが高い傾向にあるのだそうだ。 現在、人類のうち10人に1人は左利きなのだそうで、その計算でいくと世界には左利きの人が約6億人いる事になる。 博士によると、“超能力者”と呼ばれる人はほとんど左利きだそうで、また左利きの人は芸術的な能力にも恵まれるのだとか。
 また、「左利きの人口が増えることによって、人類は進化を遂げる」とのこと。
 そしてアメリカの大学研究者達により行われた、「人生において、左利きのほうが成功をつかみやすいのではないか」という研究もある。 ちなみに、右利きか左利きかで収入に差が出たのは男性だけで、女性にはこの差はみられなかったそうだ。
 ちなみに、左利きの有名人はというと、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ピカソ、ニュートン、アインシュタイン、ビルゲイツ、坂本龍一、松本人志、野口聡一 などなど……。 たしかに天才が多い気がする。  (以上、ネット情報より一部を引用したもの。)
 原左都子の私見だが。  おいおい、ネット情報さん、ちょっと待ってくれよ。
 我が尊敬申し上げるアインシュタイン氏は別格としても……  特に日本人の天才として挙げられている人物達を、安易に「天才」に分類してしまっているその“”いい加減さ”の程はどうしたものか!?? 
 更に反論したいのは、当該ネット情報では「左利き」に生まれて天才に位置付けられるのは「男性」のみと結論付けている点だ。 ただこの点を原左都子が考察してみるに、要するに“女性の左利き”著明人に関してはデータが少なく分析不能との事だろう。

 (以上、長くなったが本エッセイ集バックナンバーより要約引用したもの。)


 昨日2019.02.09付朝日新聞夕刊内に、イラストレーター氏による「左利きの私、母は矯正しなかった」との記事を発見した。
 以下にそのごく一部のみを紹介しよう。

 イラストレーターのイチョウヨワシさんは、御母上に「私の利き手…矯正せんでよかんたん?」と尋ねたところ意外な答えが返って来たらしい。
 その答えとは、「一応やっとったけど…  そしたら、あんた 絵かかんようになってまってなぁ その時思ったんや 大好きなもんうばってまでやることかってね~」
 (以上、朝日新聞記事よりごく一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 いや~~~。 イラストレーター イチョウヨワシさんの御母上氏のご判断が素晴らしい事!

 ここでまた、我が実母の愚かさが露呈してしまった… 
 育った時代が異なるとは言えども、あ奴(実母の事だが)何故あれ程に子育てに於いて主体性も信念も無かったのか! と今更ながらに腹立たしい!!

 「左利き」素晴らしいじゃないか!

 そもそも天然“天邪鬼資質”の原左都子など、「左利き」のままに育ててくれたならば、もっと素直に自然体でこの世を生き延びられたかもしれぬのに……
 
 しかも更に私が気に入らないのは、実母が我が左利き矯正を本格的に開始したきっかけが。
 幼稚園入園後も私が左手で物事を実施している姿を見た「幼稚園教諭にそうせよと言われたから」との、他力本願な理由によるところだ!
 何故、子の親たるものがそんな信憑性無き人物の指導にいとも簡単に従ったのか!??
 そうとは言え、その時代の親達とはまだまだそれが現実だったのかもしれないが……

 とにもかくにも、この私はせっかく持って生まれた貴重な「左利き」資質を幼少時代に潰され、その後は両手共不器用なる悲惨な人生を歩まされ続けている。

 こんな悲劇(?)を繰り返さないためにも、世の親や指導者と名乗る者達は信憑性無きいい加減な指導を慎んで欲しいものだ!
 あ~~~~、スマホ文字入力、イライラするぜ!! 

「スマホ」って、結局ろくでもないね…

2019年02月09日 | 自己実現
 (写真は、買ったばかりの我がスマホより「原左都子エッセイ集」画面を撮影したもの。)


 いやまあ、そんな事は重々承知の上でガラケーをスマホに買い替えたのだが…

 スマホに買い替えてわずか5日目の我が正直な感想が、冒頭表題に提示した通りだ。


 そりゃ、考えてみれば当たり前だ。
 モバイル機器など、要するに所詮“ツール”でしかない。
 ユーザー個々人がどのように使いこなすかによって、その価値の程が上下左右することであろう。


 私の場合は実際自宅に居る時にはパソコンで十分であり、全ての事柄に於いてパソコンのみで用が足せる。

 と言うよりも画面が大きいという長所、かつキーボード入力(私の場合はブラインドタッチ高速入力派だが)との点で、パソコンの方がスマホよりもはるかに勝っている。
 私の単なる勘違いだったかもしれないが、過去にスマホはガラケーよりも文字入力に於いて勝っているとの話を小耳に挟んだ事があるが。 それ、大嘘だよねえ??
 勝っているどころか、(元々左利きの私の場合)ガラケーの文字入力のすべてを左手で行っていたのに。 残念ながらスマホの場合重量が重いため、私の握力では左手に持って左手で打ち込むのはスマホを落としそうで不能だ。 仕方がなく現在は左手で支え右手で打ち込んでいるが、これはガラケー以上にイライラさせられる作業だ。
 パソコン同様に英字文字盤に切り替えが可能のようだが、私の場合あくまでも“ブラインドタッチ”(文字盤を見ないでキーボードを打つ派)のため、英文字を目で追っての入力とは結局ひらがな入力と何ら変わりが無い。


 まず、スマホの「アプリ」って、どうしてこんなに“くだらない”ものばかりなんだ!?!

 ガラケー時代に初期画面に“ニュース報道”が表示されていたのを再現したく、自分なりに“ニュース報道”アプリを入れたのだが…。 
 (未だ私にそのアプリ選択力が無い故だろうが)、何故かくだらない芸能ニュースが前面に出されるようだ。 もう勘弁ならない感覚で腹が立つばかりだし、そもそもあの狭い画面でニュースを読む気にすらなれない。

 音楽を入れてランニング練習中にスマホを利用しようかとも考えていた。
 ところが我が体力では、あんなに重いものを身体に着装したものなら走れやしない。 聞くところによれば、どうやら専用の軽量ウオッチを買ってそれとスマホ情報を連動する手もあるらしいが。 それって単に携帯企業の“商魂たくましさ”にまんまと迎合させられる結果となりそうだし…。
 
 写真機能とて。
 1年半前に購入した我がデジカメ性能の方が、今回購入したスマホの写真機能よりもよほど精度が高そうだ。 今更ながら写真機能が低い物を使用する気にもなれないし…。 とは言っても、旅行中などは荷物の重さを勘案すればスマホ一本に絞るべきだろうが。 

 ああ、ゲームねえ。
 私も早速「ナンプレ」を入れて、スマホでやっているが。 まあ電車の中では時間潰しになるかもねえ…。

 「マップ」アプリも入れた。
 これも今後の機能に期待しよう。

 えっ? LINE ??
 これに関しては、我がスマホ購入担当のau職員氏は、私に勧めもしなかったよ。
 未だにそれがどんなメリットがあるのかに関して、私は認識していない立場だが。 集団嫌いの私にとっては一生必要無い機能なのかもね??


 何分、単に“スマホ初心者の戯言”に過ぎない今回のエッセイだ。

 それにしても若い世代ならばともかく、いい年した年寄り(私よりも年齢が上と判断する世代)どもが公共の場面でスマホをいじくっている場面に遭遇すると、私は必ずや軽蔑感を抱いてしまう人種でもある。 (スマホ嫌いの単なる偏見か??)

 まあその身にしてせっかくガラケーをスマホに買い替えたのだから、今後私なりに有効活用する事だろうが。

「税務申告」“補聴器”が医療費控除適用外に関して異議あり!

2019年02月07日 | 時事論評
 (写真は、昨日「青色申告」を終えた我が義母の税務申告確定書類のうち、「平成30年分医療控除の明細書」を撮影したもの。)


 昨日冷たい雨の中、私は高齢者介護施設に暮らす義母の不動産貸付業所得税青色申告のために、青色申告会会場へ出向いた。

 私が義母の当該事業代行及びその税務管理・申告業務を引き継いでから、今年で6回目の申告となる。
 引継ぎ後2~3年間程は、義母も私がその業務を代行している事実を把握出来ていた。
 毎年年末頃には「〇子さんには税務申告を一存して申し訳ない。 私にとってあれほど負担になる仕事はなかった。 年末頃からもうずっと頭が痛くてねえ…。」を繰り返していたものだ。

 その後、認知症状の悪化に伴い「青色申告」自体をすっかり忘却している様子だ。
 昨夜も電話があったのだが、その内容は耳鼻科の付添い要望であり、「青色申告」の事など当の昔に記憶から吹っ飛んでいる事実である。
 少しはねぎらいの言葉でも欲しいものだが、今となっては叶わぬ願いだ。 まあこちらも事業代行管理・税務申告手数料は毎年ちゃっかり義母通帳より引き落として貰っているため、まあいいか。


 話題を変えよう。

 私は30代後半期に「経営法学修士」を取得した後、13年程経過した時点で「税理士試験税法3科目免除申請」を国税庁に申請しそれを通過している。 故に、後は税理士試験の会計2科目を受験し合格した後2年間程の実務修行をすれば「税理士」資格をゲット出来る立場にある。

 娘が小学校高学年の頃よりサリバン業務が少し楽になったその余暇を利用して、一時「税理士」取得を目指し専門学校へ通い「簿記論」と「財務諸表論」の勉学に励んだりもした。 受験結果としては「財務諸表論」の方は何とかなりそうなレベルまで到達したものの、元々専門外かつ好きでもない「簿記論」がてんで合格点数に及ばず…。 
 いやそもそも、その頃の時点で既に「税理士」とは世の“花形職業”の地位を失墜していた。(税理士先生の皆様、失礼な発言を何卒お許し下さいますように。
 それをつくづく実感させられたのも、「税理士」受験経験を通してその情報を得たからに他ならない。 とにかく既に若くも無いのに苦労して受験を突破したところで、ろくろく仕事が無いようなのだ。 新卒の「税理士取得者」とて会社勤めの税理士として、他の社員よりも多少報酬が良い程度の扱いのようだ。
 
 等々との理由により私は「税理士資格」」を取り損ねているが、それでもこの時の努力が今役立っている事は各方面で実感する。 
 そんな中、義母からの「青色申告」を引き継いで欲しいとの嘆願レベルには応えられる程度の実力はあると自負している。 


 さて、昨日の「青色申告」に話題を移そう。
  
 私の場合、義母の申告書類をほぼ仕上げて会場を訪れるため、何時も何らの変更も無くスムーズに申告を通過している。
 
 ところが、今年の申告に関しては問題が発生したのだ。
 表題の通り、「“補聴器”は医療費控除の対象とならない。」と今回の担当税理士より伝えられた。

 実は以前の「青色申告」に於いても、私は義母の“補聴器”に関して医療費控除申告を提出しそれを通過している。 ただしその時にも、「補聴器は申告外です」との説明は受けた。 そこを私も頑張り「これは耳鼻科医師の診断により当該耳鼻科にて作ったものだ。医師の診断下に作られた補聴器が何故、医療費控除対象とならないのか!」と食い下がった。 そうしたところ、それを認めて下さったのだが…

 今回の税理士氏は“補聴器”が何故「医療費控除」とならないのかに関して、十分な説明をして下さった。
 「例えば、眼鏡も対象になりません。 松葉杖に関しては、それで病院に通わねばならない場合のみ適用になります。 車いすも然りです。 要するに、医師の“治療”が必要な場合のみ医療費控除の適用となります。」
 分かったようで異論がある私が更に噛み付いた。 「私も歯科ではいつも“私費”にての高額治療を施しますが、その全額が医療費控除対象となっています。(要するに“贅沢治療”を控除対象として認めているにもかかわらず)、何故実際困っている患者がその補助器具を使用した実態が医療費控除に適用されないのか!?」

 更に私が加えて、「これ、医療費控除に関する税法改正を急ぐべきですね!」

 それに担当税理士氏が同意してくれたかくれなかったか不明だが…

 とにかく義母の「青色申告」は昨日無事に終了した。


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 医師(医療機関〉が“治療”せねば、「医療費控除」が認められないんだと!?!

 これ、まさに国家(特に厚労省)と医療及び製薬会社との癒着により我が国が成り立っている事実をあからさまにした現状だろう。

 「補聴器」「杖」「車いす」に依存せねばならない高齢者がどれ程この国に存在することか!
 その補助が「介護保険」で成されているのならば、少しは救われる思いだが…。
 「介護保険」とて既に国政の失敗で、今後巨額の保険料を国民から“かつあげ”せねば、この国の財政は更に破綻するとも見聞している。

 せめてもだ。
 国税庁には確定申告時期に。 「これは“医療費控除”に該当しない」品目の例を挙げてもらえないだろうか。
 とにかく、一般市民の税務申告に於いて一番作業を要するのが“医療費控除”に他ならないのではなかろうか?!? 
 とことん計算しその申告書を持参した挙句、「補聴器は対象外です!」と簡単に告げられてしまう庶民の身にもなって欲しいものだ。

大変遅ればせながら原左都子も「スマホ」生活に入りました!

2019年02月05日 | 人間関係
 (写真は、昨日auショップで買い求めた我が「スマホ」。 早速、そのスマホで「原左都子エッセイ集」を検索した画面を撮影した。)


 私はそもそも携帯電話が流行り始めた頃(2000年頃)から、それが「特段不要」と考えていた人間である。

 我が娘が小学校低学年の頃にその時期が訪れたのだが。

 娘の友達が下校後自宅まで遊びに来る。 その時既に「携帯電話」を持参して来る子がいた。 遊びの途中で何度も親と連絡を取りつつ、帰宅の時間を相談したりしている。
 その風景を見た私は何とも言えない違和感を抱いた。 これじゃあ、せっかくの友達との遊びに集中できないだろうなあ。 と同時に、友達との交友中に親がしゃしゃり出て帰宅時間等々あれこれ指導するのもどうなのか、との印象を抱かされた。(他人の家で何度も携帯通話せずとも、あらかじめ帰宅時間を約束しておけば済むだろうに。)

 あるいはその後、娘の習い事の迎え時に母親たちが携帯電話を持参し待ち時間中にそれぞれの会話に夢中だ。 携帯電話をしながら、子どもを引き連れて帰宅する風景も何度も見た。

 更にその後の我が国の世はまさに携帯社会へと移行し、電車に乗れば子連れの母親が子供を無視して携帯(今やスマホ)に夢中の風景は、今や当たり前で見飽きた時代と成り果てている。

 そんな私が携帯電話を初めて持った(持たされた)のは、娘が私立中学に合格した後に次なる職種として挑んだフランチャイズ学習教室の経営者兼指導者に採用された時の事だった。
 フランチャイズ元の企業担当者から「この仕事は本部と教室との密なる連絡のため、どうしても携帯電話が必要だ!」と強制され、私としては不本意にも初めての携帯電話を契約・購入する事態と相成った。
 そうしたところ、我が教室の若き男性担当者から呆れるほどに日夜頻繁に携帯電話が掛かって来るではないか! (この実態こそが鬱陶しかったのも、結果として私がその事業を早期撤退した理由の一つと捉えているが…) 
 いや実際、フランチャイズ業務に従事するのは私としては初めての経験だった。 正直な私は「携帯電話は控えてくれないか!??」」の旨を担当者に訴えたりもした。 あるいは、“居留守”を使う常習犯でもあった。
 とにかく、携帯電話とは自身の信条や個人生活を乱される“とてつもなく迷惑な代物”であることには間違いないだろう。(固定電話も同様だが。)

 そんな私故、「スマホ」購入をずっと後回しにする事には必然性があったとも言えるだろう。


 ではどうして私は、昨日「スマホ」を契約・購入したのか。

 その一番のきっかけは、娘と二人で旅をした2018昨夏の「米国個人旅行」であったかもしれない。
 とにかくあの旅行中には、娘のスマホに大いにお世話になったのだ。 個人旅行とは道中道に迷ったり予定通りにいかないトラブルの連続だ。
 そんな中、娘がスマホでせっせと検索してくれる姿に、母の私が感動しない訳が無いではないか!  娘のお陰で、スマホの果たす役割とはここにあり! を実体験させてもらえた米国旅行だったと言えよう。 (例えば、地下鉄シビックセンター駅構内の券売機の使い方が分からなかった時にも、娘がスマホで検索してくれた。 あれには、そんな事も検索できるのかと脱帽させられたものだ。)

 その後、月日が過ぎ去り我が脳裏に「スマホ」が過る事も少なくなりかけたのだが。

 そんな私がずっと以前より時折感じる、もう一つの課題がある。
 例えば当「原左都子エッセイ集」執筆中にもう一台パソコンがあれば助かるかなあ、なる感覚だ。
 それを代替するのが「スマホ」では無かろうか?、なる発想もずっと以前からあったのが事実だが。
 何分我がエッセイ集の場合「時事論評」「学問・研究」等々を主柱テーマとしている関係で、執筆途中に検証・監修作業を実施したい場面が多発する。 その際に今までは一旦執筆を中断して、同一パソコン内でそれを実行してきている。 もしもスマホが手元にあれば、その作業役割を果たしてくれるのではなかろうか、なる期待感があった。


 そして昨日、いよいよ私はその「スマホ」をゲットするべくauショップへと向かった。
  
 まあ、何とも可愛らしくかつ専門力のある若きau女性担当者氏のお陰で、私はある程度我が好みの「スマホ」のゲットが叶った!
 ところがどっこい。 「スマホ」って、初心者にはその扱い方が高度な代物だね!
 可愛い女性担当者氏にその扱い方のノウハウをいろいろと訪ねるのだが、店を出る時には「これ、私には無理か!????」との感想が精一杯の現実だった… 

 いえいえ、それから丸一日たった今現在に至っては、「スマホ」の特徴がこの私にも少し読めて来ている。
 まあ、要するにパソコンを小型化したような代物なのだろう。 

 確かに上に記した我が「スマホ」購入必要条件が満たされそうで、昨日思い切って買い替えて正解だったものと今は安堵している次第だ。