原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

再々掲載「日本人は勝手にやってこれたのか?」

2022年01月14日 | 時事論評
 ちょうど1年前の2021.01.13付我がエッセイ集に、私は今読んでも100%同意できて、自分でも唸るエッセイを綴り公開している。



 以下に、表題に掲げたバックナンバー全文を再掲載させていただこう。


 この表題は、今思えば“コロナ禍”が未だ大した事態に陥っていなかった昨昨春頃に公開したエッセイテーマである。


 当時朝日新聞に掲載されていた、某若手(?)作家氏が、新聞紙上に書かれていた記述に触発を受け、原左都子がエッセイにまとめて公開したものだ。

 早速、以下に再掲載させていただこう。

 今回の我がエッセイは、020.05.30付朝日新聞 別刷「be」内コラム記事、 作家 保坂和志氏による 「夏の手前で 日本人は勝手にやってきた」 に対する反論の形となろうか。

 以下に保坂氏論評の部分部分を取り上げつつ、我が私論を展開させていただく形式としよう。

 「(日本は)政府が無能なのに、コロナ対策がなぜかうまくいっている」 
 これに対し保坂氏の友人男性は、「無能なのに、じゃなくて、無能だからこそうまくいっているんだ」とのご見解だそうだ。 
 日本人は放っておけば勝手に努力して、勝手にせっせと働いて、勝手にあれこれ工夫する、そういう人達の集まりなんだと、保坂氏のご友人がおっしゃるとのことだ。

 原左都子の見解だが。
 そもそもこの国の「コロナ対策」がうまくいっているとは思わない。 当初“日本のコロナ対策はばくち”とまで諸外国から後ろ指をさされた日本政府だった。 
 「日本人は放っておけば勝手に努力して…」云々に関しても、私は決してそうは思わない。   確かに日本人の特質として、“馬鹿素直”なところがある点は認めるがそれは「努力」と表現出来るほどの代物ではなく、そもそも主体性無き国民性と捉えている。  その“主体性の無さ”を作り上げたのは我が国の教育体制、すなわち政府の責任と判断している。  「工夫」に関しても、ちまちまどうでもよい事に関してはそれをする国民が存在する(失礼な表現をお詫びしますが)ようだが、基本的に創造性無き国民が多数である感覚を私は抱いている。 これに関しても教育体制が一番の原因であろう。 
 保坂氏による「日本人は規則に対する強い敬意がある」との記述にも同意する。  
 原左都子の視点で少し言葉を変えるならば「規則に対する敬意」ではなく「規則に対する従順さ」の方が適切かも知れない。 とにかく、“主体性”に欠けた国民性を学校教育により作り上げられてしまい、それにいつまでも国民ががんじがらめになっている印象がある。 
 保坂氏が面白い表現をされている。
 「無能だからうまくいっている」と言ったご友人が、日本人が勝手に努力して勝手に働くことを喩えて、「猫が暇さえあれば毛づくろいをしているのと同じ」と言っておられるらしい。
 原左都子の感覚としても要するにそういう事だ。 これを努力とは言わないだろう、と言いたいのだが。
 保坂氏は作家であられるが、小説を毎日書いておられるらしい。 周囲から「創作活動は大変ですね」と言われるが、勝手にやっているだけだから大変ではないとのことでもある。 出来不出来など関係無く、とにかく毎日書いておられるとのことだ。 そしてそれが一番好きだからやっているだけ、とのご記述でもある。
 原左都子の場合、保坂氏とはまったく立場が異なり、単なる“しがない”ブロガーでありこれによる一銭の収入も得ていない。 
 まあそれでもやはり自分で勝手にやっているだけ、との自由度に救われている感覚はある。 私の場合も現在に於いてはこの業が一番の達成感が得られるため、日々励んでいるだけのことと言えよう。
 最後に保坂氏は、「ならば国家は何をすればよいか?」とのテーマで結ばれている。 そして、これを機に一気にベーシック・インカムにするのがいい、との結論に至っておられる。
 以下、保坂氏の記述を引用するが。  「一律10万円の給付を毎月続けるのだ。 家計に余裕のある人は寄付なりクラウドファンディングなどするだろう。 国が自動的にお金をくれたら、働かなくなってギャンブルばかりする、なんて心配は無い。 そんなことをするのは(国民の)一部で、大半はマイペースで働き続ける。 課された労働でなく、喜びとしての仕事をそれぞれが見つける。 これこそ、コロナ以後の大転換。 コロナが人類に与えた、試練と恩恵だ。」

 原左都子の私論でまとめよう。
 
 作家の保坂先生。
 最後のご論評は冗談か、あるいは“見果てぬ夢”でいらっしゃいますよね??
 原左都子として“コロナ後”を語るのは、(まだまだ“コロナ禍”が続行するとの論者として)もっとずっと先に伸ばしたいが。
 この国の国民それぞれが“喜びとしての仕事”に就けるまでの国家の大転換など、“コロナ禍”にはかかわり無く夢また夢の物語であろう、と結論付けて。
 今回のエッセイを終焉に持ち込もう。

 (以上、本エッセイ集昨春頃に公開したバックナンバーを再掲載したもの。)

 いやはや、怖いねえ。
 政府が無能だと、必ずや“コロナ禍”とは今後も感染力を爆発させつつ人類を襲う脅威であり続ける存在のようだ。

 上記表題エッセイは今読み直してみても原左都子の基本思想が十分に綴られているため、付け加えるべき事も特別ないと言えよう。


 
 2022.01.14 現在の私見だが。

 東京都のコロナ感染者数が、昨日またもや3000人を突破してしまった。
 どうあがいても、人類はコロナ禍から脱出できそうもない。

 それでも大都会の街を歩けば、若者を中心に人々は楽しそうに集ってはしゃいでいる。
 政府や自治体はそれを阻止するでもなく、自由行動を認めているに等しい。

 どうせよと言うのか! 
 もういい加減、コロナ禍の試練から解放して欲しい! と真剣に考えている人間ほど、不自由を強いられている気もする。

 「コロナ後」を永遠に語れないままに、私は年老いていくのだろうか…
 

オミクロン株急拡大中の大学入試、公平性を保てるのか??

2022年01月13日 | 教育・学校
 大学入試に限らず小中高入試も含めて、この受験期にオミクロン株の急拡大に見舞われ、受験生も関係者もさぞや頭を痛めていることであろう。

 我が家の場合は娘も既にその時代を過ぎ去っているため、入試とは無関係と言えばそうなのだが。



 本日2022.01.13付朝日新聞記事「共通テスト 欠席でも合否 文科省『各大学が厳格に判定』一定の公平性あると見解」 を以下に要約引用しよう。

 新型コロナウィルスの影響で大学入学共通テストの本試験も追試験も欠席せざるをえなかった受験生について、文科省が各大学に個別試験で合否判定を求めた11日付の通知をめぐり、同省は12日、「各大学が慎重かつ厳格。に合否判定するものと考えられる」とし、一定の公平性は保たれるとの見解を示した。 共通テストなしでの合否判定をめぐり、受験生や大学に公平性確保の観点から懸念が広がっていた。
 追試を含め共通テストをすべて欠席した受験生について、個別試験のみで合否判定するよう要請。 個別試験についても追試だけでなく面接などによる再追試の機会を設けるよう求めた。
 また、対象者はコロナ感染の診断書などを大学へ出す必要があるとしている。
 さらに、共通テストを受けなかった受験生の合否は「各大学が決定するとした上で、「共通テストの受験生と比較して、十分にそれを上回る能力を有するかどうかを慎重かつ厳格に判定すると考えられる」と説明した。 

 (以上、朝日新聞記事を要約引用したもの。)




 私事及び私見に入ろう。

 私が大学受験をした時代は、未だ共通テスト制度が無かった頃だった。
 故に、受験生は自分が選択した大学(国公立・私立を問わず)に直接受験に訪れたものだ。

 故に私立大学を受験しなかった私など、大学受験は至って簡単なものだった。
 直接目指す国立大学へ出向き、指定の教科数科目の受験をしたのみで、当時は面接なども一切無かったと記憶している。

 そんな単純入試制度下でも、入学後も特段の不都合は無かった印象がある。

 私の場合は医学部パラメディカルコースへの入学だったが、専門性が高い分野を目指して入学している学生達とはその目的意識も高く、皆が皆その目的に向かって前向きに学問や実習・研究に励んだものだった。
 同級生全員が国家資格試験に一発合格し、それぞれの医療現場へ社会人として進出していった。

 そのような経験しかない私故に、今回のテーマに関しては論評資格が無いともいえそうだが。


 大学入試制度の「公平性」とは、コロナ禍にかかわらずその判定が困難な性質のものではなかろうか?

 共通テストを経験していない私に言わせてもらえば、それが必要か否かにまで遡って議論したい気もする。
 「公平性」の確保のためにそれを実施していると、文科省は言いたいのだろうが。 
 私の印象によれば、共通テスト制度とは要するに“受験生皆の偏差値を基に進学先の大学を振り分ける制度” と表現する方が正しいと言うべきだろう。


 とにかく今の受験を巡る環境は「偏差値第一義主義時代」に移ろいでしまって久しい。
 それに受験者本人も小中校の受験生を送り出す組織も、そして親も皆が踊らされてしまっている茶番劇時代であろう。

 
 もしも時代が遠い昔の私の大学受験時のごとく、“自分が目指したい大学のみの受験”で済ませられるのならば。 
 コロナ禍と大騒ぎせずとて、比較的簡単に本人が目指す大学のみを受験して済んだのではなかろうか。

 そのように考察すると。 
 たとえ世がコロナ禍一色に染まっていようが、大学受験ももっとシンプルに執り行える気もするのだが。


 とにもかくにも現に受験を目指している受験生の皆さんこそが、一番にコロナ禍に翻弄されている犠牲者であることだろう。

 どうかこの逆境下をご自身の精神力で打ち勝って、受験生の皆さんそれぞれが目指す大学・学部・学科合格をゲットされますように!!
 

昨日遅ればせながら届いた年賀状のメッセージに、ビックリ仰天!!! 

2022年01月11日 | 自己実現
 その年賀状の贈り主女性を、仮にKさんとしておこう。


 Kさんは我が人生に於いて一番お世話になった方、と表現して誤りではない程の、親密な付き合いを長年させていただいた方である。
 (参考だが、この原左都子は“一匹狼”風に見えて、実はこの人なら!と信頼できる相手には男女を問わずぞっこん甘えて、長い付き合いをするタイプでもあります。)


 私が医学部卒業後、故郷を捨て親を捨てて上京直後にKさんと知り合って以降、Kさん宅に頻繁に通い泊めていただきご馳走になったり。
 未だ小さい息子さんがいらっしゃった頃には、その息子さんと一緒にピンクレディーを踊ったり。 (それ故に、その息子さんはその後しばらく私のことを “ピンクレディのお姉ちゃん” と呼んでくれていた。)

 時が流れ私が30歳にして2度目の大学受験を目指した際にも、一番応援して下さったのはKさんだった。
 そして合格し職場退職し、入学後も。 私は超多忙な中、必ずや定期的にKさん宅を訪れたものだ。
 すっかり大きくなった息子さん二人に久々に接しつつ、未だ恋愛相談等々いろいろと私のKさん依存は続行していた。
 
 その後、長き独身を貫いた後の我が見合晩婚時の結婚式には、当然ながらKさんに私側の主賓の立場でご挨拶して頂いた。 (参考だがこのKさん、医学関係企業の上位まで上り詰めた、女性としては稀な実質的実力者人材でもあられるのだが。)

 Kさんとの関係は、その後も続いた。
 40歳にして私が皮膚癌を患いその摘出手術及び抗癌剤治療時にも、真っ先に病院まで駆けつけて下さったのはこのKさんだった。
 お互いに医学関係者同士のため、素人じみた話題は一切出ないのだが。
 手術翌日の朝から起きて歩き回っていた私が「皮膚を癌患部へ移植した元の足が未だに引きつる」と訴えると、「あまり歩くのを急がない方がいいんじゃないの?」とアドバイスしてくれたのが思い出深い。 

 私の退院後も、我が容態を気遣ってその観察に自宅まで来てくれたりした。
 急速に元気になっていく私を見届けてくれたころから、Kさんとは疎遠になっただろうか…

 
 その後もずっと、Kさんとの年賀状やり取りは続行した。

 Kさんには複数のお孫さんもできて、楽しそうな年賀状が昨年まで届けられていたのだが。

 あれ、そう言えば、今年はKさんから年賀状が届いていないなあ。

 と思っていた矢先、昨日Kさんからの年賀状が我が家の集合住宅1階の郵便受けに届いていたようだ。

 それを本日昼に亭主が上階の自宅まで運んできてくれて。

 Kさんからの年賀状内のメッセージに、私は驚き果てた!!!

 我が亭主も、我々の結婚式に出て頂いたりして我が家とは付き合いがあった故に、Kさんのことはよく知っているのだが。

 そのKさんの年賀状メッセージを亭主にも伝えると、亭主も驚くと共に自分なりの感想を述べていた。

 直ぐにKさん宛に連絡したかったものの、今時年賀状に電話番号を書く輩など皆無であろうし。 Kさんのメルアドも既に移り変わっているだろうし。



 最後に、そのKさんの年賀状のメッセージを紹介しよう。

 「昨年は激動の1年で、11月末から家を出てひとり暮らしを始めました。」

 Kさんのご年齢を今一度記すと、私よりも7歳年上の方だ。

 いや~~~~~~。 いつも世の先導者的立場であったKさん、やることが凄いなーーー!!


 そんなパワーに溢れているKさんのメッセージに接し。
 私も今後共そんなパワーの下にこの世を生きていきたい!! との思いを伝染してもらったかもしれない。

 とりあえず、Kさんには早急に手紙を綴りたいと思っています。


自分の子が成人した暁に一緒に酒を飲みたい派ですか?

2022年01月10日 | 人間関係
 (冒頭写真は、昨日の朝日新聞朝刊の漫画より転載したもの。)



  冒頭から、親馬鹿を晒して申し訳ないのですが。
 我が娘が8年前の2014.01に迎えた、成人式の日の写真です。


           
 池袋東武デパート前にて。


           
 自宅集合住宅正面玄関にて。


           
 自宅リビングルームにて。


           
 巣鴨とげぬき地蔵にて。
 右は母親の私。(まったくの余談ですが、私が着ているエンバのミンク黒コートは、膵臓癌で亡くなった義理姉から形見で譲り受けたものです。 ちなみに時価700万円で義理姉が(義母のカネで)購入したらしいのですが。 義理姉より10㎝背が高い私には丈が短く、重いし。 着用したのはこの日のみで、ずっとタンスの肥やし状態です。 娘も好みじゃないと言うし…)

 娘が「成人式」出席を拒否したため、この日は母娘でとげぬき地蔵へお参りに行きました。
 それが大正解!
 この時間帯は皆成人式の最中だったようで誰一人振袖娘がおらず、皆の視線が娘に集中しました。
 見知らぬ人々から成人のお祝いの言葉を沢山もらって、娘もとても嬉しそうでした。

 昨日の事のように、思い起こします。




 最後に、話題を表題の4コマ漫画に戻そう。

 
 冒頭の問いに答えるならば。
 原左都子の場合は、どっちでもよかったとの立場だろうか。

 何分、私自身が生まれ持っての超アルコール耐性体質(善玉コレステロール値が生涯に渡って高値で経緯しそうです)のため、浴びる程飲んでも体調を崩すことはまずなかった。
 (いえいえ既に高齢域に達している今に至っては、長寿を貫くために日々“節酒”を心がけていますよ。)

 飲兵衛の私だが、娘が成人した暁に一緒に酒を飲みたいなる希望はなかったなあ。
 今となっては“一人酒派”の私だし、娘は娘で好きにすればよし、ということだ。

 私譲りで酒には強そうな娘だが、「酒は好きじゃない」という。
 ただその理由とは、決して漫画のように “酒飲んでの親の醜態を見飽きている” という訳ではなさそうで。
 むしろ元々気難しい私が、多少酒が入って陽気に歌でも歌っている方が、娘は安堵する様子でもある。


 我が娘が成人式を終えてから、早くも8年。

 このままずっと自宅から職場に通勤してくれそうな娘に、感謝感激だ。😊 
 

一昨々日の大雪のあくる日に 駐車場にて可愛い雪だるま親子を発見!!

2022年01月09日 | 芸術
 (冒頭写真は、1月6日の東京での大雪の翌日に我が家の集合住宅駐車場にて発見した雪だるま親子。)


 この駐車場は集合住宅北側に位置しているため、昨日見た時にはまだそのままの可愛い姿で存在していたのだが。


 本日の東京は12℃まで気温が上がったため、さすがにもう溶けてしまったかな??

 
 それにしても何とも愛くるしい雪だるま親子だ。😍 

 左がパパ、右がママ、そして真ん中が赤ちゃんかあるいは小さき子だね。

 (先程、この写真をよーーく見直して気づいたのだが、パパに尻尾があるし、子どもに垂れた耳があるように見えるため、もしかしたら犬の親子を演出したのかもしれない。)

 3人で作ったのかな? 
 いずれにしても、この雪だるま作家の幼き坊やかお嬢ちゃんが大喜びしたことだろう。



 私も我が娘が幼い頃の大雪の日に、雪だるまを作った経験がたった一度だけある故に分かるのだが。
 たかが20㎝程度の雪だるまを作るのが、重労働である事を承知している。
 
 とにかく手が冷たくて、どうにもならない。😖 
 
 やっとこさ出来上がった、✨さとこ作:雪だるま✨ だったが、雪だるまの形には程遠かった記憶がある。😵 

 それでも幼き娘が喜んでくれて、最後に二人でボタンか何かの目を2つ付けたものだ。 



 雪だるま、って溶けて無くなるからいいのかもしれない。
 
 それでも駐車場の雪だるま親子は、3人の雪の日のかけがえのない思い出として心に刻まれることだろう。