原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「純正英語」の束縛からの解放

2022年01月08日 | 教育・学校
 本日のエッセイは、朝日新聞2022.01.07付 <論の芽> 「英会話」ってそもそも何だろう?」より題材を得た。


 早速、当該記事の一部を以下に要約引用しよう。

 「英語を学びたい」「英会話が出来れば」という人は少なくない。 でも英会話とはそもそも何なのだろう。 NHKの連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」と連動したラジオ講座講師の大杉正明氏に聞いた。

 (冒頭略) 
 英語のネイティブスピーカーに対する憧れや思い入れがあって、「ネイティブスピーカー信仰」があるように思う。 いわば「純正英語」とでも呼ぶべき母語話者による正しい英語を求め、母語話者のような発音で流暢に話したい。 そんな思いが英会話という言葉には込められていると感じる。
 私(講師氏)自身もそんな英語学習者の一人だった。 50代で初めて海外に住み、イギリスの大学で客員教授として辞書学のセミナーに出席した時のことだが。 スペイン人やフランス人の研究者たちもアクセントの強い、なまりのある英語を堂々としゃべり、じゃんじゃん自分の意見を述べる。 この姿に圧倒された。 私も負けじと一生懸命意見を言った。 ああ、これが本来の絵英会話をやる意味なんだと実感した。
 「純正英語」の呪縛から解放されれば、間違いを恐れずもっと発言できるようになるのではないか。 よりおおらかに「英会話」と向き合うことが出来るのではないか。そう考えている。
 もちろん「いかに話すか」も重要だが、さらに重要なのは「何を話すか」だ。 
 そのためには、まずは日本語できちんと意見が言えることが前提。 「日本語会話」力も磨くべき。 自分の考えを持ち、英語で発表できる、そんな英語学習者になって欲しい。

 (以上、朝日新聞 <論の芽>より一部を引用したもの。)



 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 「原左都子エッセイ集」長年のファンの皆さんは、耳にタコが出来ていらっしゃって、「また、その話かよ…」と辟易とされるであろうが。😝 

 19歳時に米国UCバークレーへ1か月間のみエクステンション留学をした経験はあるものの。
 当時はまさに若気の至りで、大学の宿泊寮内で毎夜開催される「ディスコダンスパーティ」で踊り呆けて、十分にエンジョイした半面。
 肝心の英語学習に関しては、一体何をしてきたのか???と言えば。
 豪語させていただくと、(英会話力はともかく)元々英語力があった私の場合は授業内で特段困惑することも無く、無事に留学ビザ条件を満たして帰国している。
 
 

 そんな私にとっての、「英会話」との最大にして最高の出会いとは。

 30代後半期、独身時代最終時期に米国人男性と国際恋愛をしたことを語らずして何を語る? ということになろう。
 既に幾度もこの話題を本エッセイ集バックナンバーにて披露させていただいているため、これまた耳にタコが出来ている方々もいらっしゃるであろうが。

 米国人ジョニー(仮名・姉の友人だったが)との出会いは、米国に暮らす姉に会いに行った時に遡る。
 その日、日本からはるばるやってきた私の観光案内をしたいと申し出てくれたジョニーが、愛車のポルシェで私を西海岸ドライブに連れて行ってくれると申し出た。
 快く応じた私と初対面した時のジョニーの瞳の輝きを、私は見逃さなかった。
 (これは“一目惚れ”されたぞ!)、との我が推測通りの展開となって。

 途中略すが、とにかくジョニーと私は恋愛関係に入り、その後お互いに日米を往復しつつ恋愛を深めていった。
 一時は、この私も近い将来ジョニーが暮らすサンフランシスコにて今後の人生を送るのか😍 、とのある程度現実味のある夢を描いたりもした。

 結果としては、ジョニーが持つ特殊性癖等々に行く先を苛まれ、悲しい別れが待っていたのだが…



 話題を表題に戻そう。

 そんな国際恋愛経験(たったの7か月で終焉を迎えたが😭 )がある私が思うにも。
 
 英会話とは、義務感で「純正英語」の束縛下で成すものでは決して無いと実感する!!

 来るべき時にそのチャンスに恵まれれば、そのチャンスを心から楽しめばよいだけの話ではなかろうか??
 まあただ、そんなチャンスを自ら呼び起こして活かすためには、元々の自身の英語力を確立させているのが必須条件ではあろうと。
 私は多少厳しく結論付けたくもある。

 そう考えると、とりあえずは中高現場で施されている「英語」の授業をきちんと受けることが、一番の若者の課題ではなかろうか?


昨日の東京の大雪から一夜明けて

2022年01月07日 | 雑記
 (冒頭写真は、先程我が家のバルコニーより撮影した昨日の大雪後の今朝の風景。)



          


          

 昨日の大雪、東京地方は気象庁よりの1cm積雪予報が大きく外れ、結果として積雪5㎝だったようだ。

 娘も昨夜は勤務先の判断で、いつもよりずっと早めの帰宅となり安堵した。



 今朝起きてみると一面の銀世界が朝日に照らされ、キラキラ美しく反射していた。

 道を行く車両は未だ凍り付いたアスファルト道路を、バリバリと大きな音をたてつつ通り過ぎていく。



 さて、晴れてはいるものの、洗濯ものは外干しするか室内干しにするか迷うところだ。
 外気がかなり冷たそうなのでとりあえず室内干しにしておいて、もう少し外気温が上がってからバルコニーに出すことにしよう。


 午後買い物に出かける頃には、雪が溶けてくれているといいのだが。
 日陰は未だ凍り付いているだろうなあ…
        

東京で見る雪はこれが今冬初めてです。

2022年01月06日 | 雑記
 (冒頭写真は、つい先程 集合住宅上階の我が家のバルコニーより撮影した東京の初雪風景。)


 
 本日は昨日の天気予報通り、東京地方では午前中から雪が降り始めた。 


          
 これは、我が家のすぐ前の区民農園。 昼過ぎから降り始めた雪で既に真っ白状態。


          
 
          
 家々の屋根も、既に雪化粧。



 雪はまだまだ降り続けそうな模様。
 天気予報では都内は積雪1cmと予報していたが、もう既にそれを通り越している様子。


 
 今夜も、我が娘の帰宅は夜遅くなるかな?

 いつものことだが朝慌てて出かけて、マフラーも手袋もしないで行ってしまったが大丈夫だろうか???


 とにかく雪道を気を付けて、なるべく早めに帰宅して欲しいものだ。


義母の「死にたい」連発病、後世依存が早過ぎたせいと分析する

2022年01月05日 | 自己実現
 本日のエッセイは、昨日公開エッセイ <「死にたい」は「することが無い」と同義語かと感じる…> の続編の形となるが。



 そう言えば表題の通り、義母の後世依存は早かった。

 今思い起こすに我が娘が小5の春頃に、義母は自分の長女(私にとっては義理姉)と二世帯住宅を作って暮らすと言い始め、それを実行に移した。

 その時の義母の年齢を計算すると、72歳だ。
 えーーーー! もしも私がその年齢で一人暮らしだったならば、まだまだ青春をエンジョイするだろうになあ、😍 との発想しか沸かないんだけど。😜 

 そして義母はその後80歳時に、現在暮らしている高齢者介護施設へ引っ越した。
 義母が介護施設で暮らし始めてまもなく義理姉が膵臓癌にて壮絶死したため、その後は我々夫婦が義母の保証人となり現在に至っている。

 一昨日義母の施設へ訪れた際にも、その話題が出た。
 義母曰く、「〇子さん(私のこと)には本当に申し訳ないと思っている。 娘があんなに早く亡くなって、結局ずっと〇子さんのお世話になることになってしまって… 早く死にたいのだけど、なかなか死ねなくて。〇子さんに迷惑をかけてばかりで心苦しい…」

 私応えて、「そんな事はないですので、安心して下さい。 お義母さんに関する一番責任重大な仕事は “財産管理及びそれに伴う税務申告” ですが、毎年つつがなく実行していますので大丈夫です。」


 そうなのだ。
 要するに義母は自身の資産管理業務を、72歳から義理姉に全面的におんぶしようと企てたのだ。
 結果としては当該業務は義理姉死後10年間、私がずっと担当している訳だが。

 72歳でその業務引退、これ明らかに早過ぎる!
 これをずっと続けられていたならば、「死にたい」とホザいている暇など無かったはずだ。
 それを早期に後世に依存してしまった。
 これぞ、義母の一番大きな失敗と私は結論付ける。

 私め原左都子の場合、ある意味でその道のプロ(「税理士試験」を半分取得している)であるため、お茶の子さいさいなのだが。
 確かに、義母や義理姉(義理姉も一度だけ青色申告にかかわっている)が過去に実施した申告用紙を垣間見るに、大いにデタラメをやらかしているのだが。 青色申告の場合、担当者が親切に訂正してくれるため、それで何とかなってきていたようだ。

 義母ももう少し頑張ってこれをやり続けていたならば、「死にたい」を連発する暇は無かったのではないか、と思ったりもする。


 とにかく、人間幾つになっても“やりがい”のある対象を維持し続けたいものだ。
 それがある限り「死にたい」と言っている暇が自然となくなるであろう。

 もちろん趣味でもよいが、この「青色申告」のように“責任を伴う業務”の方がより生き甲斐となるのではなかろうか。


 そのように考えて。

 今年も税務申告時期が近付いているが、私も1月末の義母の(不動産貸付業を含む)「青色申告」に向けて、今日からその準備に取り掛かろう!


「死にたい」は「することが無い」と同義語かと感じる…

2022年01月04日 | 医学・医療・介護
 正月三が日最終日の昨日、義母が暮らす高齢者介護施設を訪問した。


 外部での親族食事会を希望していた義母だが、このコロナ・オミクロン株感染拡大の中、施設側がそれを許可する訳もない。
 また、義母の現在の(歩行能力や認知能力の低下、難聴の大幅な悪化、等々)身体状況では、既に外出は無理だろう。

 という訳で、施設内個室で義母との新年の会合と相成った。


 以前よりそうなのだが、義母は我々親族の顔を見ると開口一番「死にたい」を口にする。

 今まではそれに対応するのは決まって嫁の私の役割であり、心にも無く「お義母さんはまだまだお元気なのですから、死ぬのはずっと先のことですよ。そんなことをおっしゃらずに、長生きして下さいよ。ナンタラカンタラ…」
 この“おべんちゃら”を言わされるのがホトホト嫌だったものだが…😭 
 と言うのも、義母の裏心理が私には読めたからに他ならない。
 「死にたい」と言えば、必ず嫁の私がそう言ってくれると義母が期待しているのが見え見えだったものだ。

 時が流れてもやはり私の顔を見るとニコニコしながら「死にたい」を繰り返すため、思い切って説諭したこともあった。
 「お義母さん、その発言は日々一生懸命ケアをして下さっているスタッフの皆様には失礼に当たります。」
 義母が応えて、「そうなの。この前もケアマネージャー氏に『それは禁句』と叱られてね…」
 へえそうだったんだ、と思いつつも、やはり私を捕まえると「死にたい」を繰り返す義母…


 そして昨日の新年会会合でも。

 亭主と私と義母にとっては孫の我が娘を目の前にして、開口一番、「私、死にたいのよ…」
 (またかよ…)と思いつつ、今回は家族3人同席のためとりあえず亭主にその対応を任せることにした。
 
 ところが義母は補聴器をつけているにもかかわらず、我々の声が全く聞こえていない様子だ。
 亭主にこっそりそれを耳打ちして、「お義母さん、我々の声が何も聞こえていない様子だから、テキトーに対応すればいいよ。」
 実際、亭主が何だかだと力説しても義母は「私は死にたい」を繰り返すばかり…

 救いは、義母の孫にあたる我が娘の存在だ。
 発達障害故の異様なまでの寡黙さが幸いして無駄口を一切叩かない娘が、昔から義母のお気に入りだ。
 娘が施設を訪ねる時には、必ずや義母はプレゼントを用意してくれている。
 今現在外出不能な義母からの娘へのプレゼントとは、いつも決まって自らが施設へ持参している宝石類なのだが。
 昨日も、ダイヤモンドの指輪、エメラルドのペンダント、18金ペンダントに、真珠のネックレス2本。

 娘が受け取りを躊躇しているのを見かねた私が、「貰っときなさい、要らなければ後で処分すれば換金できるよ」と耳打ちして…😁 
 ちゃっかりと娘に受け取らせたのが、昨日の一番の報酬だったのだが。😜 


 
 話題を表題に戻そう。

 昨日の義母の話を聞いていて感じたのは。
 
 「死にたい」の言葉が少し現実味を帯びてきているのではなかろうか?? との事実だ。

 少し前の時代のごとく、「お義母さん、そんなことを言わないで長生きしましょうよ」とごまかして済む課題ではなくなっている感覚を抱いた。

 実際義母は、認知症と難聴を抱えている。
 
 その身にして、高齢者施設内の友も既に義母に近づきたくもないだろうし。
 義母は、日々寂しい思いをしているのであろう。

 ただこれ、義母自身にも責任があるのではかなろうか??

 高齢域に達すると、そうなることは目に見えている気もする。
 (難聴はともかく)、「認知症」に関しては自助努力によりそれを阻止するべき行動がとれたのではなかろか、と思ったりもする私だ。

 要するに、若き時代から常に自分の脳を活性化するべく活動を日々自ら実施していたならば。 
 義母にとって「成したいことがいつまでもある」状況だったなら日々それに励めて、認知症にならずに済んだのではなかろうか?? 


 現在の義母には酷な発言かもしれないが。

 実際、義母が「死にたい」と言い続けるのを、誰も止められない気がする…