本日は「敬老の日」のようだ。
“ようだ” と表現するのは、この祝日が全祝日の中で一番存在感が薄い感覚が私にはあるためだ。
我が国の「高齢者」の定義によれば。
この私も十分に「高齢者」に分類されることになるが、普段それを自覚することは皆無である。
そんなことより、高齢者介護施設にて暮らす義母と実母が90歳前後にして未だ生存している関係で、それら2人に「保証人」として全面的に依存される日々だ。
義母などとんでもないのは我々子供夫婦を4,50代とずっと勘違いし続けていて、その“若い二人”に依存して当然!と考えているふしすらある。😫
これ、実際勘弁して欲しい。
義母自身は70歳過ぎた頃から既に長女(故人)に依存する生活をしていたくせに、今となっては既に70歳過ぎている息子に何の遠慮も無く依存して甘える日々だ。
ただ、しょうがない。 義母や実母を看るのは我々しかいない現状を踏まえ、今後も両者の命が続く限り保証人を担当せねばならないのだろう。
さて、本日2022.09.19付朝日新聞一面内に、冒頭表題にて記した「65歳~69歳就業率 初の5割超 高齢者人口3627万人、最高更新」と題する記事があった。
以下に、一部を要約引用しよう。
19日の「敬老の日」に合わせて総務省が推計したところ、高齢者女性は2053万人、男性は1574万人。 年齢別では75歳以上が総人口の15,5%を占める。 (途中大幅略)
労働者調査によると、昨年の高齢者の就業者数は過去最高の909万人。18年連続の増加となった。
就業者の雇用形態のうち、企業などで働く雇用者は517万人だが、その雇用形態の75.0%がパートやアルバイトなど非正規雇用だった。 その理由は、談共に「自分の都合の良い時間に働きたいから」が3割超で最多。 「家計の補助などを得たいからは」は女性で2番目、男性で3番目だった。
高齢者の就業は政府も後押ししてきた。
少子化に伴う労働力の現象を穴埋めする狙いだ。 15歳~65歳の「生産年齢人口」は1995年の約8700万人をピークに減少に転じ、25年間で約1200万人少なくなった。 今後も減る見込みで、人手不足が深刻になるとの懸念は強い。
(以上、朝日新聞本日の記事より一部を要約引用したもの。)
原左都子としては、異議がある。
この私も、50代後半期に「学校の“不登校相談員”」に応募せんと地元教育委員会に履歴書を提出したことがあり、書類審査を通過し教委の面談に出かけたのだが。
その面談の場で、「私は“不登校肯定論者です”。」と正直に訴えただけで、「どうぞ、お帰り下さい」との教委側からの返答だった。
教委は、これを「適材適所」では無かった、と言いたいのだろうか???😨
ただその後10年程が経過して、世の教育界は「不登校を肯定する立場」をも尊重せんとする時代へと変遷していると私は好意的に理解している。
最後に、高齢者採用に話題を戻そう。
私が言いたいのは、高齢者とて個性があるし個人の意思もあるとの事実だ。
それをすべて一緒くたにして、「国や自治体は高齢者をこれ程の数雇用するべく努力しているぞ!」と高らかに表明されたとて。
それはすべての働く意思のある高齢者には届くべくはずも無い。
結局、自己の意思や主張や、誤解を恐れず言うならば「過去の職業歴が充実している人材」程、高齢域に達して“自身が望む仕事に就けない”実情ではなかろうか?!?
不幸中の幸いとして、私の場合は過去の職業遍歴時代に自己資産をある程度築いている身であり、高齢域に至っている今現在も特段生活に困窮してはいない。
ただやはり、政府が言うところの「高齢者就業率」の上昇を素直に喜べないでいる我が身だ。
政府に都合の良い「高齢者就業率」の公表ではなく。
今後は国家の真の発展のためにも高齢者生活の質の向上等々も視野に入れ、国民の目線に立ち戻ったそれを公表してはどうか?!?