原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自らの“失敗”を認めないJAXAの傲慢さが引き起こした2度目のH3ロケット打ち上げ失敗

2023年03月08日 | 時事論評
 (冒頭写真は、2023.03.08付朝日新聞記事「H3打ち上げ失敗 日本の宇宙開発打撃」より転載した“H3ロケット打ち上げ後の経緯”)



 冒頭から、原左都子の雑談だが。
 北朝鮮が日本海方面に向けてミサイルを発射する都度、私は思う。
 その巨額の費用を北朝鮮国民の食糧に当ててあげたら、どれだけの多くの国民を“飢え”から救えるだろう…

 日本だってそうだよなあ…
 今回JAXAは、第1回目のH3ロケットの打ち上げに“失敗”している。
 あれにかかった費用は如何程だっただろう??  あれを打ち上げずに子ども達の給食費を無料にすることに回せば、どれほどの子ども達の家計が助かるだろう…


 そして、まさかまさかの二度目のJAXA次世代基幹ロケットH3打ち上げ失敗…
 しかも今回の場合、機体は爆破され海底からの回収も予定されていないというではないか!
 失敗原因の究明作業すら難航が予想されるし、やはり今回の打ち上げにかかった巨額費用回収はもはやままならないだろう。


 さすがに、昨日のH3ロケット打ち上げに関してはJAXAの所長が記者会見に出て来て、「失敗」を認めている。

 思い起すに、前回の1回目打ち上げ時には、JAXAはこれを「失敗」と認めず、すぐさま昨日の2度目の打ち上げを国民に発表しそれ昨日実行に持ち込んでしまった。

 これ、宇宙開発事業には“ド素人”のこの原左都子ですら、“再び失敗の危険性”を想像しない訳にはいかなかった。
 昨日は左膝骨折病院受診日のため、その打ち上げのリアル映像を見ることが叶わなかったのだが。
 帰りの電車の中でスマホを確認すると、我が嫌な予感が当たって、「失敗」の文字の報道が出ているではないか!

 あれ程までに、「(一回目の打ち上げは)失敗ではない!!」と言い切っていたJAXA職員たちの映像を脳裏に思い起こしたものだが… 
 今回の失敗の場合、「失敗」の文字のみがスマホに出るのだが、その詳細報道を見ることは叶わなかった。
 
 夜になって自宅にてニュース報道を見るに。
 今回はJAXA下っ端の担当者たちの姿はまるでなく、JAXA上層部職員のみがニュース報道に登場して、言葉少なく「『失敗』」の言葉を繰り返していた。


 それにしても今回の2度目の打ち上げ失敗の場合、H3ロケット機体は爆破されて、海底からの回収も予定されていないとのことだ。
 これでは、失敗の原因究明作業すらままならないだろうし、一体全体今回の2度目の失敗による損失総額の発表はいつになることやら… (いつになろうが、その損失額の程を国民に必ずや発表するべきと、私は考えている。)

 宇宙政策に詳しい東大教授は、「徹底的に原因究明をして、長い時間をかけてでも徐々に打ち上げて、信頼を回復するしかない」としつつも。
 「一方で、日本のロケット技術をこれ以上高めることが本当に必要なのかという問いも必要だと思う」と述べているようだ。


 最後に、原左都子の私見を述べさせていただくならば。
 
 やはり、“費用 対 成果” の考察は欠かせないはずだ!
 
 今現在は、我が国でも民間企業・団体による「宇宙開発」も盛んになってきているようだが。
 (国民の血税による)国家予算を膨大に消費せざるを得ない宇宙開発をJAXAが担当して「失敗」を重ねるよりも。
 今後は、経済的余裕のある民間企業・団体に「宇宙開発」を任せるとの選択肢もあるような気がするのだが…
 

自分の死後の価値を他者に勝手に値踏みされたくない!

2023年03月06日 | 時事論評
 冒頭から、2023.03.05付朝日新聞「天声人語」より一部を要約引用しよう。


 障害って何だろう。 そんな疑問を思い出したのは井出安優香さん(当時11歳)をめぐる損害賠償訴訟の判決を読んだからだ。 生まれつき難聴で手話も使っていた。 5年前、重機にはねられて亡くなった。 裁判では少女が将来得たはずの収入が争点となった。 
 ご両親は健常者と同じ額を求めたが、大阪地裁は労働者平均の85%とみなした。 我が子の命を数字に置き換えねばならない悲しさ、安く算定される悔しさ。 ご両親の涙は二つの思いゆえだろう。
 判決は、少女に障害があったことを働きにくさの理由とした。 でも、働きにくいのは社会にこそ原因がある。 障害者が生きづらいのは、世の中が多数派に合わせてつくられているからだ。 環境やルールが変われば、「障害」という概念はぐるりと変わる。 (途中大幅略)
 「聴覚障害が労働能力を制限しうる事実であること自体は否定できない」。
判決の一節が色あせる未来へ。 手掛かりは見えている。

 (以上、朝日新聞「天声人語」より一部を引用したもの。)



 私め原左都子が当該ニュース報道を見聞したのは、数日前の事だった。

 その時に一番気になったのは、当該11歳の少女が5年前に重機にはねられて亡くなった当時の“死亡原因”だった。
 私が見聞したニュース報道に於いては、それに関する反復等々は一切無く、ただただ、「裁判では少女が将来得たはずの収入」が争点として取り上げられていた事実だ。
 私としては、少女の「死因」を第一義として知りたく思った。
 もしもその「死因」が少女の難聴によるものだったとしたら、社会はその事実こそを真っ先に改善するべきだ! 
 その報道が無く、あくまでも「少女が将来得たはずの収入」ばかりが争点となっていた報道姿勢に首を傾げたものだ。

 少女が「難聴」を抱えていたことは事実であり、もしもそれが故に命を落としたとすると、これはまさに社会に大きな責任があろう。
 社会体制の整備により障害者が安全に生きていける環境整備をすることこそが、「福祉」の存在意義であるはずだ。

 損害賠償訴訟判決ももちろん重要だが、それに先立って、障害者が生きやすい社会環境づくりを施すことに関しても、ニュースは合わせて報道するべきだった。



 話題を、11歳の難聴を抱える少女の命が労働者平均の85%に抑えられた判決に戻そう。

 これ、何が辛いって、遺族にとってはまさに“娘の命を(安易に)数値で値踏み”された事実ではなかろうか??

 もしもこれが、我が娘に対してだったとして。
 到底許し難き仕打ちだ。
 この私がその親だったならば、「そんなカネ一銭も要らないから、判決は無かったものにしてくれ!!」との捨て台詞を残して訴訟現場を去ったことだろう。

 それ程までに、人の命を金銭評価する事実とは「人権侵害」であると感じる。

 特に今回の難聴少女判決の場合、“労働者平均の85%” なる超細かい具体的数値が示されている。
 裁判における中心的判事は未だ若そうな女性だったようだが。 まあもちろんのこと、過去の判例等々を参考にして算出したデータなのだろうが。
  これ、実際残された遺族にとっては、札束で顔を叩かれたがごとくの「人権侵害」感があったのではなかろうか?!?


 まさに、11歳で命を失わざるを得なかった難聴少女のご遺族の“無念さ”の程が我が身に染みた、損害賠償訴訟判決のニュース報道だった。


この期に及んで日本の男女格差が先進国最下位との事実に驚愕…

2023年03月05日 | 仕事・就職
 冒頭から、2023.03.03付朝日新聞記事「日本の男女格差 先進国最下位 世銀報告104位 労働分野で後れ」の一部を、以下に要約引用しよう。


 世界銀行は2日、190か国・地域の男女格差の現状を法整備の進み具合から評価した報告書を発表した。 日本は104位で、先進国で最下位だった。 職場でのセクハラを罰する法律がないなど、特に労働分野で後れをとっている。
 報告書は2022年10月時点で労働や結婚、財産など8分野の法制度を分析。 男性が得られる権利を100とした場合に、女性がどの程度の法的な保護を得ているか、国・地域ごとに指数化した。
 日本は「移動の自由」「育児」「資産」の4分野で法制度上の男女格差は無かった。 一方で、「結婚」では女性は男性の80%、「起業」は75%、「雇用」は25%の恩恵しか受けていなかった。
 さらに、経済協力開発機構(OECD)加盟の34の高所得国のうち、職場でのセクハラに関する法律がないのは日本だけだった。 大半の国には、刑事罰や救済制度があるとした。 8分野の評価をもとに計算された日本の男女格差のスコアは78.8。 OECD高所得国平均は95,3で、80を割ったのは日本だけだった。
 途上国も含めた世界全体の平均スコアは77.1で、前年からの伸びは20年ぶりの低水準に落ち込んだ。

 (以下略すが、以上朝日新聞記事より引用したもの。)



 原左都子の感想に入ろう。

 少し前に当該goo上で、A氏が日本の女性の婚活の様子を取り上げた内容の記事を掲載されているのを発見し、読ませて頂いたのだが。
 驚いたことに戦後間もない頃ならばともかく、これ程までに“男女平等思想”が発展した(と私は捉えているのだが)時代背景下で。
 どうやら婚活希望の女性陣が相手男性に対して、例えば「収入」「学歴」等々で“高望み”ばかりしているとの現実らしい。😫 
 そして、婚活パーティに参加しているのはそれら“高望み女性”が大多数で、男性の参加者が極度に少なく婚活パーティとして全く成立しないそうだ。

 この状況を読ませていただいて、私が晩婚時に参加した“婚活パーティ”の様子を思い起した。
 参加者は圧倒的に男性が多く、逆にカップリングが成り立たないと言うのか。 (実は未だに本気で結婚の意思が無かった)この私など、楽しい一時を過ごさせていただいた記憶があるのだが。
 (参考ですが、この私はその後“お見合い”にて現在の亭主と知り合っています、悪しからず…。)



 テーマを表題に戻そう。

 そもそも何故、日本の男女格差が先進国最下位と成り下がったままなのか??
 その背景には、上記日本女性の婚活の実態がその現実を物語っているような感覚もある。 
 要するに、未だに “日本女性は特に職業的自立や婚姻に関して男性依存力が強い”のではあるまいか???

 女性の社会進出が急増しているとは言えども、その実態とは今尚“結婚” “出産”退職が後を絶たない現状なのであろう。
 かく言うこの私も教員時代に“出産退職”を実行した身だが、ラッキーにも我が子が5歳時に元々の専門であった「医学」への再就職が叶っている。


 上記記事内に、日本では未だに“職場でのセクハラを罰する法律が無い”との記述がある。
 私が職業人だった頃には、“職場でのセクハラ”を受けた経験が皆無なのだが。 この辺にも時代の移り変わりを実感させられる。
 それが真実であるならば、セクハラに対する法的発展を望みたいものでもあるが…

 ただ、それを充実させること イコール 女性の社会進出率を向上させること とは結論づけられない部分もあるような気がする私だ。


我が公立中高時代の「校則」は緩かった

2023年03月04日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2023.03.04付朝日新聞 別刷「be」“between” 「校則を理不尽だと感じましたか?」より転載したもの。)



 近頃の中高の校則の中には、「地毛が茶色い生徒に黒染めを強要する」なる とてつもなく“人権侵害的”な許し難きものが存在すると聞く。


 それを言うならば、元々地毛が茶色い私も当時生徒であったならば“黒染め”を強制されたことだろう。

 実際我が髪の地毛は茶色かったのだが、高校生時代に好んでロングヘアにしていると、その毛先が痛んでまるで金髪に染めたがごとくの色彩となったことがある。
 それを見かけた生徒指導担当男性教員が、私に声を掛けようとするのだが。
 何故か「指導」はなかった。 痛んでそうなった事を理解したのかどうかは不明だが、無言で通り過ぎたものだ。
 加えて、“パーマ禁止”なる校則もあり、それにも一時あえて違反したが特段の指導は無かった。
 一度、5㎝程度のハイヒールで学校へ行ったところ、生徒指導教員が私の近くまでやって来た。 
 何故かこの時も、足元をじろじろ見ただけで素通りして行った。

 思い起せば、我が中学生時代の校則も厳しかった。
 例えば、ロングヘアの女生徒は必ず黒か茶色のゴムで結ばねばならない、との校則があり。 これに関しては、結んでいない女生徒にはゴムが貸与されて強制的に結ばされたものだ。 
 私も中学生以降はロングヘアを貫いたのだが、一応家から結んで学校へ行っていた。
 結んだ髪にリボン等の飾りをつけてはいけない、なる校則もあり、これに関しては厳しい指導があった。
 ブラスバンド部に所属していた私だが、日曜日等の休日にも部活があり。 その際に当時流行していた「リンリンランランの“インデアン人形”」を真似て三つ編みに派手な飾りをつけて登校したこともある。 

 
 何と言うのか、校則とはそれに敢えて違反する行為にこそスリルがあるような気がしていた我が中高時代だ。
 それを実行に移す生徒はおそらく少数なのだろうが、私はあえてその行動に出ることにより、我が反発精神を表に出したいとの願望が内心に存在したのだと、今分析する。



 朝日新聞記事に戻ろう。

 原左都子自身が、生涯を通じて基本的に いわば“反体制派”であろうことを自覚している身にして。
 “校則を守ろう”と考えそれを素直に実行する生徒達の心理状態は、高齢域に達している今現在 正直なところ理解しかねる。

 そこで、校則を理不尽だと考える派のご意見のみを以下に紹介しておこう。

 なぜ校則を理不尽と感じるのか?
 「目的や意義が理解不能」「時代遅れ」「勉強との関係」「生徒の意見を無視」「個性を尊重せず」「生徒に改正手段無し」「自由が欲しかった」等々…

 この私が校則に反発した理由も、まさに「目的や意義が理解不能」だったからに他ならない。

 医学関係の業務に就いていた時期には、もちろんのことそれ相応の作業着を身に付けましたよ!
 それ以外の職種においては、特に服装やヘアスタイル等々に関しては自身の判断で自由度を貫く日々だ。
 それで特段のご迷惑を掛けたことも無ければ、周囲から注意を受けたこともない。


 「校則」ねえ。
 学校側としては、それが存在する事により現場教員が生徒指導を実施しやすいとの安易な方策であるのだろうが。

 生徒側にとっては、将来に渡る“適材適所の身だしなみ”との自己判断能力を奪うものであり…


 おっとっと。
 この国のお年寄り連中が、皆同じ格好をしている事実とは、中高の生徒指導校則がもたらした“弊害”であることに気付かされたりもする…  


4か月ぶりの飲酒の味は?

2023年03月02日 | 
 昨日 私は左膝複雑骨折後、(決して“断酒”を志した訳ではなく)自然と遠のいていた「飲酒」を再開した。


 そのきっかけとは、なんてことはないのだが。

 亭主が夕食間際になって、体調不良(お腹をこわしたらしいが)夕食を控えると訴えてくる。 (「控える」とは言っても、遅い時間帯に一人で夕食を摂ったようだが。)

 この私は長き独身時代を過ごしたせいか、“一人飯”は得意だ。 と言うよりも、自由度の高い“一人飯”を正直言って好んでいる。

 これは好都合! と喜んだ瞬間に。
 そうだ!! 酒を飲もう!  との発想が出るのは早かった。

 そうは言っても、何分4か月の飲酒空白期間があるため、酒の在庫があるのやら、ないのやら…
 いや、大好きな焼酎の4ℓボトルの在庫があるはずだ!

 はい、ありました!
 と思いつつも、何分4か月の飲酒ブランクがあるため、いきなり焼酎はどうだろうか??? などと、“底無し飲兵衛”の身にしては殊勝な心理状態になるではないか。😜 

 とりあえずは“ビール”だろう。
 と思い直し、亭主の愛飲ビールを拝借することとした。
 
 そして、それを開けて飲んでみると。
 うまいじゃないか!!!😋 😆 
 元々アルコールには極度に強い原左都子故に、360mlのビールなどすぐさま飲み干してしまいそうだ。
 ここは亭主のビールだし、2本目は遠慮するべきと思いつつ。
 そうだ、ビールに焼酎を入れよう! と考えそれを実行しつつ、20分程のハイペースで飲酒を終了した。

 ほろ酔い加減で何とも心地よい。

 面白いことに、飲酒をすると食べ物の好みが大幅に変化することに気付かされる。
 
 飲酒をしなかったこの4か月間、我が食に対する好みが大幅に変化していることに十分気付いていたのだが。
 飲酒のお陰で元の好みに戻ったようで、私としては自分の本来の姿を取り戻せた感覚で嬉しかった。😃 

 
 さて、今夜も亭主のビールを1本だけ拝借して、それを焼酎割にして楽しむぞ!


 そうそう、酒に強いこの私の場合、少しくらいのアルコール摂取で酔いつぶれることは無いため。
 複雑骨折の左膝をぶつけてしまうとの失策は無さそうですので、ご安心下さいませ。