原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

上野動物園散策

2020年09月24日 | 雑記
 (冒頭写真は、一昨日訪れた上野動物園の象。)



 何でまあ、私と娘の“大の大人”2人で動物園へなど行こうと志したのかと言えば。

 純粋に動物を見たかったのと、室内施設のように“コロナ・クラスター”を作る心配が無いだろうと安易に考えた故だ。


 この“コロナ禍”下に於いて、何処の行楽施設も必ずや“予約入場制”を採用している。

         

 あらかじめ、この予約入場券を確保しておかねば入場不能だ。
 入場時間が15:15と遅いのは、この時間帯しか予約が出来たかったが故である。
 この予約入場制にもかかわらず、やはり大人気の上野動物園は入場まで長蛇の列を作らされ、かなり待たされた。 
 我々の前に並んでいた2人の幼児を伴った親子連れは、“予約入場制”を心得ていなかったようだ。  ぐずる子ども達をあやしつつ長時間並んだにもかかわらず、動物園入口で入場拒否される始末…  何だか後ろで見ていて気の毒で我々の予約券を譲ろうかと考えたりもしたが、枚数が合わないしそのまま入場した。

 入場すると園内はさすがに人数制限をしているお陰で、観客の混雑はない。

 ゆったりと見学出来るのだが、既に閉館時間が近づいている。 16時を過ぎると閉館時間のアナウンスが流れ始める。


        
 この絵図は上野動物園内の見取り図だが。
 「今日は時間が無くて“西園”には行けないね。」と娘に話しかけつつ、“東園”のみに的を絞る。


 最初に見るのは、いつも入り口に一番近い“ジャイアント・パンダ”。
 ここには、子パンダの香香(シャンシャン)しかいない。 親パンダは西園に新設された“パンダの森”に移されているようだ。
 シャンシャンは小さい頃に見た時よりずっと大きくなっていて、もはや大人と同じ大きさのようだ。 台の上に寝たきり状態で、ピクリとも動かなかった。 (パンダ舎に限り、写真撮影は禁止です。)



        
 動物園の定番と言えば、やはり“象さん”。
 我々が近づくと、象も近づいて来てくれた。(冒頭写真参照。)


 次に“猿山”を見る。
        

        


 次は、“シロクマ” そして、“バク” と続き …

        


        




        
 トラは、ガラスが濁っていてよく見えない。

     
        
 おっとっと、人間も飼われているぞ!
 そうじゃなくて、これは我々母娘。😓 
 この部屋は“ゴリラの住む森”なのだが、残念ながら閉館より前に既に自室へ退散していたようだ。


 今回の動物園訪問の一番の収穫は、コンドルが羽ばたいてくれたことかな。
        
 この後、狭い室内を飛んでみせてくれたのだが、羽を広げると2,3メートルになるコンドルの飛ぶ姿がド迫力だった!
 (そういう私も腕から指先までが異様に長く、両手を広げると175㎝程になるのだが、未だ飛べないねえ…… 。 足長の自慢はしにくいが、手長の自慢は敵を作らないと言えそうだ!?)😵 


 後は鳥類が続き… 
        

        


 その後は、プレーリードッグ
        

        


 最後にアメリカンバイソンを見て。
        
 アメリカンバイソンに関しては、我が19歳時にUCバークレー留学した際の休暇中に。 米国ヨセミテ国立公園にて、野生のバイソン大集団がドドーーーーーー!! と谷間を走る超ド迫力版をナマで見たのが、未だに忘れられない光景だ。

 上野動物園の狭い部屋内で飼われているバイソンの、何ともおとなしいこと。
 何だか可愛そうになりつつも、既に閉園時間となり。



         

 園内の売店にて、本日は(と言うよりもいつものことだが😜 )留守番の亭主へありきたりの土産品を買って、電車にて帰路についた。     

4連休最終日、久々に娘と上野へ行って来ました!

2020年09月23日 | 雑記
 (冒頭写真は、東京上野 国立博物館前にて撮影したもの。)


 上野を訪れるのは何年ぶりだろう。
 上野駅駅舎が新しくなり、以前は駅前の横断歩道を渡って公園へ入ったのだが、現在は駅から直通で公園へ入れるようになっていた。

         

         


 ところで、この夏の猛暑で40日間程ランニング練習が出来ず、かなり我が身体の筋肉が落ちたようだ。 
 久々に娘に全身写真(冒頭写真参照)を写してもらったのだが、何だか以前よりもギスギス体型になったことを実感させられる。

        
 元々大きな目ではない私なのだが、連日猛暑のせいで(身長165㎝だが)体重が45㎏まで減少した現在、ご覧のごとく目元がパッチリしている。
 (参考までに、このマスクはgooの販売サイト・マルシェル、裕羽さん制作品です。 お洒落でしょ!)😊 



 この上野公園内にある美術館・博物館のすべてを過去に何度も訪れている。
 娘とその頃のことを回顧しつつ、「また行きたいね!」と合意。


        
 こちらは、国立西洋美術館。

        
 現在、「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」開催中のようだ。
 会期中に是非訪れたいものだ。


 と思いつつ、上野動物園へと脚を進める。
        
      
 

運転免許証、書換えるか返納するか迷う私

2020年09月21日 | 自己実現
 (冒頭写真は、現在未だ有効な免許証ではなく敢えて10年前に更新した無効版を撮影したもの。)


 この秋、私は5年に一度の運転免許証の書換え時期を迎えている。


 思い起こせば19歳の学生時代に、郷里にて初めて運転免許を取得した。

 自動車学校へ通ったのだが、周囲の誰よりも運転が下手で、第一段階、第二段階と人の何倍もの時間とお金がかかった…
 もの凄い劣等感の中、途中でもう辞めようかとも思いつつ…
 自動車学校内での“仮免許”試験時に、7名の仲間と当時試験と相成ったのだが。 女子は私一人、後は運転が上手い男子の中、何故だか私一人が仮免許を70点ギリギリで通過した。 試験委員の先生曰く、「アンタがダントツで一番運転下手なんだが、点数取れているから仕方が無い…」 との総評だった。 おっしゃるとおりだ…😭 

 その後第三段階を経て、最終段階で実際の道路を運転するのは死ぬほど恐怖だったものだ。 付添いの先生の指導で、やっとこさ自動車学校卒業だ。

 そして迎えた、運転免許試験場での免許取得試験。
 学科は得意な私は難なく合格して、運転免許取得に至った。


 さて免許取ったはいいものの、どうしても実際の運転が怖い…😖 
 これに関しては、父親の後押しが功を奏した。 「そんなことを言っていては、せっかく取得した免許が無駄になる。勇気を出して車に乗ろう! 自分の乗用車をあげるから、これで通学せよ!」

 そうこうして、ついに車での通学初日がやってきた。
 こんな日に限って大雨だ。 母がとことん心配な様子で、(今日はやめとこうか…)と言いたげだが、父との約束通り車での通学を決行した!
 とにかく安全第一と心がけつつ、大学へ生きて到着出来たことに胸をなで下ろしたものだ。 ところが帰りの時間が近づくにつれ、またもや恐怖心に煽られる。
 そんな恐怖の日々がしばらく続き…
 やはり何事も“慣れ”が訪れるものだ。 その後、私は自家用車通学にて大学を卒業した。

 上京後、独身時代に車を買うことは無かったが、すっかり運転に慣れていた私は職場の合コン等の時に自分から運転を申し出たりもした。 若気の至り故に結構車の運転を楽しめた時期だったと振り返る。


 その後車の運転を再開したのは、娘を産んだ後だ。
 どうしても幼少の娘の習い事の送り迎え等の業があり、下手な運転で都市部主要道路を運転せざるを得なかった。
 この頃の我が運転感覚とは、既に“義務”に移ろいでいた。 運転とは私にとっては恐怖感を抱かされる対象に今一度成り下がっていた。

 ある時、片道一車線道路でバスを追越さねばならない場面にはまった。 こんな恐怖は無い程に怯えたが、勇気を決して追い越しを実行した! そうしたところ、な、な、なんと!! その前にもう1台のバスが運行していたのだ!
 これ、下手をすれば対向車線の車と正面衝突だ。 幸運にも対向車がいなかった事実に命拾いだったものだ…


 とにもかくにも運転嫌いの私は、娘が成長した暁に自家用車の廃車を申し出た。
 それに同意してくれた同じく運転嫌い(と言うよりも我が亭主に長時間運転させると、次の日には必ずや寝込む習性があった。 どうやら目が極度に悪い亭主にとっても、車の運転とは苦痛以外の何ものでもなかった様子だ。)


 そうこうして、現在我が家は“車の無い生活”を実践している。
 これに慣れたら、何てことは無い。
 むしろ、車に翻弄された時期よりもずっと快適な生活を送れていると言えよう。
 自分の脚で歩いたり走ったりする機会が格段に増え、家族皆が健康になったとも言える。
 この私とて、ランニング趣味に芽生えその後脚力が増強している感もある。
 徒歩も若き頃よりも得意になってきた!
 車で見る風景では得られない楽しみが徒歩生活にはあるのが歴然だ。


 さて、それはプラスの効果だったとして。

 私は今秋運転免許証の更新をするべきか、あるいは返納するべきか??
 今だ迷うのは、車の運転に対する未練では一切無い事は歴然だ!

 この「運転免許証」とは身分証明書代わりに利用できるとの大きなメリットがある故だ。
 マイナンバーカードとの手法もあることは周知だが、マイナンバー制度自体を拒否したい立場の私でもある。 そんな身で、これを敢えて役所に作りに出向く気がさらさら無い!


 そうだとしたら、やはり運転免許証を更新しておくとの結論に至るのだろうか……😞  

週刊誌って、何でこんなに他人の老後に“お節介”なの!??

2020年09月20日 | 自己実現
 (冒頭写真は、本日の朝日新聞広告欄より一部を撮影したもの。)


 週刊誌としては明日が「敬老の日」のため、高齢者向けにこの種の広告を掲載したのであろうか?
 それにしても、私に言わせて貰うに“お節介にも程がある!!!”

 一体何歳位の高齢者相手の広告か不明だが、我が家などとうの昔にこれらの話し合いを成し、既にすべての方向性が固まっている。


 
 項目毎に取り上げてみよう。

 ◎ 残された妻(夫)を幸せにするために夫婦で共有しておくこと、今夫婦でやっておくべき手続き

 あのさ~~~。
 私の場合、おそらく先に死ぬであろう亭主に“幸せにして欲しい”なる希望が一切無いんだけど~~
 ただそう言われてみると、我が家の場合は亭主が後に残された場合の課題は確かに大きいかもしれない。  その辺は、今後の重点課題かもね。


 その小項目として挙げられているのは。

 〇 夫婦でやれば出来る銀行・不動産の手続き

 我が家の場合夫婦間“年金独立採算制”を採用している関係で、各々の通帳がすべて個人管理だ。 ただ最近、亭主の配慮で我がパソコンからも亭主名義の通帳が閲覧可能の設定をしてくれた。 このお陰で、いつでも亭主通帳の残高確認が可能になったのは今後に向けて有意義だ。 
 そう言われてみれば、亭主通帳(2冊)の印鑑の場所は知っているが、“暗証番号”を心得ていなかった。 近いうちに確認しておこう。
 我が通帳(3冊)残高に関してはそのすべてを娘に相続(亭主も同意済)する予定であり、娘にはその件を既に伝えてある。 ただ、あの子が忘却している恐れもあるため今後に渡り確認を繰り返すべきだろう。

 〇 なんとなくではなく、はっきりと葬儀と墓を確認しておく

 これに関しては、既に亭主が定年退職した頃に決定した。 葬儀は自宅近くの葬儀場の“年会員”になり、半年に一度冊子が送付されてきている。 当然ながら“家族葬”を希望しているため、おそらく出席するのは私(あるいは亭主)と娘のみだろう。 とにもかくにも、娘に迷惑を掛けない事が第一義だ。
 墓に関しても、その葬儀場が経営する「永代供養」に既に登録している。 10年間程、自宅近くの葬儀場併設の「永代供養場」に入れて貰った後は、(放っておいても)多摩かいずれかの場にある大規模永代供養場へ移される事となるようだ。

 〇 自分の気持ちを伝えていますか。最後の最後に感謝される人になるために

 よー分からん文言だなあ。 私は、最後の最後に誰かに感謝されねば命を閉じられないようなせせこましい人間ではないぞ!
 そもそも人に感謝されたいがために生きてもいない。 自己実現意欲に駆られ日々それを実行しつつ、自己満足でよいから達成感を得つつ今後も命がある限り生き続けたいものだ。


 ◎ 人生の最後に間違える人たち

 〇 やってみたら後悔だらけ、家族葬の罪と罰

 いや、我が家の場合はおそらく家族葬で何らの問題も無い。 既に亭主の姉は死去しているし、我が米国の実姉とは縁を切っている状態だ。 誰も後悔するべく人物が見当たらない。

 〇 一度はじめたらもう戻れない。 田舎暮らしは頭で楽しむもの、現実にしてはいけない。

 これには100%同感だ! そんなことをとうの昔から百も承知で、私は40数年前に単身で上京している。 都会暮らしを十二分に楽しんで来ている身にして郷里の過疎地には何らの未練も無い。

 〇 家のこと、相続のこと、事前に準備をしていないならすぐに決めない

 “釈迦に説法”だねえ。 だから万全な準備をしていると何度も言っている!

 〇 子どもは子ども、あてにしない、あてにされない生き方をする。

 何だか我が家にとっては“嫌がらせ発言”っぽいのだけど…
 あてにする訳もない代わりに、私の死後の娘対策が今後一番の課題だ。
 我が娘の場合、27年間近くに及び我が“サリバン教育”の賜で、他者から騙されるとの被害はないものと信じたい。


 ただやはり、娘が一番懇親に係わって来たこのサリバン母が死に至ったら、娘がさぞや寂しいことだろう。 


 そんな娘のためにも、私自身が必ずや長生きしてやりたいものだ! 

 そのためには絶対的にコロナごときで我が命を失うわけには行かない。  

“好きな人”の作り方

2020年09月19日 | 人間関係
 私って本来“お目出たい”人間なのではないか?? と時々思うことがある。
 
 今朝も“恋愛もの”の夢を見た。
 その夢の中に登場した男性が「君が好きだ」と言う。 この男性が誰なのかに関しては個人情報保護に基づきここでは公表を控えるが、とにかく良き夢だった事には間違いない。😍 

 
 私は基本的に男女にかかわらず“人を愛せる”人種なのではないか??
 と、特に30代後半期に高校教諭を経験した時以降から自己分析している。


 2本前の「教師の妊娠」がテーマのエッセイ内にもその記述をしているため、以下に振り返ってみよう。

 この妊婦教員時代に一番嬉しかったのは、多くの生徒から妊娠全期間を通して祝福し労って貰えた事だ。  特に女子生徒達の何とも優しかったこと!
 底辺高校(失礼な表現をお詫びしますが)だった故だろうが、上記ネット情報のように受験に差し障るだの、こんな時に妊娠退職とはとんでもない!! などとの非難を受ける事は一切なかった。 生徒の心に余裕があったのだろう。 本当に優しい子達ばかりで、「先生、無理しちゃだめよ。」「またお腹が大きくなったね。触っていい??」などと言いながらいつもよりも近づいて来て今までよりも仲良くなっての退職と相成ったものだ。
 
 生徒下校後校内で“喫煙”等の悪戯を働く生徒が出没するのを防止するため、当番制でその見回り業務があった。 時には暴力で訴えてくる生徒がいたりして危険性もある。 その業務から“妊婦の私”を外してくれようとした教員もいた。 ただ私から申し出て、その業務も退職直前まで続行した。 (と言うのも、私はこれらの“ワル”達にも人気教員だったのだ。 今思うに、当時のワル達とは“世間ずれ”していた記憶がある。 今現在の“ワル”連中とはまったく違った世界観があったのではなかろか、と振り返る。)
 この“ワル”達が私のお腹を見ては、「センセー、いい子産めよ~~」と声を掛けてくれたものだ。 (今思い返しても嬉しくて泣ける話だが…)
 (以上、バックナンバーより一部を引用したもの。)


 これ、基本は簡単だ。
 特に教育現場等の職場で人の上に立つ立場の人間が下の人間に対して「貴方たちが好きだよ!」との意思表示を常に心がければ、必ずやプラスの反応が返ってくるものだ。 その双方向のプラスの堂々巡りで人間関係が潤滑に回る図式となる。
 いや、その循環図式に決してはまらない子も組織内には必ずや存在するのも承知している。 その子達に対する対応策とは、1対1対応で時間を掛ける事となるが。



 話題を大きく変えよう。

 本日2020.09.19付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、40代女性による「身内にそっけなくしてしまう」だった。
 以下に、私なりの解釈で要約するならば。
 家族の誰に対しても、挨拶以上の話が出来ない。 夫や義母を目の前にすると、反射的にそっけない態度を取るか、別の部屋へ行くかしている。
 近くに自分の両親が住んでいるがそこでも素直になれず、だんだんイライラして直ぐに退散してしまう。
 結婚5年目くらいには今のような状態になってしまった。 この事に子ども達も気づいているようだ。
 私はビールが好きで酔っていれば素直に楽しく話が出来るが、しらふでは無理だ。
 正直言って夫に対する気持ちは冷め切っている。 だからと言って、離婚は考えられない。 どうすれば少しでも身内に素直になれるか、アドバイスをお願いしたい。
 (以上、“悩みのるつぼ”相談内容を要約したもの。)



 私見に入るが。

 この相談内容が私には何とも分かりにくい。
 家族が“嫌いだ!”と言っているわけでは無いし、相談内に家族に感謝しているような記述もある。
 要するに、元々“人付き合いが下手”な女性なのだろう。 アルコールが入れば素直に話が出来るとの記述がある当たりが、それを証明しているのではなかろうか。
 かと言って、いつもアルコールに依存するわけにもいかないだろうし…


 今回の回答者は社会学者の上野千鶴子氏だが。
 上野氏によれば、「シェアハウスの下宿人同士と考えては」との記述だが。
 上野氏は最後に、子どもさんのことこそ気がかりだと書かれている。 相談者は子どもにもそっけないのか? この状態を子どもがどう見ているのか?と気遣っておられる。 
 その上でのアドバイスは、子どもがまだ自立できない年齢なら、貴方の原家族がそうだったように、こういうもんが家族だと思い込むかもしれない。 それを寂しいしつらいと思うかどうかは人それぞれ。 
 相談者の「素直な気持ち」が「冷め切ったまま結婚生活を続ける」ことになるのかどうか、ご自分の心に尋ねてみてください。 
 とアドバイスされている。



 最後に、原左都子の私見だが。

 この相談女性は明らかに“寂しい”のだろう、と私は見た。
 その“寂しさ”に耐えきれず、この相談を新聞投稿したと分析する。
 本当は家族と仲良くしたい、少なくともビールを飲んだ時にようにいつも楽しく話がしたい!との内心に気付きつつもその方策が打てないでいると私は判断する。

 この打破策とは、表題の通り自分側から「好きな人を作る」に限る!と私は結論付けたい。
 特に我が教員時代など、それが仕事の“要”だったように振り返る。 生徒達を愛する気持ちを大事にしたい! といつも心がけつつ生徒と係わって来た気がする。
 それが実に簡単な学校環境下だった事実に、こちらこそ感謝したい。
 私側が何の苦労もせずして生徒が自然に懐いてくれて、ずっと良き関係を築け充実した日々を送れたものだ。

 我が晩婚後も、その習性が生きている気もする。
 いや、亭主とは“そっけない”関係の時代もあったように振り返るが、お互いに高齢域に突入している現在、労り合う関係が自然と築けているように思う。


 どうだろう。 この相談女性もたまには冒頭の我が事例のように、男性から「君が好きだ!」と言って貰えるような夢でも見れば、少しは解決策になるようにも思うが…

 まあ、それにも過去の経験値が重要かも!?!? 😱