原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

正しい“コロナ自粛”の意味合いとは?

2020年05月17日 | 時事論評
 昨日2020.05.16付朝日新聞別刷「be」 Reライフ の記事内容は、作家・保坂和志氏による「夏の手前で 腹立たしさの理由は」 と題する記事だった。


 この保坂氏の記載内容が、原左都子の基本的考え方や生き様とピッタリ一致するため、それを以下に要約引用させていただこう。

 私は人から言われて何かをやらされたり禁止されたりするのが嫌いだ。 「みんながやっているから」という右へ倣えも嫌いだ。 自分の中で理由付けができていないと気がすまない。 そもそも会社員時代に受けた適性検査で、帰属意識の項目が百点満点の0点だったくらいで、子どもの頃から集団行動が出来ない。
 しかし友達は大事にする。 友達との約束は守る。 集団の約束事は守らなくてもいいが、個人的な「約束」は守る、ということだ。
 「自分は今、外に出ないようにしているが、それは本当に自発的な判断なのか? 強制された結果の行為で無いと言えるのか?」
 ここ何週間も、そこのところにずっと引っかかっているわけだ。 この「自粛」の実態は強制なのだから、私はそれを自分に納得させるために自発的な判断だと自分に言い聞かせているだけなんじゃないか?と。
 外出制限は感染防止が目的だ。 感染するしないは、政治や経済の問題ではなく科学の問題だ。 「ステイホーム」の呼びかけは、校則みたいな、どっちでもいいことを片方に制限するような恣意的な指示ではない。
 横断歩道を老人が渡っている最中に信号が変わっても車が発車しないのは、そこには人間としての生存のルールがある。 それと同じことだと。
 個人としてはそこで一応ケリがついている。 それにだいたい、そんな難しいことを言わなくとも「自分がうつされたくない」のひと言の方が今の気持ちはすっきりする。  そうなると今度は、今この時期に沖縄などの観光地に行く人達に対して感じる腹立たしさだ。 それはどこからくるのか?
 私は人に強制されたくないから人にも強制しない。 だから「今は皆が守っているんだ」という、生徒指導的な理由で腹が立つのではない。
 そこで改めて、「自由とは何か」という問題になる。 「何をしようが自由だ」というのは、本当に自由と言えるのか?
 「自由であることは、おのれの欲望の奴隷でないことだ」という、ある哲学者の言葉を思い出した。 
 「何をしようが、私の自由だ」と言って沖縄に行く人には腹が立つ。
 「馬鹿には腹が立つものだ」というのは、一つの有力な回答かもしれない。 そうは言っても、それが集団になると「馬鹿」では済まされない。 トランプ支持層のような「病気じゃ無い私たちにまで外出制限をするな! 仕事をさせろ!」との抗議デモのような脅威になる。
 
 (以上、作家・保坂和志氏による記載を一部を省略して引用させて頂いた、。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 いやはや上記保坂氏の記事内容とは、幼少の頃より集団嫌いだった我が思考・行動パターンと瓜二つだ!

 小学生時代の通知表に「生活面」での態度に関する評価欄があったが、その中に「協調性」の項目が存在した。 他の項目はすべて「優」評価だった記憶があるが、この「協調性」のみは担任が変わっても「優」を貰えることは一度足りとて無かった。😰 

 「何事にも自分なりの理由付けができていないと気が済まない」との記述など、まさに一生に渡る我が人生の揺るぎない鉄則である。 😈 

 「集団嫌い」ではあるけれど「友達」は大事にするなる保坂氏のポリシーも、まさに私にとっても一生涯の掟である。 それ故、我が友達関係(1対1が原則)は今尚続行中の大事な生き様となっている。 
 若き時代には、複数の仲間と酒宴等の場で大騒ぎして楽しむ場面もあった。 ただ必ずや、私にとって要の人物が存在してこそ成り立つ宴会であったものだ。

 「私は人に強制されたくないから人に強制しない」とのご記述も、我が日頃のモットーでもある。 
 我が高校教員時代に何故生徒間で人気があったのかを分析するならば、まさに教員の立場としても、これを貫いていた故であろうと振り返る。
 
 保坂氏の記述内で秀逸な部分は、「外出制限は感染防止が目的、政治や経済の問題ではなく科学の問題だ」の箇所だ。
 まさにおっしゃる通り!  元医学関係者でもある私の場合、これぞ一番に訴えたい論点だ。
 これがおざなりになっているのが我が国の政府や自治体による国民に対する“コロナ指導”ではなかろうか?
 連休に沖縄はじめ特に過疎地域へ旅に出た国民達とは、要するにご自身が「馬鹿だから」のみではなく、政府や自治体長の指導が中途半端な事実にこそ根源があったのかもしれない、とも考察可能だ。 (もちろん、ご本人達の思考も多少浅はかだったのかもしれないが… )



 最後に表題の「正しい“コロナ自粛”の意味合い」に話題を戻すならば。

 国民各々の行動パターンの是非を国民間で非難し合わないような体制作りを、国家や自治体が率先して慎重に成すべきではあるまいか?
 国家や自治体のその指導力が欠落し中途半端な情報を発信してばかりいるからこそ、国民底辺で歪みが生じてしまっていると私は分析する。

 例えば、「学校9月始業制」議論にしてもそうだ。
 当初文科省大臣の萩生田氏とて、それに同調していると国民から誤解されそうな回答をしていたことを私は記憶している。
 少なくとも本年度中のその実施可能性がゼロならば、それを明確に国民に伝えるべきだ!

 これなどほんの一例に過ぎず、国家や自治体のすべての“コロナ対策”が中途半端なお粗末さであること自体が、国民の混乱を煽っていると結論付けられよう。

新しい写真アルバムを作成しました! vol. 2

2020年05月16日 | 人間関係
 (冒頭写真は、先だって作成した写真アルバムより我が写真の一ページ。 これらは、音楽スタジオにてフルート自主練習を行っていた作夏頃我が63歳時の写真。 「原左都子エッセイ集」のプロフィール欄にて公開済みのため、ご記憶の方々もいらっしゃることだろう。 写真がかなり傾いていることをお詫びします。)



 実はこの“新型コロナウィルス禍”勃発が、私と郷里の実母との関係を改善するきっかけともなっている。

 3週間程前のことだっただろうか?
 郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母より電話が入った。
 母曰く、「現在施設では“外出禁止措置”がとられていて、一歩たりとも外へ行けない。 生活必需品を買うことも叶わず必要なものが無くて困っている。」とのことだ。
 いくら実母の人格を疑っている私とは言えども、困った人を放置しておく程の悪人ではない!
 「何で早く言わないのよ! 直ぐに送るから必要な物品を言って!」
 少し遠慮し始める実母に繰り返して、「東京の義母も同じ状況下にあって、既に沢山の必需品を送っている。 今は遠慮している場合じゃ無いよ! それは娘の私の任務だから、遠慮の必要なし!!」

 そうこうしてそれらを直ぐに送ったところ、実母がどんなに喜んだことか…😪 

 「他に要る物は無い?」 と尋ねると、「貴方と〇ちゃん(娘のこと)の写真をしばらく送ってもらっていないから、暇な時に送って欲しい。」


 実は実母とトラブルがあった後、実に腹立たしくて、それまでは定期的に送付していたそれら写真類を“送ってやるもんか!”との報復手段に出ていた私だ。😖  
 ただ、この世の誰が自分の娘とは言えども、年老いた私の写真など見たいと言ってくれる?? 実母だからこそだろう。

 それに再び気づいた私は、今回我が写真集を作ることをきっかけに、冒頭写真も含め、少し古い写真も含めて実母宛に(楽天写真館経由で)郵送した。


 それらの写真の一部を、以下に掲載させていただこう。


     
      高齢出産で娘を産んだ直後の産院退院時に看護師氏が撮影してくれた写真。  救急車で運ばれ緊急帝王切開出産の産後微熱が続き、しばらく心身共々極限疲労状態だったが、この写真では笑顔を作れていることに自分を褒めたい。  この写真を実母が見ていないことに気づき、今回初めて送付した。


     
      東京サンシャインシティの娯楽施設「ナンジャタウン」にて。 娘が10歳、私は50歳頃。 二人で何をやっているかと言えば、蚊を打つ遊びコーナーでの自動撮影。😁 


     
      昨年冬頃、行きつけの寿司屋で娘に撮影してもらったもの。


     
      自宅リビングの一角にある我が書斎近くにて。 左は昨年夏頃、右は今年の冬頃の撮影。 年齢毎の自分のアップ映像を保存しておきたいため、スマホにて定期的にアップ写真を自撮りしている。


 これらを見た郷里の実母から、実に嬉しいお礼の電話が届いた。

 既に60台半ばに達している娘の写真を見て心から喜んでくれるのは、世の中で実母だけであろう。
 そんなに喜んでくれるならば、今後も我が老体写真を撮り続けて、実母に定期的に送ろうではないか!

絵むすび 朝日新聞2020.05.16 編

2020年05月16日 | 自己実現
 (冒頭写真は、朝日新聞2020.05.16付 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。



 朝日新聞「絵むすび」ファンの皆さん、本日の課題は簡単でしたね。


 皆さん、既にご解答が叶っていることでしょう。


 今回は解説を省略させていただきます。






左都子の「法学概論」 小講座 Ⅳ

2020年05月15日 | 左都子の市民講座
 (冒頭写真は、我が2度目の大学にて受講した「法学概論」の1ページ。)



      


      



      


 今回紹介したのは、「裁判と法源」がテーマのようだ。

 これで思い出したのだが、何故私が大学4年次にもなって「法学概論」を受講したのかと言うと、大学院受験を目指していたことも大きな理由だった事を思い出した。
 出身大学と一橋大学法学研究科、そして東大法学研究科の大学院受験を目指していた。
 そのうち、東大大学院は「民事訴訟法」も受験科目だった。 残念ながら、我が大学ではこの年には「民事訴訟法」が開講されなかったため、その代替として「法学概論」を受講した記憶がある。
 結局はやはり「民事訴訟法」の学習が不十分だったため、東大には願書を提出したものの受験は断念した。  後で聞いた情報だが、東大大学院は定員が多いため、定員が少ない一橋大学よりも合格可能性が高く“受け得”だったかもしれない、との巷の噂だった。
 結果として我が大学の大学院へ進学の形となったが、むしろ既に大学でお世話になっている教授氏(後に“文化勲章秋の叙勲”をご受賞されたが)に引き続き教授いただいたことが、大正解だったと言えるだろう。 何分大学院とは教授との関係が濃厚だ。 これまでの師弟関係の積み重ねが多いに活きて、充実した学問生活を送れたものだ。


 さて、話題をS先生の「法学概論」に戻そう。

 それにしても、S先生の講義は実に面白い! 今読み直してみても、話題が豊富で引き込まれるものがある。
 
 「法を知らないからその法の適用を受ける事はない、ということはない。」 
 おっしゃる通りだが、これを授業中に述べる先生も珍しいだろう。

 「民法239条 無主物先占  所有権放棄したものを拾ったような場合 “三方一両損”」 
 この“三方一両損”に関して説明すると、落語や講談の用語のようだが。
 左官金太郎が3両拾い、落とし主の大工吉五郎に届けるが、吉五郎はいったん落とした以上、自分のものではないと受け取らない。 大岡越前守は1両足して、2両ずつ両人に渡し、三方一両損二して解決する、との話らしい。
 S先生、落語や講談にもご趣味があられたのだなあ。

 「くがたち」って、何だ?
 “盟神探湯”と書くようだが。
 古代日本で行われていた神明裁判のこと、らしい。 
 まったくもって、S先生は博学であられるなあ。 授業が面白い訳だ。

 別ページに移ると。
 
 裁判官は判決書を書くのを嫌がるらしい。 何故ならば、下手な判決書を書くと学者等から批判されるから、とのことだ。
 そうおっしゃるS先生も、裁判官ご批判経験がおありでは??? 😳 

 更にS先生は授業中に「映画 アンタッチャブル」の紹介をして下さっているのだけど、それがどうしたって??
 
 と言うわけで、ウィキペディアより一部を以下に引用しよう。

 『アンタッチャブル』(The Untouchables)は、1987年のアメリカ映画。 禁酒法時代のアメリカ・シカゴを舞台に、正義のためにギャングのボスであるアル・カポネを逮捕しようとするアメリカ合衆国財務省捜査官たちのチーム「アンタッチャブル」の戦いの日々を描いた実録映画。 捜査チームの主任捜査官だったエリオット・ネス の自伝を基にしている。

 なるほど。 実録による“裁判映画”って訳ね。
 未だ見ていないが、今度機会があれば見ますね。

新しい写真アルバムを作成しました! vol.1

2020年05月14日 | 雑記
 (冒頭写真は、本日午前中に作成した我が写真アルバムより一ページを撮影したもの。 昨年12月に娘と横浜へ小旅に出かけた時に撮影した写真。 ダイヤモンドプリンセス号の前にて。  まさかこの2ヶ月後にダイヤモンドプリンセス号が“新型コロナ大汚染”被害に遭い、多数の犠牲者を出すとは予想だにしていなかった…。😨



 本日は「左都子の社会科学分野小講座」はお休みにして、息抜きに新しく作成中の写真アルバムの披露をさせていただこう。



 昨年11月に新しいパソコンに買い換えた際の初期設定に於いて、「ONEDRIVE」へのデータ保存のキャンセル措置をし忘れたがばかりに…。
 「ONEDRIVE5ギガ地獄」に陥るとは夢にも思っていなかった。
 その後あれこれと私なりに救済措置をとろうとしたものの、やればやる程地獄のどん底に落とされてしまう始末。😭 
 もう、諦めた!  「5ギガ地獄」に慣れることにきっぱりと方向転換した。


 そんなこんなで、その後特に記憶量の多い動画と写真の削除に尽力中である。

 動画のほとんどを削除して、写真に関してはプリントアウトし写真アルバムを作成する方針とした。
 
 その第2作目(参考だが第1作は“ウィーン旅行写真集”だが、これは旧パソコン時代に既に「写真アルバム」を作成していた。)の作成に少し前から取りかかっていた。
 楽天写真館にて安価でプリントした後、本日午前中にアルバムに収める作業をしたという訳だ。


     
      新しい写真アルバムの外観。 未だアルバムのテーマは未定。


     
      昨年2月に訪れた“講談社野間記念館”にて。 都心部の美術館にして何とも閑静な環境下にあり、落ち着ける場所だ。 自宅から比較的近い事もあり“コロナ自粛”が解除されたならば、直ぐにでも行きたいものだ。


     
      昨年11月に訪れた“旧古河庭園”にて。 我が義母所有“メゾン原”に程近い場所にある。 ここへも自粛解除後は是非行くぞ!


     
      昨年12月末に訪れた“JAXAつくば宇宙センター”にて。


     
      本年1月末に訪れた我が郷里医学部故恩師のご実家である郷里の「観音寺」にて。 故恩師の奥様にご歓待いただき、感激した。 写真は有名な“天井画”と“本堂の内部。


     
      阿波名物「阿波懐石」。 徳島産の作物がふんだんに使用されていて実にヘルシーな懐石だ。 冷酒も堪能した。(徳島駅前の阿波観光ホテル上階「やまもも」にて。)


     
      我が郷里の要駅と、我が高校時代に利用していた“鳴門線”のディーゼルカー。 参考だが、両者とも私が利用していた4,50年前の高校・大学時代とほとんど変化がない…


     
      四国八十八カ所 一番札所“霊山寺(りょうぜんじ)にて。 ここへタクシーで訪れる際に「“れいざんじ”までお願いします」と運転手氏に申し出たところ、正解を伝えて下さった。 「あの… 実は私郷里出身ですが、今の今まで“れいざんじ”だと信じ疑っていませんでした…」との恥を晒した……


     
      これは記憶に新しいが、長はるこ先生主催の「Bーギャラリー」での「モニカ展」にて。 これに関しては我がエッセイ集バックナンバーにても公開しているため、ご覧になった方も多い事であろう。


 いや、まさにこの写真アルバムを振り返る事とは、要するに“新型コロナウィルス禍”に於いて何処へも行けない事実を再び実感することに等しいことに気づかされる。
 特に私が住む東京都では、一体いつ“新型コロナウィルス自粛”が解除されるのやら見通しが立たない事態であろう。
 かと言って(安倍政権お得意の)何らの科学的データにも基づかない「自粛解除」が成されるのも到底受け入れ難い。
 ここしばらくは、自力で情報収拾しつつの“自粛モード”で我が身を守るのがベストかとも結論付ける。