◎ナチス国家の指導者は憲法の縛りを受けない
自民党による憲法改正草案、麻生財務相のナチス憲法発言、法制局長官をめぐる人事、安倍首相の解釈改憲発言など、憲法をめぐって、怪しげな動きが加速している。
こうした一連の動きについて、評論家の佐藤優〈マサル〉氏は、昨年一一月の段階で、次のように解説していた。
佐藤 そうです。ただ、麻生さんを始め、現政権の反知性主義者に対して、実証的な批判を突きつけても無駄です。
魚住 なぜですか。
佐藤 反知性主義と決断主義はコインの裏表、セットになっているからです。【中略】
ここでは、そんな反知性主義をどう克服するかという話をするつもりはありません。せっかく麻生さんがナチスについて語ってくれたのですから、安倍首相による内閣法制局長官人事をナチス政権におけるワイマール憲法の位置づけと関運させて話したいのです。
魚住 両者に共通性があるということですか。
佐藤 結論から言うとそうなります。
魚住 ナチスはワイマール憲法そのものを廃止していませんね。
佐藤 そうです。一九四〇年代初めまで、ナチス憲法理論の第一人者だったオットー・ケルロイターの著書『ナチス・ドイツ憲法論』に着目してみましょう。ケルロイターの主張を簡単に整理するとこうなります。ドイツの指導者(ヒトラー総統)には英米法のような目に見えない憲法が体現されているので、指導者国家(ヒトラーを総統とする国家)の法律や命令は必ずしも憲法の縛りを受けないというものです。
少し長くなりますが、引用します。
《既にイギリスの国家生活に於ては、当時過激な個人主義は存在しなかったので、憲法構成ということには何等の価値も認められなかった。憲法は、イギリスでは政治的発展の経過の中で有機的に生れたもので、その故に又、今日に至る迄成文憲法即ち憲法典という形をとってはいないのである。併し同時にイギリス法も、既に早くから憲法規定は之を持っていたのであって、例えば個人自由権の保障を包含していた一六八九年の権利章典〈ビルオブライツ〉の如き、或はそれによって共同立法者としての上院の地位が非常に低められたところの、一九一一年の議院法〈パーラメントアクト〉の如きがそれである。
この様な憲法規定は、ドイツ指導者国家の国法的発展の中にも亦見られる。それをナチス国家の基本法と称することを得る。それはその憲法的生活の基礎をなし、且新しい国家建設の大綱をなすものである。今日の発展段階に於ては、この意味に於て次の諸法律を、ドイツ指導者国家の憲法規定と称することが出来る》(『ナチス・ドイツ憲法論』オットー・ケルロイター、矢部貞治、田川博三訳、岩波書店〔一九三九〕)
ここで「諸法律」として挙げられているのが、先ほど触れた三三年の全権委任法(ナチの国民及び国家の艱難を除去するための法律)、三五年のニュルンベルク法(国旗法、公民法、ドイツの血とドイツの名誉との保護のための法律)などです。さらにこれらの法律が、指導者国家、つまりナチス党が支配するドイツにおいて憲法規定だと称することができるのは何に由来しているのか。ケルロイターは次のように書いています。
《指導者国家に於ける憲法の構成及び完成の態様と方法に対しては、フューラー(引用者〔佐藤〕注:ヒトラー総統)によって確定される、ドイツの民族・及び国家生活の政治的必要だけが、決定力を持ち得るのである》(前掲書)
魚住 わかりやすく言うと、ヒトラーが憲法を決めるということですね。
佐藤 そうです。そこで今回の内閣法制局長官の人事を見てみましょう。八月八日、安倍内閣は閣議で憲法を解釈する内閣法制局の長官に、駐仏大使の小松一郎さんをあてることを決めましたね。小松さんは安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が集団的自衛権の行使を禁じた憲法解釈を見直すよう提言した報告書のとりまとめに関わった人物です。
魚住 つまり、集団的自衛権行使を容認する立場ですね。
佐藤 そうです。この人事の背後にある思想は非常に危ういものです。自民党は参院選に大勝したとはいえ、憲法改正について世論は冷ややかです。
魚住 さらに麻生さんの“ナチス発言”で身動きがとりづらくなりましたね。
佐藤 そこで、集団的自衛権行使を容認する人物を内閣法制局長官に据えることで解釈改憲を狙ったと考えるのが妥当でしょう。人事によって憲法を実質的に改正しようとする手口は、ケルロイターが言う《フューラーによって確定される》、つまり、一人の人間が国家の最高法規の命運を左右するという手口の変形にほかならないのです。麻生さんの反知性主義的発言が、安倍首相の反知性主義的改憲手口を灸り出してくれたのだと思います。
これは、『一冊の本』二〇一三年一〇月号の「ラスプーチンかく語りき99」の一部である。対談の相手は、ジャーナリストの魚住昭氏である。
若干、この対談内容について、感想を述べてみたい。
魚住氏は、「麻生さんの“ナチス発言”で身動きがとりづらくなりましたね」と言っているが、これはやや違うと思う。麻生財相のナチス発言に対する、国内世論・国際世論の反発が、意外に大きくなかったと、安倍首相は捉えたのではないか。それが、本年二月の安倍首相による解釈改憲発言につながったのではないか。ところが、今回のこの解釈改憲発言に関しては、国内からも、海外からも、批判が大きい。特に、アメリカの政府筋の反発は、予想外だった。おそらく国際世論は、ここで、麻生ナチス発言と安倍解釈改憲発言とが、一連の流れであることに気づき、そのことで、日本の政権中枢に対する警戒心を強めているはずである。
この対談における佐藤優氏の指摘は、いま読んで、なお新鮮である。というより、いま読んで、ようやくその先見性に気づく。
おそらく、安倍首相の背後には、ケルロイターに擬せられるような憲法学者、すなわち、立憲主義を理解していないのではなく、立憲主義そのものを否定しているような憲法学者がいて、首相に知恵をつけているのであろう。
次回は、明治期の日本において、立憲主義を否定していた、ある高名な憲法学者について紹介する。
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