原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「同窓会」の勧誘を通して自分の記憶力の急激な衰えに愕然とさせられた…

2023年09月09日 | 人間関係
 来る10月1日に、郷里卒業高校東京支部同窓会に出席予定の私だが。


 その同窓会連絡に関しては、高1時に同じクラスだった女性幹事さん(Tさんとしよう)が個別に担当して下さっている。

 先だって同窓会の日程等々の詳細連絡をTさんから頂き、その内容を確認していると。
 現時点での出席予定者の苗字も羅列して下さっていた。


 卒業後50年近い年月が流れているにもかかわらず、不思議とその苗字を見ただけで、「ああ、あの子ねえ…」と我が脳裏で回顧可能だ。
 その中で、30代や、50代の同窓会時にも出席していた方々は特に記憶に新しい。
 逆に、50年前に卒業後一度もお会いする機会が無い方々に関しては、やはり記憶がかなり薄れている。

 そんな中、出席者の男性の一人に関して、我が記憶(後で思えば大きな勘違い記憶だった!!😱 )が鮮明に蘇った。
 それは、同じく郷里国立大学医学部へ進学されて医師になられ、その後地元の大病院に就職された方と私が勘違いしてしまった男性(Yさんとしよう)なのだが。

 どういう訳か、その記憶がまるで誤りである事に我が脳が気付かない。
 そして、我が記憶のままに幹事女性のTさんに一言余計なコメントを書いてしまった。 「Yさんが今回同窓会に出席されるようですね! 懐かしいです、どーのこーの…」
 
 そして半日が過ぎ、何故か我が脳がそれが誤りであることに突然気付いた!(これも不思議な現象だ。 何で時間が経過した後に、突然それが誤りであることに気付くのか!?!) とにかく誤りである事には間違いないので、Tさん宛に午前中の我がYさん関連コメントが誤りであったことを詫び、訂正内容のメールを再び発信した。

 そうしたところ、すかさずTさんよりメール返信が到着した。 
 そしてTさんがおっしゃるには、我が同大学医学部出身人物では無い方の、私が勘違いしたYさんとの間に高校時代に思い出深い出来事があったとのメッセージの内容を書いて下さっていた。
 その話を興味深く読ませていただきつつ。
 やはり同窓生とは、たとえ年月が50年経過していようが、共通項というのか、“へえ、そんなエピソードがあったんだ” と、感慨深さに浸れる原石のような存在であることを実感させて頂けた。


 
 ここで話題を、今回私が勘違いした同大学医学部医師進学過程に進学した同級生(A氏としておこう)に戻そう。
 同じ大学医学部へ進学したにもかかわらず、実は後で思い起すに、ただの一度も医学部キャンパス内でお会いしたことがなかった。
 それには理由がある。
 正直言って学生時代は“遊び人”だった私(いえいえ、学業や実習や卒業研究は実に真面目にこなしましたよ!)は、その合間を縫って、大学主催のダンパ(ダンスパーティ)や学生ロックコンサート等々に足繁く通っては踊り狂ったり、お茶に誘われてはそれに付き合ったりしていた。
 要するにその種の行動をしない学生とは、全く接点が無かったと言えよう。
 おそらく私と高校の同窓生である男子学生とは在学中の学内での志向がまるで異なり、お会いする機会がなかったのであろう。😖 


 
 同窓会ねえ。
 実はこの私は、10月1日に出席の返事をしているにもかかわらず、未だにその(同窓会との会合自体の)存在を疑問視している歪んだ人間でもある。

 何と言うのか、一時過去にまみえた人類にお会いしたとてその後の進展が無い、と言うと語弊があるかもしれないが。
 とにかく、この私は基本的に「過去」にさほど未練が無い人間かもしれない。
 年齢を重ねたとて、我が進むべき道は「未来」でしかないに決っている!
 まあ考えようによれば、「同窓会出席」が新たな未来をもたらすかもしれないとも言えるのかな??
 ただ少なくとも、私はいつまで経っても同窓会を開催したいと欲する人材の心理が理解できないのも正直なところだ。


 つべこべ言ってないで、来る10月1日には自ら行くと言った以上、その責任を取るべく必ず同窓会に出席してきます! 
 

長野県伊那市の大農場より、今夏も「スイートコーン」が到着しました!

2023年09月08日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、本日午前中に伊那市大農場より我が家に届けられた「スイートコーン」。)



 このスイートコーンの贈り主はいつものごとく、毎年季節毎に取れたて野菜類を東京の我が家へクール宅配便で数回届けて下さる 伊那市の大農場主・K氏なのだが。
 (参考ですが、K氏は当「原左都子エッセイ集」初期頃の愛読者であられた方です。 その当時より、毎年とれたて農作物を年数回定期便にて東京の我が家までお贈りいただいております。)


 K氏より昨夜から何本ものスマホメールが着信していた。
 そのメールによれば、「今年のスイートコーンは不作」とのことで、「味が美味しくないから、あまり期待しないで…」とのことだ。

 とにかく農作物は天候の影響を大いに受けて育つのは、私も十分承知の上だ。
 そうだとせよ 類まれな努力家のK氏のこと、いつもその悪天候等々のマイナス条件に打ち勝って、素晴らしい農作物の数々を世に出荷されている事実を、私は毎年お送りいただく農産物により十分に承知している。


 「とにかく明日の到着を楽しみにお待ちしております!」と、K氏宛にお伝えしても。
 どうしても、「今年は出来が悪い…」ことで心を痛められている様子なのだ…


 そして、本日午前中に到着したK氏のスイートコーンを早速開梱してみると。
 確かに 色合いがいつもより白っぽいものの、いつもと同様に大きく育った立派なスイートコーンだ!

 さて、そのスイートコーンのお味だが。

 いやいや、私にとっては十分です!!
 スイートコーンの名にふさわしく、一口かぶりつけばほんのりした甘さが口の中いっぱいに広がっていく。  
 一切の渋みも無く、直ぐに1本を堪能しました!!


 とにかくK氏は昔から責任感の強い方でいらっしゃるようで、いつも愛情たっぷりに育てた農産物の出来が悪いとご自身を責める癖がおありのようだ。😵 
 そうではなく、農産物とは常に天候等々の自然条件との闘いであることは、農作業の経験が無い私でも重々承知の上なのだが…


 Kさん、毎年毎年数回に渡るK氏大農場にて収穫した農産物の数々の宅配便に、重々感謝申し上げております。

 Kさんとのお付き合いは「原左都子エッセイ集」開設直後期に開始しておりますので、既に十数年の年月に及びますが。

 Kさんが愛情込めて育てられている農産物の美味しさはもちろんのこと、Kさんの大農場経営にかける心意気の程も十分に理解申し上げているつもりです。

 今後共、天候等の悪条件にめげず大農場経営に日々真摯に誠実に励まれているKさんを、陰ながら応援申し上げます!! 


1988 米国ハワイ州 マウイ島 ラハイナ の思い出

2023年09月06日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、1988年に実母と2人でマウイ島ラハイナを旅した時の写真。 ホテルのカフェの前にて。)



 昨日 別エッセイを公開した際に、過去にマウイ島ラハイナを訪れたことがある旨を記載した。

 それは1988年、私が2度目の大学の夏季休暇中の事だった。
 当時、我が実姉(20数年前より絶縁中)がマウイ島に2年間??程居住していたことがあり、実母の希望により1988年夏にかの地を2人で訪れた。

 実母一人で行けばよいのだが、当時はマウイ島へ行く場合往復共々一旦オアフ島まで行って宿泊の上、マウイ島まで航空便を乗り換えねばならないとの複雑さだった。
 それがどうしても一人でできない、との実母の訴えで次女の私が同行することとなった。


 さて、いざマウイ島へ到着してみると、これがオアフ島の観光客の混雑とは打って変わって まさにゆったりとしたリゾート地といった風合いだ。
 母に同行した私としても、“行って良かった!!”感が強く、滞在中ゆったりと過ごせたものである。

         
 姉がマウイ島で住んでいた住居がこのコンドミニアムなのだが。 (参考だが、当時の姉のパートナーはプロの米国人テニスプレーヤーであり、マウイ島のホテルのテニスコート専属コーチをしていた。 さらに参考だが、我が姉はパートナーをとっかえひっかえする癖があり😫 、このテニスプレーヤーは2度目のご亭主だった。)
 2軒にひとつプール付きのコンドミニアムで、十分にゆったりした住居だった。 
 そのプールにも入ったのだが、随分と深い箇所があり、泳ぎが達者とは言えない私には危険だったものだ…。


          

 こちらは、コンドミニアム近くのホテル。
 ここに食事に行ったりした。


          

 これは、1988年夏当時のマウイ島にての我が姉妹と母。
 この時私は32歳だったはずだ。もちろん未だ独身だった。 身長は姉より私の方が少し高いのだが、姉がいつも10cm以上のヒールを履いているため逆転している。
 母はこの時50代半ばのはずだが、基本的に“自己管理力”に欠落していていつも太っていたため、老けて見える。 (はっきり言って、現在高齢域に達していいる私よりもおばさん風貌で呆れるなあ…😨
 このマウイ島旅の途中で、実母が私に告げた“お願い”がマイナスイメージで私は今尚忘れられない… 50代の母曰く、「老後の面倒は必ずみてよ!!」…
 私は未だに、そんな実母を軽蔑している。 結果としては郷里の自立支援施設へ入居して90歳過ぎた今尚そこで生活しているため、私が面倒を見るのは、入院時のみだが…


 何だか、マウイ島の思い出というよりも。
 我が過去の血縁家族に対する「愚痴」オンパレードになってしまったようだが。😖 😷 

 それはさておいて。


 この度、マウイ島ラハイナにて大災害に遭われた現地の皆様のお見舞いを心より申し上げたく存じます。
 ほんの一時でしたが、1988年夏に訪れた際のマウイ島の素晴らしい光景が今尚我が脳裏に焼き付いております。

 今後のマウイ島の再発展の道程を、陰ながら心より応援申し上げます。


本日、20数年ぶりに郷里高校時代東京支部同窓会の誘いが舞い込んできました。

2023年09月05日 | 人間関係
 (冒頭写真は、私が以前に郷里高校時代東京支部同窓会に出席した頃の写真。)

 
 いや、この写真は30代前半独身時代に撮影したものだから、もっと前か??
 参考だが、この写真は米国ハワイ州マウイ島にて撮影したものだが。
 つい最近、このマウイ島ラハイナが大火事で焼き尽くされた映像をニュースで見て愕然とさせられた。
  マウイ島はオアフ島の如くの観光客の混雑も無く、素晴らしいハワイ州の観光地だったのに、まさに今では大火事で廃墟となってしまった…



 話題を、郷里高校時代の同窓会に戻そう。

 今朝起きてパソコンメールを開いたら、郷里高校時代の同窓生より「東京支部同窓会お知らせ」のメールが届けられていた。
 このメールの送り主は、我が高校1年生時代に同クラスで比較的仲よくしていた女性だが。 とにかく“幹事まめ”な方と表現するべきか、卒業後既に50年の年月が経過しているにもかかわらず、かかさず同窓会を自ら企画してお知らせを届けて下さっている。

 この私、当該ブログにて幾度となく公開しているが。
 実は我が人生に於いて郷里の高校生時代程充実していなかった時期は無かったと断言できる程に、日々高校では“死んで暮らしていた”人間だ。
 何がそんなに当該高校が気にくわなかったかと言えば、既に本エッセイ集にて幾度も公開している通り、私が生まれた過疎県内では燦然と一位を誇るべく女学校として君臨していたのだ。 
 私が高校生だった頃はその“名門女学校”の名残が色濃くて、学校の窓口に「お見合い紹介コーナー」がある程に 名家の女子生徒を入学させてはその生徒達を名家の嫁として斡旋していた様子でもあった。 (こんなことを公立高校が公に実施して許されるのか!?!!と、私など怒り心頭だったものだが。 意外や意外、多数の女生徒はこの高校に入学できたことを誇りに思っているふしもあった…)

 とにかく、この高校を卒業した後は私は“水を得た魚”のごとく蘇ったものだ。
 バックナンバーで幾度も述べているが、その後地元国立大学医学部卒業後は、“親を捨て郷里を捨てて”単身で上京し、身ひとつでわが夢を叶えてきている。


 そんな私にとって、郷里の卒業高校程後々鬱陶しいものは無かった。
 ところがこれが、希少にも「同窓会のお知らせ」を届けてくれる方がいらっしゃる…

 まず最初に届いたのが、私がちょうど二度目の大学そして大学院へ入学して頑張っている頃だった。
 その頃、私としては学問にノリにノッていた頃であり、これは内心、(我が自慢話でもしに出席してみようか)と思ったものだ。
 その時にド派手なミニワンピースを着て出席した私を見た同級生女性が、「誰がコンパニオンを呼んだの!?」と言ったエピソードを既に語っている。

 結果としては、卒業女性のほとんどが専業主婦でつまらない同窓会だったとの印象しか抱けず、その後は誘いがあってもこの高校の同窓会出席は拒否してきた。


 時が過ぎて、私が50歳を過ぎた頃だっただろうか?
 またもや、当該高校より同窓会の誘いが届いたのだが、今度は「高校東京支部同窓会」と称していた。
 それにもど派手なミニスカートで出席して会場だった飲み屋にて「阿波踊り」を披露してはしゃいだものの… 私としては、“なんか違う、これ私が出席するべき場じゃない” 感覚が否定できずに、その後の出席を拒み続けていたところ。

 
 当該高校の1年生時代に同じクラスだった女性より、「小規模同窓会」のお知らせ が定期的に届けられるようになった。

 それも“東京支部”と称しているのだが、私の認識では要するにまるで“小規模”であり、私も記憶している人物がその同窓会に出席すると言う。

 これは出席して少しは価値あるかも?? などと思い始めた矢先、私は左膝複雑骨折の身となり、まさに身動きが取れなくなった…



 その身にして、9月に入って以降つい先だって届けられたのが、高校1年生時代の同級生女性からのこれまた「小規模人数同窓会」のお知らせだった。

 何と言うのか、これぞ今後老後に至る私が出席するべき会合か!?!
 そんな予感がした私は、早速「出席」の意向をメールにて同級生女性にしたまめたところ。
 快諾の返答を頂いた。

 何分少人数につき、その詳細開催内容回答を未だもらっていないが。

 なんだか高齢域に達している身にして、高校時代の懐かしい顔ぶれに再会したい気分になっている私が自分でも不思議だ…
 

“安易に男性に養ってもらう人生” を思い描く女性が今時存在するようだ…

2023年09月03日 | 自己実現
 本日のエッセイ題材は、2023.09.02付朝日新聞「悩みのるつぼ」より引用しよう。


 それでは早速、40代女性による「夫から価値観を否定される」と題する相談を以下に要約引用しよう。

 結婚22年目の専業主婦だが。 夫婦には住宅購入や親の老後、自分たちの墓の問題などじっくり話し合うべき事柄が出てくるが、そういう時に夫から価値観を否定され、涙がとまらなくなることがある。 夫は温厚だが、込み入った話題になると考えや価値観を変えない。 理系でとても理論的で、それに言い返すことができない自分に情けなくもなる。  
 何となく、楽しい毎日を送ることが出来ればいい。価値観が違うのも当たり前。 そう思ってきた。 でも今の私は夫を理解しようというエネルギーが湧いてこないし、夫の方にも私の人格や価値観を理解しようと努めている様子はない。
 独身時代の自分への後悔もある。 私は地元国立大学を卒業したものの正規雇用の仕事に就けず、安易に男性に養ってもらう人生を思い描いてしまった。 今からでも遅くはないと、昨年から仕事を始め、わずかだが収入を得ることもできるようになった。 今すぐに離婚する勇気はないが、この先ずっと夫と一緒にいて、人格を否定された気持ちにさせられるのが怖い。

 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」相談内容を要約引用したもの。)


 
 早速、原左都子の感想に入ろう。

 まあ、何とも一貫して40代の今まで“他力本願”に生き通してきた女性だこと!!
 かなり呆れ果てるしかないのだが…

 そうですか、地元の国立大学を卒業したが正規雇用の仕事に就けなかったんですね。
 理系では無さそうだし。 文系だとしても教育学部ではなさそうだね。 教育学部の場合は必ずや「教職免許」を取得してほとんどの学生が教師になるものだけど。
 地元での就職を志したが就職先が無かった、との話のようだが。 
 そもそも地元を離れる意思は一切無かったとして、そうだからと言って「安易に男性に養ってもらう人生を思い描いた」との発言に驚かされる!!
 ある意味、大胆不敵とも言えそうだが、私よりもずっと若い世代にして、これまたかなり他力本願! 基本的に「自己確立」が全くできていない、というのか “自己” と言う概念にそもそも全く欠落している女性のようだ。

 ここで、私の事例を挙げても何らの参考にもならないだろうが。
 この私も地方の国立大学出身だが、卒業前に真っ先に目指したのが、「親を捨て、郷里を捨て上京し、とにかく独り立ちする!!」との我が強い意思だった。
 幸いなことに私の場合は医学部出身者であり、地元ならずとも、大都会東京にも数多くの優れた就職先があった。
 ここで高収入を得つつ、上京後は仕事にも私生活にも充実三昧の日々を送ったものだ。
 そんな“夢のような“楽しみを主体的に味わいたい!!と、この相談者は一度も思う事が無かったのだろうか? そうではなく、いきなり「安易に男性に養ってもらう人生を思い描いた」とのこと。
 申し訳ないが、この私にはそれ自体がアンビリバボーな世界だ…

 いえね。 私の場合、面白おかしい独身時代を送っているうちに結果として見合いにての晩婚の道程を歩んだんだけど。
 その晩婚相手も私と同類だったと言うのか、亭主の肩書を言うと「ネイチャー論文提出済み・理学博士取得の物理学研究者」なのだけど。
 この亭主が、これまた可笑しい奴で。
 晩婚後既に30年以上の年月が流れているけど、未だに可笑しい変な二人(例えばお互いに“単独行動主義”)のままで面白楽しい日々を過ごしているよ。😁 😜 



 朝日新聞相談者の40代女性にアドバイス申し上げたいが。

 貴女のその“マイナス思考”人生を、40代の今何とか方向転換できないものだろうか??

 子供さんに関しては、ご夫婦共々そもそも生むつもりはないのだろうか??

 それはよしとして、昨年から始めたと言う「仕事」の充実を主体的に成すとの方策もあるだろうし。

 とにかく、この世をご自身の力量で生きてみよう! との主体的な思いを少しでも抱けた時点で、貴女の人生の幅が格段に広がるであろうと。

 私はアドバイス申し上げたい。😃